ヤマギシのむらnet

「この提案書のことを忘れてしまいたい」


 今、食生活で発注や個人提案の物を用意するところをやらせてもらっています。

 ある人からの提案用紙が来ていて、そこには、確か「子どもにあげたいので、エビカツ4P、エビフライ4P、エビクリームコロッケ2P、コロッケ6P」と書いてありました。

 私は「全部で16Pもすごい多いなぁ」と思いました。「特にコロッケは供給用なら1Pに6個入りだから36個ってこと? むっちゃ多いじゃん。実顕地の15人分だし。」「家庭用の冷凍庫に入りきらんやろう」と色んな思いが頭の中を駆け巡りました。

 駆け巡っても、日頃から話しができる人なら「これどーするつもりよ?いっぺんに送るの多くない?」とか、軽く話せます。話をしたり、在庫状況によっては、提案書に書いてある品目や、量を変えてもらった人もいました。

 でも、何だかこの人には、そういうことを話すのが難しい感じがするのです。過去にややこしいことになったことがあったし、他の人からも何回もそんな話を聞きました。だから、この人に踏み込んで話すのがいやなんです。

 だからと言って「提案書に書いてある通りに『はいはい』と物を渡せばいんじゃないの」と言われると、渡していても何か思っている空気が伝わりそうです。だし、何だかそれだけで終わるのって、さみしい感じがするんです。

 その提案書を昨日(9日)見て、「12日に取りにいきます」と書いてありました。あさって取りに来ます。率直な私の今の気持ちは「この提案書のことを忘れてしまいたい」のです。

10月10日

 基本研推進研でこの例を出したら、1時間半はこの事例のことになった。

 「テーマは何なの?」と何度も私に聞く人がいて、ただそこまで探究したいという心境で出した訳でなく、聞かれるたびにきつかった。

 でも、何人かがテーマは「その人と話したくないと思うところだろ」と言ってくれて、自分としてはそこだな、と整理できた。

 「花ちゃんの中に、その人と繋がっていきたい、っていうもとの気持ちがあって、それをさえぎるような観念が出て来たから、反応してるんだよね」と言ってくれる人がいて、それはとてもうなづけたし、確かにあるなぁと思った。

 「公意見いだす、っていうテーマもあるんじゃないか」ってのはピンと来なかった。

 「調正所で研鑽されたわけだから、食生活では考えることではない」とか「自分にとって受け入れられる人には、話ができる、っていうのも実は怪しいんじゃないか」というあたりは、そういう考えを頭では聞くけど、実際は消化しづらい。公意って、言葉は知ってるけど、何?

 でも、寺沢佳江さんが自分が仲良班窓口をやっていたときの事例を出して「調正所で研鑽されたことを窓口として受けるとき、相手を思う気持ちが出てくるのは大切にしたらいい。そして、調正所と研鑽していく気持ちでやったらいい」と言ってくれたのは本当にそうだな、とすーっと入った。

 ただ、やってみては疲れた。「こんなテーマやっていても、本人が成長する気がないんだからしょうがない」とか言われると、みんながそう思っているように聞こえて、いやになってきた。

 あと、こんなことって、結構他の人もあるんじゃないかと思っているんだけど、私だけ?みたいな。何か孤独感というか…。

10月11日

 養鶏法の同期会があって、推進研に出ているメンバーが4人いたこともあり、引き続きこのことが話題になった。

 昨日出てみて「むらネットで思ったこと、で響き会うのは難しいのかなぁ」と順ちゃん。きのうも「相手のことを配慮して出さない方がいい」とか「むらネットに出すくらいなら、直接本人とやったらいいじゃん」という人がいて大笑いされたりしたなぁ。

 私はむらネットが、この頃、事柄の報告っぽいのが多くて。実顕地って心じゃん。そのまんまで、どうはっきりしたわけでなくても、途中のでいいんじゃないかと。そんなのがむらネットで反応し合っていきたいって思ったのです。

