ヤマギシのむらnet

石鎚山(1982m)に行ってきました
【日和佐】



 
 去年富士山登山に挑戦した丸田さん。
 山頂まで行ったのですが、山頂の一番高いところにある神社まで行く時間がなく帰って来て、今年こそはリベンジでそこまで行きたいと言っていたのですが、今年夏前に突然歩けなくなって(すぐに回復しました)、それからしばらく足がしびれたままで、夏の富士山登山はあきらめました。
(今はもう大丈夫で、元気にとびまわっていますのでご心配なく!)

 それなのに石鎚に登りたいと言い出して、しかも朝4時から夜中までの弾丸ツアーに参加するというのです。それから毎日どうしたら一番いいか、いつ行ったらいいか、みんなで散々研鑽して、これなら体に負担がかからないだろうという案で出発したのに、行ってみたらいろいろあって結局ハードなコースになったそうです。
 

 
 予定では夕方には帰って来るはずなのに、夕方4時半頃

「今下山しました。今から帰ります。」

という電話が入り、みんな???どういうこと?

 翌朝の出発研で真相を聞いてみんな大笑い。準備不足で計画通りにならなかったのは反省ですが、行くまでの過程や行ってからの珍道中は行った人も送り出した人も楽しみました。

 視力が落ちて自動車の運転免許を更新しなかった丸田さん。
 今はどこへ行くにも誰かに連れてってもらうようになりました。自分でさっさと何でもしていた生活から、みんなに考えてもらう生活へ大転換?そんな味わいの一つでしょうか。

【日和佐実顕地 間瀬美夏】

 毎朝9時の出発研で石鎚登山を提案。  何日もかけて私の健康の事、体調等心配してくれて、行ったらよい、行かない方がよいと研鑽がすすみ、行ってもらおうとなった。運転手に小野誠、つきそいに小野和子、須田紗弥佳。

 コースも色々調べて一番楽なコースにしたが、実は通行止め等もあって、かなりきついコースになった。足はガクガク心臓はバクバク。私は、紗弥佳が一番に音を上げて休憩しようと言うと思っていたら、毎回休憩を提案するのは私でした。

 石鎚登山の目玉は鎖登り。(頂上まであと数百メートルの最後に鎖をつたって登る急な坂、というかほとんど崖というところがあります)  ためしの鎖というのが最初にあった。「体力に自信のある人は鎖へ、回り道はこちらへ」という道案内があった。私は迷わず「鎖」と決め付けた。

「一の鎖」、「二の鎖」はしっかりがんばってクリア。「三の鎖」をクリアすれば頂上というところで、中間まで登って、登りも下りもできなくなってしまった和子と紗弥佳。一足一足、足の置き場を決めながら何とか三の鎖の下に降りられた。それから回り道を通って山頂へというのもあったが、下山することに決めて無事元気に下山出来た。

 小野誠は登山途中でリタイアして、帰りの安全運転にすべてをかけてくれた。

 色々トラブルはあったが無事帰宅できました。

 翌朝の出発研で、昨日の顛末を報告。みんな自分の事の様に喜んで、面白がって聴いてくれた。 何よりも紗弥佳が限界に挑戦して取り組めたのがよかった。

 私も山は頂上に立つことよりも一歩一歩登ることの楽しさ、そしてすべてのあったことを村人みんなが楽しんで受けてくれたのが何より楽しかったです。

 こんな村づくりをこれからもすすめていきたいです。

丸田隆弘 74歳 日和佐実顕地


 

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コメント

  • 志方貴洋(多摩)

    長いですが、ある意味短い投稿。

    1日(金)夕方、湘南供給所を早引けさせてもらい、
    品川BT発、今治行きの夜行バスで、翌2日に四国に上陸し、
    伊予西条駅からバスで行き、石鎚山登山をして来ました。
    鎖場を使って登る気だったので、朝食はほどほどに、
    背負う荷物は必要最小限で、身軽に登れる様に描き、登山口へ。
    鎖場に行くまでがちょっとしんどかったです。
    「試しの鎖」上り74m下り??mは、看板に「体力に自信の無い人は迂回路へ」とあり、
    今回の目的は山頂に行く事だったので、
    体力の温存と、リスクをかんがみ、「試しの」は回避しました。
    そして、「一の鎖」33mへ。
    ちょうど夫婦の方と一緒にそこに来たので、
    どういう風に上るのか、見させてもらい、上りました。
    とりあえず、一気に上れました。
    次に、「二の鎖」65m。
    「一の」より長さは倍なので、
    上る前に、息を整えて、ちょっと冷静になってから、かかりました。
    さすがに「一の」よりも長さがあり、ちょっとした難所?もありながらも、上れました。
    最後に、「三の鎖」68m。
    息を整えて、ちょっと平静になってから、かかりました。
    「三の鎖」を登りきると、そこは、弥山(1974m)山頂でした。
    すぐそこに天狗岳山頂(1982m)がみえたので、行きました。

