公意行と水戸黄門
Posted By 実顕地広報部 On In 研鑽生活
研学Ⅱのあと、公意行について考えています。
他から聞いたことを鵜呑みにするだけでなく、理念についても自分で考えられるところまで考えてみようと思って、やってみています。
うちのリッタさんに聞いてみても公意行という言葉はまだ翻訳できてないそうで、確かに公意行の「公」を辞書通りに「public」とすると何かが大きく抜け落ちる気がします。
なにが抜け落ちるかと言うと、水戸黄門の印籠。
「公意であるぞ!」「へへぇ〜」
と言ってみたくなる気分かな。
もし分けて考えることが可能なら公意行の「公」とはどんな意味でしょう?
そこに権威の後ろ盾を恃む気持ちが混入していては本当の生き方になっていかないのでは?
公共=全人のためであれば「おおやけ」の意味はいらないのか?
しかし、公意行という言葉を初めて知ったときの気持ち、晴れがましく堂々と胸を張って生きていける気持ちは、それなしでは生まれない気がするし・・・。
コメント
公意行とは直接関係ないかも知れませんが、公意行を考え、実践
していくのに参考になりそうなことがあったので伝えます。
週一回の山岸巳代蔵全集の輪読会に参加させてもらってます。
今、第3巻を読んでるところです。
初めのあたりに、『百万羽科学工業養鶏参画認定申込書』という資
料が載っています。私たち村人が、参画する時に出した参画提案書
の原形のようなものです。
その申込書にいくつか記されている中にこんな事項がありました。
「一、私は聊かも私心なく物心共この事業の如何なる処に用いられ
様とも意存ありません。」
「聊かも(いささかも)私心なく」という部分が、気になりました。
私心ってどんなことだろう?
自分の利益を優先に考え行動するとういこと位は思いつくのですが、
どうも実感できない。
何かをやった時に「これは、俺がやったのだ!」と、自己顕示す
る言動。或いは逆にやれなかった時に「俺ってダメだ‥‥」と落ち
込んでしまうということなども私心の現れのような気がします。
ただ、もし私心がなかったら自由闊達に誰はばかることなく行動し
発言することが出来、何でもやれるようにも思います。
失敗も成功も関係ない。何の損得勘定もない。ただやれていくよう
にやっていくだけ。
この年末も、牛肉の注文取りに奔走しました。
ただ、今回は「いささかも私心なく」というところを意識して注文
取りに没頭しました。
昔、活用者だったお宅も思ったより以上に訪ねまわることが出来ま
した。断られても、気持ちを引き摺ることなく次のお宅、次のお宅
と訪ねまわることが出来たように思います。
ただ、こんなことがありました。
A5ランクの黒毛和牛肉を合計2kg予約された方がいました。
贈答卵も注文して頂こうと思い、後日伺いました。
「お歳暮に牛肉をいっぱい頂いたから、予約はキャンセルします。」
と言われて、思わず「エ~、そんなぁ~、がっかりだなぁ。」と言っ
てしまいました。私の落胆振りを見てその方は、A5の切り落とし2
パックと贈答卵1セット再注文してくれました。
後から振返るに、「必要なものを必要なだけ届ける」という供給の
の本義(公意)からかけ離れた「実績を上げたい」という私心を満
足させる為の言動だったように思います。
私心のないところから出る言動と公意行、何か関連がありそうな
気がします。
日本の天皇も元はといえば自然信仰の象徴なのだから、百姓なら日の光、土や水、空気、そして人も、掛け値無しにそれなしではやっていけないものの象徴としての「公」であり、それらが国作りの大本と捉えると、それはスイス人にもモンゴル人にも韓国人にも潜んでいる気がします。
現代では、それ等に生かされている、という実感は得られにくくなって形骸化してるのかもしれない。「公」を生んだのは昔の人の願いや切実さ、かなあ。
私は「公意行」を「みんなの考えでやる」というような意味で捉えています。
これは個々人主義の「独走」に対して「一体のいき方」とも言えるものだと思います。
旧来観念で考えると「みんなの承諾を得てやる」という意味に捉えがちになるが、個々の判断でみんなが合意したということとは違う質のもの。
ヤマギシズムでは、私を含めたみんなの考えの一致点、みんなが一つの目的に向けて考えを出し合って見出した「こういこう」となったことは、一点の曇りなくやれるはず。
みんなの意志でやる。みんなの意志をやらせてもらう。うしろめたさや恥じるところがない。
結婚披露宴でみんなに祝福されて送り出される時のような晴ればれした気持でいけるのではないだろうか。
これはみんなと一つになってこそ何の違和感もなく自然にできるものだと思う。
一緒に考えていきたいです.無現象界を本当の在り方に持って行かなければ、、、とあります。ひとりでは、到底ならぬこと。共に研鑽していきたいです。今年も、皆さんよろしくおねがいします。