ヤマギシのむらnet

サナン村でのワークキャンプ


去年の9月から11月にかけて3か月間、ワークキャンプというNGO団体の紹介で韓国実顕地に来ていたドイツ人女性(30歳)、タティヤーナ(Tatjana)の感想文をシェアします。今日リッタから翻訳文が届いたので読んでみましたが、なかなか面白いです。

ちなみに、文章の中の「サナン」とは「山岸」という漢字の韓国式読み方で、韓国ではヤマギシの代わりに使ったりします。

タティヤーナ

タティヤーナさんはヒヨコのお世話から感じたことがたくさんあるようです。

ヤマギシでの第一歩

タティヤーナ(Tatyana 女 30歳)

サナン村でのワークキャンプの説明を初めて読んだ時に、私はその明快な案内(韓国の無所有コミュニティでの農業ワークキャンプ)に興味を持った。そこには鶏舎での仕事のことや、畑でも働けること、全人の幸福を目指す人たちの共同体であることが書いてあった。私はぜひともそれを体験したかった。これこそ私が望んでいたワークキャンプだ!私はすぐに応募した。

ワークキャンプの説明にはヤマギシのことは一切書いてなかった。それで、ここ韓国のサナン村に来て、初めの頃は未知の世界に飛び込むだけではなく、アジアにおける新しい文化圏やヤマギシの独特の見方に向き合うことにもなった。

私が最初の頃に何を思ったか、はっきり覚えていない。新しいことを受け入れて理解するのに忙しすぎたからだ。何が韓国のもので何がヤマギシなのか区別ができなくて、私の「アンテナ」は受けとる限界を超えていた。私も前もって全部受け入れて行こうと心の準備ははしていたものの、村の住人にとっては慣れた生活であっても、私にとってはそこに溶け込んでその一員になるのに努力が必要で、最初の頃は確かに村の生活が重荷だった。その頃に自分が何を思っていたか言葉にできないが、とにかく新しい状況に圧倒されていた。もちろん言葉の壁も加わって、私はなかなかなじめなかった。その上、初めてアジアに来て、さらにヤマギシの生活を体験して、消化しなければならないことが山ほどあった。

私の最初の印象:定期的になんでも出し合えるミーティングがあった。そこではその気があれば誰でも自分の気持ちを出すことができて、むしろそうしたらよいように感じた。村の生活は規則正しく行われていた。自分は何も想像できなかったはずなのに、多分いい加減なヒッピーのコミューンを想像していたようだ。でも気がついたら、養鶏場で鶏舎に入るのに鶏に挨拶している自分がいた。鶏を尊重し調和をはかるということだ。私は鶏が餌を食べて満足して幸せになるためにはどうやって餌を餌箱に入れたらよいかわからなくて、自分が不器用だという感じがした。ここでの規則正しい生活と肉体労働で最初はへとへとだった。

ひとかけらずつヤマギシの万華鏡が組み立てられていった。

ヤマギシはだいたい何を目指そうとしているのか、どういうものなのか、ちょっと見えてきた気がする。特別な講習会や面談なしでの三ヶ月のワーキングキャンプではそれ以上深くは行けなかった。だけどこの三ヶ月で自分自身の中で何かが転換したことは確認できた。

私はもともと自然が好きで、動物保護にかかわってきた。動物を大事にすることも私には当たり前のことだった。ここサナンでの動物の扱い方(ヤマギシズムを表していると聞いた)でやるには、もちろん最初の切り替えが必要だったが、より良いものを目指すことは私にもなじみのある事だった。でもそれ以上にサナンの住人の一人一人がコミュニティの一部であることに私は深く感動した。ここには「自分一人で」というのがなくて、すべてを「共に」やっている。しかしサナンの住人はそれぞれの興味や個性を持つ全く普通の人たちだ。だからインターネットでは「ヤマギシでのカルト的運動」と書かれてあることと、私が実際に体験したこととは大きく違っている。むしろここには同じ目的に専念しようとする人々が集まって、みんなの今日明日の幸福を目指し、持続的な生態系農業で貢献しようとしている。持続的な生態系農業についてはヨーロッパでも広がりつつあるが、自己中心主義を否定するということは私たち西洋人は考えたこともない。それぞれが全体の部分であり、それは全体に参加しながら足していくことを意味している。その「全体」に自分がこの何ヶ月の間で少しずつ溶け込んでいった気がする。