    鎖場は、次はどこに手をやるか、足は、と、一挙手一投足を、先を見ながら考え、上りました。
    岩の隙間やくぼみ、木の根や枝などを利用しての、助けられての、登山でした。
    その自分の持っている鎖や岩や自分の腕力を過信せず、
    自分の足場にしている岩や鎖をすべるかもしれないと過信せず。
    すべてのモノに支えられての、登山でした。
    天気は雨が降らず、陽が差してもさほど暑くはなく、
    岩と、木と、先人の付けてくれた丈夫な鎖や、道しるべ、
    靴、イボイボ綿手、衣服、腕時計、
    朝食べたコンビニおにぎりとパン、飲料、などの自分を作ってくれてきた飲食物、
    アドバイスをくれた人、道すがらの人、すべての人、
    時、微妙なタイミング、
    全てが今回の登山に無くてはならない、
    すべてがつながっていて、感謝感謝で、
    命があるのもそれらのおかげ、
    生かされている、自分は生きようとしている、それを感じさせられた登山でした。
    富士山登山も楽しかったですが、人生の中で、一番面白い、楽しい山登りでした。

    アドバイスとメッセージををくれた、丸太さん、和子さん、
    ありがとうございました。

  • 志方貴洋(多摩)

    半年前の村ネット記事にコメント!^V^

    村ネットで「石鎚山に行って来ました」を見て、
    感化され、「行きたい」と思い、
    一冬待ち、春が終わり、
    初夏、夏山シーズン、梅雨前ギリギリ!で「2日に登る計画」を立てました。
    小野和子さんとメール連絡をとって、アドバイスをもらい、
    丸太さんからも湘南供給所にFAXでメッセージとアドバイスをもらい、
    描きました。
    6月2日の天気は1週間前の予報は晴れでしたが、
    昨日までの予報は曇り一時雨に変わり、
    今日の昼以降の予報は曇りになったので、
    夜行バスの予約をして、これからコンビニ発券で買いに行きます。
    梅雨前で、刻々と予報が変わる感じで、ヤキモキしました。

    伊予浅海実顕地があった頃に、交流への行き来の際に、
    見上げていた石鎚山に、15年ぶりに見て、行き、登れるのが、
    うれしく、楽しみです。

    • 佐々木順子 (多摩)

      石鎚山は、高校時代、友人が山岳部の大会で登ってました。
      懐かしいです。
      気をつけて!!

  • 今井 律(内部川)

      丸田さん 日々前進あるのみですね。  とても嬉しく、力をもらいました。
    悠も凛も日々前進成長の連続です。 僕も有記も共にそうありたいです。
    今、僕は大転換のときを迎えています。 さらにもう一つ軽く、大きくなった自分、そんなことを描きながら、今。
    日和佐の一体の家族の中で益々元気に共にやらせてください。

  • 和弘(長男)

    相変わらずのチャレンジ精神は敬服に値します。
    私も50を目前にして淡々とした毎日を送っていますが、生き生きと毎日を生きている親父は心から素晴らしいと思います。
    日和佐実顕地の村人のみなさん、これからも親父をよろしくお願いします。

  • 小西弘光 

    隆ちゃんはいくつになっても本当に元気ですね。 自分は1年位前に坐骨神経痛になり歩くのが不自由になり、整形外科やら針治療で現在は7割位回復しましたが、そこからなかなか以前の状態に戻りません。 今はリハビリも兼ねて前々からやりたかった山登りをしています(山登りと言っても鎌倉山という標高5~600mの近くの山)自分も富士山登頂を目指して少しずつ練習をして行きたいと思います。 帽子で横顔のメガネの人は誠やんですか? なつかしいなぁー。 