 でも、昨日の研鑽会に出て「やっぱりネットでそういうことするのって無理なんだなあ」て思って、広報の正二郎君に「載せるのやめといて!」と夜中にメールしたんです。

 生原さんは「昨日はこの研鑽会がどんな風に展開していくのか、と思っていた。テーマは避けたくなる心だと思っていたよ」と。 順ちゃんは「みんなはテーマを探しそうとしてるんだけど、花ちゃんは始めからそこを求めていなかったんだよね。だからずれてて、焦点にならなかったんだよ」と。

 昨日に引き続き、帰りの車の中で、美里の洋美ちゃんと整理研。こうして、受けとめてくれる人があるのは、ありがたいことです。

 そこで思ったのは「それぞれいろんな受け取り方があるなぁ。昨日、私は責められている様に感じたけど、テーマを見いだそうとしていた人は、そこがやりたかったんだな」 と、昨日のしんどい気持ちが、どこかに消えていました。

10月12日

【内部川実顕地 諏訪 花】
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コメント

  • 荻野直美(成田G)

    花ちゃん、わかりやすい。その時、その時の気持ち、思いを、出してみていくというか、みてもらうというか、自分は、どんどん、変化していくし、止まっていられない。反応すると、お互いに分かりやすいと思いました。

  • 諏訪 花(内部川)

    この記事を投稿してから、日曜市があり、忙しくてゆっくりパソコンに向き合えなかったのですが、開けてみると、いろいろコメントがあり、みんなすごく反応してくれてなんか嬉しいです。
    それから「同じ文章で表現しても感じ方は多種多様なんだな」と身を持って感じました。
    いくつか、そのことについて、今思うあたりを書いてみたいです。
    別海の佐藤さんや成田の直美ちゃんが真っ先にコメントしてくれたこと。むらnetを見ていて「ここで各地の実顕地の人たちと、思ったこと、反応したことで響き合えないものか」とずっと思っていたので、佐藤さんや直美ちゃんのそのまんまの感じで反応してくれているのが嬉しかったです。
    美夏ちゃん。リアルですね。「ひとりひとりの考えは違うから・・・the end」で終わるのを日常結構やってるし。それで終わらない生き方、やっぱりやっていきたいよね。
    吉田さん。そういう切り口もあるのかと。そうであれば、ちょっと救われた感じもするけど、このことがどこかに行っちゃったみたいにも思います。そのことを誰が研鑽するのかが抜けて行って、一般論になっていく感じがします。
    千枝ちゃん。むらnetに出すのがどうか、というのはこの間、結構言ってもらった意見でした。それが、相手にとってこうだと言えるものはありません。千枝ちゃんの言う通りかもしれないなぁ、とも思います。自分としては、感覚ですが、むらnetに出すのも、研鑽会で出すのも、共通して言えるのが、出した時点で自分から離れていく実感があって、一つの事例になっていくというか。自分を見るテーマなんだけど、出さずにいる時とは全く違う感覚です。その延長線上は相手との関係面ではない感じなんです。「仲良しとは何なのか」と思わされます。
    石角くん。「そうそう」と、このコメントには、妙に共感します。私もこの事ではいろいろあったけど、詰まるところ「実顕地って何?」とか「調正所って何?」とか「参画って何?」とか言葉でなく、じっくり向き合ってみることかなと私も思うのです。

  • 石角 聡 (鳴子)

    もう10日も前の記事なんですね。
    あんまりむらネットを頻繁に見ないので、この記事のことも昨日人に言われて初めて読みました。

    今さらかなあとも思いましたが、やっぱり何かコメントしたいと思い、書きました。

    僕も花さんのような気持ち、「忘れてしまいたい」というような気持ちになること、あります。
    見なければよかった、とか。関わりあいになりたくない、とか。
    一方では、そんな自分でいいのか、みたいな考えもあり、苦しかったりする。
    そんな時に「テーマは何なの」とか、「公意」とか言われても、追いつめられてる感じになってしまうだろうなあと思う。

