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幸福の書(養鶏書)を読む


「必須条件」

 第18回養鶏法研さん会との交流をやってみて、必須条件にしている「×精神50」の存在を考えてみたいと思う。

養鶏書

山岸会養鶏法

 この「必須条件」ということは、これはこれなくてはいけませんよという枠組みである。勝手に変えられないのがこの要素である。近々免許の書き換えをするが、視力0.7が必須条件である。

 視力が弱り0.6の視力しかなくて、乱視矯正のレンズ交換をしたら0.8になり、なんとかいけそうという具合にその条件を満たしていく必要がある。
これは自分がその方が得策だとするものがあるからやれる。そうでなかったらやらない場合もある。

 この幸福の書(養鶏書)の必須条件は、養鶏書10ページの10行目にある。こういう観点は自分が参加した場合も軽く見過ごしている。「必須条件」ですと書かれていても、「ハイハイ読みました」となる。「いえ読みません」でもやれる。

 この辺がこの書からの、読み過ごしていきますか、それとも軽くいなしますか?読み手の皆さん!という呼び掛けでもある。そのように受け取っている。

 ここは素直に「はい、分かりました。会旨を必須条件にします。」このように解りのよい人になる。そうなってみると、長年、会旨というものの自分の中での位置付けが、ぼやけた存在だったと言わざるをえない。
 まあ大事なものであるとは思いつつ、念仏に近い存在ともいえる。それ以上にそんなんなのはもういいよという人もいるかもしれない。

(2011/03/02 豊里実顕地 吉田牧生)

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コメント

  • 福田律子(春日山)

    幸福の書を読むー牧夫さんのコメントが続いて入っていて、又仏教の話かと飛ばそうと思ったら、風呂美化の楽しげなコメントでした。

    前をさかのぼると毛虫の話もみつかったり、仏教ばかりでは、なかったのに私の中に牧夫さんのコメントイメージが出来かかっていまし

    た。日常生活のささいな瞬間を捉えて仏の心を説いてもらえると、私にも「ふーん」と伝わってくる感じがあります。マッキー、そこの

    ところ、よろしく!

    • 吉田牧生(豊里)

      律ちゃん

       宇宙論とは正反対のミニミニなゴミ箱クラスの話しを、豊里毎日研で出し合っています。
      自分を妄想のゴミ箱だと教わるのですが、ついつい自分を宝もの扱いです。

      そんな高慢なじじいを、タダのじじ~にしてくれる有り難い排水口のヘドロです。
      自分のヘドロは後にして、先ずはみんなの使う風呂のヘドロ掃除から!

                                                  牧生 

  • 吉田牧生(豊里)

    「地獄の底へ引っ張るもの」

     山岸先生が、酷評かといわれるかもしれんがと断って、「仲良かったらよい」 「楽しかったらよい」と言っていると、間違ったら、たくさんの人
    を地獄の底へ引っ張って行くもの。と当時相当に研鑽の進んだ人たちに、指摘されている。その心の底を検べなさいと。これは全集(五)69~70ページにあります。

     それから30数年、イズム生活を続けている私たちですが、仲良くやっていても、真理を抜きにして現象をみて、良いではないかというのは、精神50がゼロだけで済まず、嫌な地獄に行くかもといわれるその落とし穴にはまることを避けたいものです。

    • 吉田牧生(豊里)

       「ピカピカのステンレス」           よしだまきお
       
       日曜日の午前はお風呂美化をしました。その日は女風呂をやりました。この風呂掃除で一番楽しみなのは、ポリッシャーを掛ける作業です。浴場が結構広いので時間をかけて丁寧にします。ここで先ず嬉しいとがありました。今までは重曹を使って磨いていましたが、今回からクレンザーになったのです。
       私は嬉しくなりました。これは重曹だとポリッシュしても泡がでないので、作業の確認がし難いのです。それがクレンザーだと磨くと泡が出て、ポリシャーがかかったところがはっきりするのです。