  • 佐藤由紀

    丸田隆弘の娘です。
    いつまでたっても少年の心を持った怖いもの知らずの父です。
    またこんなことやりおった…でも、もう慣れっこです。
    さぁ次回は何に挑戦してくれるか、楽しみにしてます。

    以上、代筆の孫でした。

  • 樋口秀範(東京都)

    すてきな笑顔の丸田さんを拝見でき、うれしいです。

  • 吉田茂(三次実顕地)

    丸田さん、ホンマもんやなー。
    なんか、元気出てきたわ。

  • 小野 誠(日和佐)

    ドライバーで途中でリタイアした小野誠です。途中といってもほとんど山には登っていません。(最初の坂を下りた時点で引き返しました。)幸い弁当のおにぎりはもらってあったのでまずそれを食べて、ロープウエイは和子が帰りのキップを持って行ってしまったけど頼みこんで乗せてもらえて、下でみんなの帰りにそなえることができました。

    皆を待っている間に一句・・・

    石鎚の バッチ帽子に もみじがり

    (登山?の記念に買ったバッチを帽子につけて、辺りの紅葉を楽しみました。)

    石鎚や ブナ、楢、熊笹 落ち葉道

    石鎚や ドタバタ喜劇 無事に幕

    (まず、登り口に行くまでに、確かあったはずの道がわからなく、道に迷って、来る車来る車、丸田さんが道の真ん中に出て止めて道を聞いて、親切なトラックの運ちゃんがその道はやめた方がいいと言ってくれて、結局ロープウエイに乗ることになって、ロープウエイ代を払ったら帰りのガソリン代がなくなって、本当に家まで帰れるのか危なかったけどなんとか帰れて、振り返ってみるとまるでドタバタ喜劇のようだった・・・)

    さやか、和子、丸田さんを 連れて行ってやれて 満々足

    (本当はさやかを連れて行ってやれたのがよかったけど、丸田さんと和子も連れて行けてよかった?) 

  • 加奈子(京都)

    丸田隆弘の娘の加奈子です。

    石鎚山の鎖登り!!電話では、聞きましたが、写真を見てまたびっくり\(◎o◎)/!!!
    わが父親を尊敬します。娘の私には、とても登れそうにありません。
    父が、富士山登山のリベンジを考えたように、石鎚山も頂上までのリベンジが来年あたりありそうな予感・・・?
    いつまでも元気に色々なことに挑戦してほしいです。

    また、実顕地の方々。父の無謀な提案について、話し合ってくれ、協力してくださり、ありがとうございます。これからもいろいろとお世話になると思います。よろしくお願いします。

  • 上田師代(タイ実顕地)

     石鎚山、岩がすごいですねえ。
    丸田さんの意欲は、もっとすごい!
    見習わなきゃです。
     
     私も、佐々木悠子ちゃんと12月に、北タイ旅行を計画中です。
    「あのね、悠子ちゃん、15時間のバス旅行だよ。体力なかったら向こうで寝込んじゃうよ。今から鍛えなきゃだよ。」なんて、上から目線で偉そうに訓示。
    着々と自己管理に励んでいる悠子ちゃん。
    腰が痛い、ひざが痛いと言っては寝転んでいる私。
    まるでウサギと亀みたいです。
     すでに書き始めた旅の記録は、まだたったの1ページですが、二人で楽しく描いて
    います。母と娘程の年齢差、私の方が体力つけなきゃです。

  • 小川和男(オ-ストラリア)

    石鎚山ですか。

    懐かしい名前ですね。 私も38年前の独身時代に一度後輩と登ったことがあります。

    鎖場は確かに圧巻ですね。 でも無事に下山出来て良かったです。

    これからも元気で色々チャレンジしてください。

  • 中村 哲(さとる)【京都】

    丸田さん やるなぁ~
    負けてられへんわwヽ(^o^)丿
    小野さん・和子さんも お元気そうで 嬉しいわ♡

  • 志方貴洋(多摩)

    石鎚山、登ってみたい・・・・
    鎖で登れるかな・・・

  • 喜田栄子(豊里)

    丸田さん、すごい!
    3の鎖まで行ったんだ。
    石鎚山は高さより厳しく美しい山ですよね。
    私も20歳の頃チャレンジし、もうだめだと3の鎖で手を離し、
    雪の上に落ちたから命があったような経験をしました。
    最初から回り道に行けばよかったけど、自分を知らなかった。
    苦い経験です。
    無事の下山、よかった、よかった。
    また、話聞かせてください。