    こういう話って、どこにでもありそう。でも何がテーマなんだろう、と昨夜は夫婦で話したりしました。

    このことを、その人のテーマ、とか、内部のテーマとか言っていても、なにも解決していかないとは思います。でもなぜそう思ったのか。
    その人のテーマではない、ということでもなく、実顕地全体のテーマだと言い切れるわけでもないんです。
    でも、実顕地っていう組織が、何を目的・目標にして作られて、今も存在しているのか。
    全人幸福とか、仲良い村、とか、言葉はいろいろありますが、その言葉だけで終わりにしちゃっていいのかなと最近思います。
    ある人に、「調正機関に参画しているということをちゃんと考えてみたらいいのでは」というような内容のことを最近言われて、そういえば「調正所」とか「参画」とか「提案」とか、理解しているつもりでなんとなく来ていたけど、そのことそのものをじっくりと考えたことなかったなあと思いました。
    考えてみたいと思っています。

    長くなりそうなので、やめます。
    もう十分長いですが。

  • 吉田光男(内部川実顕地)

    或る人に「ムラnet見た?」と聞かれ、あわててこの記事を読みました。内部での出来事が書かれているのに、私を始め内部の人はほとんど読んでいないようです。まずこれが問題です。最初に思ったのは、これを仲良し研でみんなで考えてみたいということでした。似たような話はよくあるのですが、ほとんどの場合うわさ話で終ったり、「それはあなたのテーマでしょう」と話を持ち出したその人個人の問題に矮小化してしまいます。そうすることで、本当は自分の問題として考えるべきことを避けてしまうのです。その結果、問題を提起した人は何か責められている感じになり、本当はまだ言いたいことがあるのに面倒になって沈黙してしまいます。そして停滞の空気だけが充満することになります。
    私は、この花ちゃんのメールから、三つのテーマを感じました。花ちゃん自身のテーマはテーマとして、①自分がその立場だったらどう考えるか ②相手の提案やその生活態度がヤマギシズム生活者としてふさわしいものかどうか ③調正所が「最も正しくヤマギシズム生活をする」という方向にそって調正を行っているかどうか。それを裁断者の立場からではなく、自分がその立場にいるとして考えることだと思います。
    何でも言える実顕地、風通しの良い実顕地というのは、私たち一人ひとりが自分の思ったことを出すのと同時に、他の人の出すことを自分のこととして受け取り考えることから始まるのだと思います。

  • 吉田 三次G

    品物の数だけ、出すかどうかは、どっちでも、
    ええのと、ちがいますやろか?
    テーマが、相手にあるのでなく、自分の方に有るのが、見えたら、その時点で解決しているのでは?

  • 平山 義章(大阪)

    むらnetでは初めて発言します、よろしくお願いします。

    この件ではみなさんが言っているようにいくつかのテーマがあるのではと思います。
    提案してきた人と気軽に話せないと感じていること
    「公意」を見出すとは?
    などが挙がっていますが
    僕は調正所の人とも、心の距離があるのかなと感じました。
    実際にものを用意する立場として
    「これは多いんじゃないか?」
    と感じたら調正所の人に軽く出していくことも
    任されていることなんじゃないかと思ったのです。
    提案をした本人と直接話すというよりも
    そっちの方が真っ当な気がします。

    やりとりの過程でわいてきた「?」を
    自分の中に止めないで研鑽していくことでしか
    「公意」は見出せないのかなと思います。
    実際面では時間切れで研鑽途上で
    決済するようなこともあるでしょうが・・・。
    それと「公意」を見出していくという時に
    実用的な考えとして
    「任し合い」というものがありますよね。
    すべてのことをすべての人が合意して
    運営していくというのでなく
    ほとんどのことは任しあっているわけで
    任せておけないと思うことは
    声を上げていくということかと思います。

    しょっぱなから長文になってしまいました。

  • 中村 哲(さとる)【京都】

    ”一体”への壁 突破しようね・・・  何代かかってもいいから。 みんなで♪

  • 奥田なな瀬(阿山)

