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大阪供給所設立35周年プロジェクト 第4回準備研レポート①


大阪供給所 設立35周年プロジェクト-第4回準備研

豊里からは菊地さん、小沢さん、大角さん、池内さんと4名 もの参加、春日山からも岡本さん、西村さん、篠崎和子さんの3名、さらに 日和佐から丸田さんも駆けつけてくれました。

今年8月13日、大阪供給所は設立35周年を迎えます。

そこで、これを機に今まで何らかの形で大阪供給所に関わった人たちに呼びかけて何かをやろう!との呼びかけで昨年11月から、毎月1回各地から寄って研鑽を積み重ねてきました。
(研鑚紙にもその様子が載っています)

さて、今月は昨日19日に第4回目が大阪供給所で開かれました。参加者は・・・・・豊里からは菊地さん、小沢さん、大角さん、池内さんと4名もの参加、春日山からも岡本さん、西村さん、篠崎和子さんの3名、さらに日和佐から丸田さんも駆けつけてくれました。

会員さんもかつて大阪を舞台に動いた人、(今も続いています)や社員さん、それから大堀夫婦も参加され、総勢24名で活発な研鑽会となりました。

内容をレポートするにはあまりに時間が足りず、一人の理解では足りないので、別の参加者のレポートを待ちたいですが、私が一番感じたことを1点だけ。

それは、「35周年を機に何をやろうとするのか?」です。
かつて、生産物が売れれば売れるだけイズム社会が拡がる(という幻想)で供給活動をやってきました。つまり、幸福社会づくりは実顕地に任せて(丸投げして)自分たちはただ売るだけ、という内容でした。(私は、です)

しかし、自分が幸福でなくて、どこに幸福社会が実現するのか?
どんな幸福を広めようとしてきたのか?これから広めようとしているのか?

まず、自分に真剣に問うことからしか、今後の供給活動はない、35周年はない
ということを感じさせられた研鑽会でした。

(西宮供給所 鎌田茂樹)

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コメント

  • 鎌田 茂樹(西宮供給所)

    聡美さん、お久しぶり!
    熊本にいる、ということはお父さんと一緒かな?
    懐かしいです。
    八重樫さんには別海時代に随分お世話になりました。
    いま、こうして繋がっていられることの嬉しさを実感しています。

  • 八重樫聡美(熊本の阿蘇の麓から)

    お久しぶりです♪ 聡美です。

    35周年、おめでとうございます!

    みなさんのお顔を見ながら、20年近く前の、なつかしい日々が思い出されます。

    あたしも、「1円でも無所有資金を回収する!それが”ひとりも不幸な人がいなくなる社会”への早道!」な~んて
    寝ても覚めても、”売上げ””売上げ”と排気ガスにまみれ、
    雨の日も暑い日も、朝から晩まで 今から思えば、
    ホンマ、ようやってました!

    しんどかったけど、毎日 楽しかったわぁ~♪

    ここ阿蘇の片田舎でも、地元のじぃさん、ばぁさん向けに
    予供車そっくりの移動販売車が、演歌流しながら走ってます。

    マイク片手に走ってた頃がよみがえって、「乗りた~い!」「マイクで呼びかけた~い!」と思ってしまうあたしです(笑)

    でも、ほんとに自分が幸せでないと、人には伝わらないし、買ってもらえないというのを痛感して、今の自分にはできないと供給から離れさせてもらったあたしは、
    実顕地での生産にかかわりはじめさせてもらって、なおさら、供給にはもどれないと感じてしまいました。

    詳しくは長くなるので、やめときますが、
    あたしにとっての”供給活動”って一体何だったんだろう?
    あんなに楽しくて夢中になったのは、幻想に駆り立てられてただけなんだろうか?

    今も あたしが、人と関わる仕事を好んで楽しめる原点は、あの頃の供給活動にあるんだろうなと思います。

    浦崎さんの言うように
    ”供給の原点”を 改めて探っていきたいですね。

     

  • 浅井典子(内部川)

     すごいですね。35年になるのですね。
    本当に大勢の人でつながってつながって・・・。
    そして今もこれからも・・・。
     私は30年前位から活用者になり、丸田さんや小沢さんにお世話になり、25年前位から社員さんになって、4年ほど谷藤さんのもと、びしばしときたえ?られました。
    人と出会うのが楽しくて、人に支えられ毎日車に乗っていた気がします。
     内部川では4月に選卵センターと農場直売店がオープンします。ヤマギシの有精卵を通して 幸福になりあいたいと、地元の人に向けて市を開いて楽しんでいます。

  • 佐藤(春日山)

    もういつのころからか、供給所を任されてやる人と、
    実顕地でやる人ということが、かなり固定化されてしまったように思う。(それは実顕地の中の職場でもかなり固定化がすすんでいる。)
    どちらも実顕地参画者であるんだけど、供給所は供給所と呼ばれ、実顕地は実顕地と呼ばれている。そうするとやはり、供給所と実顕地は別の役割があるように思ってしまう。
    住まいも、生産現場から離れたところにあって、すべての日常生活も含めてそこで暮らすことになる。
    この企画も、その街の中でのヤマギシズム生活の活性されたエネルギーを生み出すためのプロジェクトだと思う。
    そういった方向での研鑽と、現在のヤマギシの生活・産業面の仕組みの根本的な見直しをする時もきているように思う。

    このコメントは、ちょっと場所が違うカナ??

  • 鎌田 茂樹(西宮供給所)

    記載を忘れました。

    この企画のメーリングリストと情報交流サイトを作りました。
    メーリングリスト・・・・携帯メールもOKです。
    情報交流サイト・・・・・ファイルや写真も閲覧・投稿できます。(携帯メールは不可です)※Yahooに登録が必要です。

     いずれも参加希望者は所属、名前を明記の上、minn@nakayosi.jpに
    件名に「参加希望」と書いてメールください。

                西宮供給所  鎌田

  • 川渕 通生 大阪供給所

    O-35 (オーサイコー)
     それは、互いに幸せに成り合う世界。

      「それいいよネ」
    と認め合い響き合う嬉しい世界。

    前日からくる人、朝早く熱いメッセージを送ってくる人、
    大勢の人を車に乗せてくる人、手作りのお菓子を携えてくる人、等々。
     開始2:00、30分前にはたくさんの人で会場がうまっていった。終了予定の4:00が過ぎても帰らない人がたくさん。
    結局翌朝4:00迄話は尽きなかった。
     熱き心の運動は無限なのですね。

             O-35 プロジェクト

  • 浦崎雄一(春日山)

    私も実は、35年前大阪供給所にて慣れない路を供給していました。まだ富田林の狭山営業所があったときです。当時、猪子さん、舛屋さん、桜本さん、菊池さん、上門重徳さん等みんな熱かったです。それから本当に多くの人が関わり今日があると思うと感慨深いです。供給の原点を共に探っていきたいです。

  • 鎌田 茂樹(西宮供給所)

    追記です。
    結局のところ、何が言いたいのかいまひとつはっきりしないレポートになってしまいましたので・・・
    幸福社会、若しくは幸福社会づくりがどこか、自分以外の人や場所で(たとえば豊里や春日山で)実践されている、ということが、まるで自分がやっているように錯覚していた(いる)ということが言いたかったのです。
    「ヤマギシの村」が、たとえどうであろうと、私が幸福な生き方をしているか、しようとしているかが大事という以外にはないですよね。