何でもやってみようと覚悟していたにもかかわらず、その道筋を理解するのが難しい時があった。私たちワークキャンプの参加者には言葉での説明があまりなくて、ヤマギシズムの実践が手本として示された。だから自分自身にとって、この韓国の共同体で、「調和」とはこんなことかなあと実感させてもらったのは、自分にとっても実践生活の中の大きな出来事だった。来て一ヶ月目にひよこの入雛があって、そこから私の勉強が始まった。そして今、二ヶ月間鶏とやってみて、ヤマギシズムでの幸福がどういうものなのか少し見えてきた気がしている。

自分の場合、産まれたばかりのひよこの世話を通して感じた深い愛情が目を少し開かせてくれた。私の育った文化圏で当たり前だった(ほとんどの国でもそうだろうが)キャリア、安楽な生活、コネを得ることへの飽くなき追究等は一番大事なことではなくなっていた。ひよこに切り立ての青草を与えた時の鳴く声を聴いて、私は深い幸せと大きな安らぎに満たされた。来る日も来る日もひよこに会えることがますます楽しみになって、ひよこの成長を不思議な思いで観察し、夜には寝かせもした。ひよこから学んだ日々だった。

韓国でのヤマギシ世界の滞在者として私はこの何ヶ月間か幸福を与えること、実感することはどういうことかを学んだ。所有とうわべの世界から遠く離れて、生き物との仕事を通して彼らと生活を共にすることで、自分がどれだけ幸せにいれられるかを体験した。自分がどんなに完璧か、頭がいいのか、お金持ちなのか、美人なのかということではなくて、幸せになるにはみんな何が必要なのかということだった。それはそもそもは簡単なことだ。でも私はそれをこれだけの深さと充実をもって体験したことがなかった。ひよこと一緒にやって初めてここサナンの住人から伝わってくるエネルギーと暖かさをちょっと分かるようになった。そして思いもしなかった愛情を自分の中に強く感じた。それは空々しく聞こえるかも知れないが、その言葉でしか表せない。私は「命への愛情」を感じた。ひよこや人にだけではなくて、「命」に。私たちの中にどれだけすばらしいエネルギーがあるのか、そしてそのエネルギーをどうやって、ここで体験したようにみんなが満ちたりて幸せに生きるために活かしていけるかということが、驚くほどはっきりした。

自分にとってワークキャンプに参加したことはワークキャンプだけではなくて、自分自身の内面への旅であり、自分の中に眠っているすばらしい力との出会いでもあった。それに感謝の気持ちでいっぱいだ。旅の初めには混乱と答えの無い問いかけがたくさんあった。まだまだ分からないことがいっぱいある。だがヤマギシズムは何をテーマにしているのか感じられた。そしてここでそれまでに知らなかった幸せを感じた。突然湧いてきて力強く感動した。その幸せを次に繋いでいけるように、返していけるようになりたい。この幸せを感じられたらどの人も変わると確信している。

以前とは違う人間になってサナンから出発する。もっといい人になったかも知れないけれど、そういうことではない。何をおいても自分の日常の世界にこの幸せをもたらして広げていく願いを持って、幸せの人として出発する。

ここで特に学んだのは、正しいことをするにはたくさんの道があるが、どの道かというより自分自身が一歩踏み出すかどうかが大事だということだ。私はここで初めの一歩を踏み出した。サナンのみんなさん、この第一歩を一緒に踏み出させてくれて、ありがとう!

タティヤーナと仲間たち

9月末の秋夕(陰暦の8月15日、韓国のお盆)に実顕地のみんなと。