       私が特に楽しみたいのが、ポリシャーを掛けていくときに、五㎝位重ね掛けをするのです。これをどれ位正確にしかも連続的にやれるかを楽しみます。 これにも、事前にクレンザー散布が関係して、その量も距離間も均等にやればやるほど奇麗に泡の模様が出来ていきます。この楽しみがやれるのでとても嬉しいのです。

       泡が徐徐に消えていく様は「無常の世界」を抒情的に味わう時でもあります。ぜんぶ終わって水を掛けて流すとぜんぶ奇麗さッパリです。人生もこうありたいと、実に気持ちがいいです。

       次に排水口の掃除です。これは三カ所あります。仕組みは三層構造になっています。女風呂は髪の毛が多くありますが、その時妄想が出る時があります。お、おう妄想ですねと観察確認して、気づきの機会にします。続いてそれぞれ器具を外して磨きます。

       そして一番底はステンレスの箱になっているところがあり、ここにクリーム状のサラダドレッシングとも見えるものが全面に付いています。これをブラシで落とします。そこへ水を掛けると、ピカピカのステンレスが出てきます。これがとても気持ちいいのです。

       なんていうかその爽快な気分はこれはもう、ご馳走さまっていうところです。
      特に最近はストレッチで腰が柔らかく曲がるので屈むのはイト易しきことです。体が硬いとこの辺はやりづらい掃除かもしれません。この作業をやるためにもストレッチはかかせません。

       ここはまあ言ってみればどのようにでも自分の裁量でやれるのですが、全身を使って、善心を使って磨いて美化します。この静かな誰もいないどうってことのない場所であり時間ですが、夜になると、大勢の人が出会い楽しみ、空になる空間として、大家族のみんなが集う場なのです。

       一日のすべてを放し、疲れをとり、リフレッシュゥする場です。そういうところも心の片隅に置いて、そこで今、自分はどのような心境でこの場に居るかを、自分の心をもう一人の私が観ていく。これは冥想実践でもあります。今この一瞬、この排水口で屈んでいる私が人生のすべてなのです。そういう感じです。

       この地球の日本の三重県の津市のお風呂の、排水口の三層のゴミ取り器具の下の、狭い狭いところに、ピカピカのステンレスと出会う瞬間があるのです。この瞬間は、明るい昼の世界の扉を開ける瞬間でもあります。こんな一時の楽しみを味わえるお風呂美化です。

           ~ 私は変わる。 世界も変わる。~

  • 今井 律〈内部川)

     本当にやりたいことになっているか 全てはここかと思う。          自分も必須という言葉を見ながら、んんっそうかっ!そうだよなっ!と分かったように流しているだけ
     自分は左手を無くして片手で30年程やってきてるが、本当にやろうとしてることは何事も(ほぼ)成してきたように思う 周りからは褒められたり、感心されたりするが自分にとってはやりたいことを、やりたい気持ちでやり遂げただけで特に特別なものはない そこの中身ってなんだろうか?時々考えるがハッキリしてないな。 

    • 吉田 牧生(豊里)

      *律 本当にやりたいことになっているか 全てはここかと思う。

      まきお: ヤマギシズムの世界を最も簡単に完結させている、すべてを
      顕す式になっている。ヤマギズムからの人類への贈り物と云えるもの。

       さて、技術と経営はどんなに拙くても、めちゃくちゃでもゼロには
      ならない。何しろ何か行為をすると実数が付く世界です。技術(1)+
      経営(1)としておきましょうか。計2点になります。
       
       一方精神50の方は「幸福感」の世界ではゼロになります。同じく
      獣性の世界もゼロ。個々人主義もゼロ。自己中心・自己所属団体中心観
      もゼロ。幅る恥ずかしさを知らないのもゼロ。私があるというのもゼロ。
      先の心配もゼロ。腹のたつ世界・怒りの世界はゼロ。