    村ネットに投稿したんだね!
    同期会の時にこの話を聞いて、日常よくあることだなと思ったし、だからみんなどこにテーマがあるのかと1時間半も盛り上がったんだろうなと思いました。私も食生活に職場が変わって、1対1のやり取りだけでなくいろんな場面でひとつのことに対して10人いたら10人の20人いたら20人の気持ちや考え意見があるんだなと実感する毎日です。私は公意を見出すがこの一件のテーマかなと思いました。意見の全然違うお互いがどこに一致点を見出していくのか・・・。どう気持ちが合わさっていくのか・・・。同期会の後思い出したのだけど養鶏法のとき最初に実顕地でのいろんなことが出て、○○問題も××問題も△△問題も、すべてを解決できる・・・・みたいなこと(はっきり言葉は思い出せないのだけれど)出されなかったっけ?私も食でいろんな意見がいっぱいで、でも決めていかないといけない事ばかりで、そんな時何を大切にしていくのかな、と思いながら探り途中です。
    私は村ネットもいいけどやっぱりリアルタイムで話したり、やり取りできる研鑽会の方がいいなと思ったりします。またその後の続きは今度会ったとき話しようね!!

  • 元高等部の親、同期 米山千枝子

    おいおい花ちゃん~! 
    食材提案をしたその人と十分話し合いをする前に、どういう気持ちで提案しているか?聴き切れていないうちに、不特定多数の人の目に触れる村メールや、その人がいない場で材料にされて、花ちゃんが相手の立場だったら嬉しいか? 私は嫌だわ~。 

    こういうことを何の疑問も持たずにやってきた自分でもあるから思うのだけど、そうすることで、信頼関係が深まるかな?仲良くなるかな?

  • 麻野幸子(豊里)

    基本研推進研で一緒に研鑽した。提案書を見て花ちゃんのこころがザワザワしているという例で、最初からそこをテーマと出していたと思う。

    皆でテーマをそろえて考えたかったんじゃないかな。

    花ちゃんのこころのテーマと、提案がどう研鑽されていくのか仕組みのテーマが、2つ重なっていた気がする。

  • 江田美知子(春日山G)

    イラスト入りで楽しいですね♪

    花ちゃんの気持ち一つ一つ、わかるような気がします。
    研鑽会ってなんなのかしら?って改めて考えさせられたんです。

    12日の議事録に、『(木の花のミーティングで)答えを出してあげるコメントをすればする程、相手は答えを出せなくなる。外れていく。 自ら答えを出していけるよう導いていく(ことだ)。』
    とあって、心に残っているんです。

    また、ずっと前には、
    (木の花では、ボンボン言い合っているけれど)『言ってから、そこに愛があったか、って自分を振り返るんですよ』とあって、
    私は「これだっ!」と思わず膝をたたいてしまいました。

  • 荻野直美(成田G)

    う~ん、読みました。
    研鑽できる場が、広くありそうで、いいですね。
    前回の研学で、「零位に立つ」「公意をみいだす」をやってみて、実顕地でこれでやってみようとしていました。思い出してよかった。  

  • 日和佐実顕地 間瀬 美夏

    なんでそんなにたくさんいるの?って素直にきけたら楽じゃない?
    (人に言うのは簡単だけど・・・)

    昨日、日和佐のMさんが”わしはソフトバンク持つことにした!”と言いだして、まず思ったのは ”どうせすぐ飽きる” ”物をすぐ置き忘れるし、なくしそう” ”仕事中携帯なんか持ってたら落とすかこわす” 
    そして出て来た言葉は”壊すのはメガネだけにしておいて欲しいわ!”

    しばらくして ”なんでソフトバンク持とうと思ったの?”ときくのを忘れてることに気付いた。理由はいろいろあったけど、きくとそうなのかとわかる。それからはみんなでどうしたら携帯が活かされるのか、本当に必要か、どんな暮らしをしようと思ってるのか等々・・・いつもの様にわいわいみんなで考えた。

    なんでそう思ったの?ときいたら、なんだと思うときもあれば、聴いても自分には理解できないこともある。ひとりひとり考えは違うから・・・THE END というわけでもない私たちの生き方。さて何やるのかな?

  • 佐藤克己(別海)

    この事例は面白いです。
    提案を受けて「はい」で受けれない場合ありますよね。
    テーマが何処にあるのか、何処にひっかるのか。思わず、隣の井口さんと一緒に読みました。実顕地の研鑽会に事例として使ってみようと思います。