      それに、「仲良かったらよい」「楽しかったらよい」と現象を見て
      「良いやないか」とする観念が入ったらゼロ。いろいありますね~

       

      • 吉田牧生(豊里)

        2011/03/04 「ゼロの判定」

         大学入試でインターネットを使った新手のカンニングが
        現れた。ネットを使って試験の解答を得る。養鶏式(技術
        20+経営30)で見ると技術はかなり高得点になりそう。
        自己満足の経営方針は何点だろうか。
         
         カンニングの精神は、持つ社会での世間の道徳に合致せ
        ず零点となります。それに加えて穢罰の対象にもなりそう
        である。目先の近欲に取り込まれてしまった。そして試験
        に通りたいという願いとは反対の結果になる。

         省りみて、ヤマギシズム社会では、自分のみの近道をし
        ていると零点になります。それも(技術20+経営30)
        も併せてゼロになるという原理精神でとても厳しい。

         入試の場合のカンニングは約束ごとから外れたこととし
        ての自覚があり、隠れて行う。

        ヤマギシズム世界では、「×精神50」の場合は

        ①良いと思ってやっていて零点・ゼロになっている場合。
        ②この原理精神に無関心の場合。 心が目覚めていない。
        ③敢えて無視をしている場合が考えられる。心の中で隠れている。
         こういう区分けをしてみる。 

         カンニングは世間常識と法律で裁かれる。精神50は、その判定は会旨をもってされる。

    • 吉田牧生(豊里)

      「まるまる太った毛虫」

       スモモ園で活性剤の散布をしていました。ある枝にまるまる太った毛虫がいました。暫くの期間、地面に降りていてもらおうと思いました。この果樹園は虫も人間も果樹の樹も共に暮らせるといいなというのでやっています。ですから
      毛虫は、葉っぱが大好きですが、収穫後に葉っぱの食道にしてもらいたいのです。

       それで小枝を拾って、毛虫を落としました。落としてから毛虫に対して自分の心は優しい気持ちだったかなと振り返ったのです。もう一つはっきりしません。今度出会ったら、落とす前に、自分の心を観察してからやろうと思いました。

       次に二回目の毛虫に出会いました。気がつけば小枝を持って落としていました。よし今度はやる前に冷静に心を観てからだと確認です。この日、五匹の毛虫を事前確認なしで落としていました。これほど意識してこの様です。

      静かな緑溢れる佇まいの果樹園でこのあり様です。これが人間として今生きている現実なのだと、うな垂れ気味&笑っています。

       多彩な色合いの可愛い毛虫を同じ生命として受け入れていこうとしてやっているのですが、心はまだ彼らを嫌っているのです。

      それ故でしょう、突然毛虫に出会うと、嫌だという怒りのエネルギーが瞬時に起きて怒りが私を動かしているのです。お釈迦さまか説かれる、人間の本体は怒りのエネルギーだということを思い知らされた五匹の毛虫さんです。ありがとう!

       今はその怒りがでれば、瞬時にそれを観察してそれの二次被害をつくらないように冥想実践をしていきたいです。毛虫が人になったり、時には物になったりするので生きていくのは大変ですが、心を無限大の慈しみの世界にしていく挑戦は楽しみです。

              ~私h変わる。世界も変わる~

  • 杉(春日山)

    吉田牧夫さんの意見に対し わたしは

    ×精神50の『精神』に注目して 私の『精神』がどのような

    精神か観てみることだと想う。

     わたしの内心は(人と繋がりあって生きたいと、思っている)が、

    この思いは日頃は、私のこころの、第3層あたりに、潜ましている感じがする。

     それで、このような、互いの内面を知り合っていく研鑽をしていきたいと想っている。

     私の中では、その研鑽会の一っが春日での「新しい実顕地像を・・・描く研

    鑽会」となっている。