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昨日は今日ではない


 昨夜の豊里実顕地での特講交流研で、参加者の若い女の人が研鑽中に自分の眼前からフィルターが外れて行く光景があり、事実を見ていないことに気づかされましたというのがありました。

 終わり際に彼女と幼年部出身の18歳の青年がその場で出された山岸先生の真理の言葉、『昨日は今日ではない』に心を動かされましたというのがありました。

何年も村で暮らして養鶏法で研鑽してその世界に触れ出した身にとっては、特講生のフィルターの外れ具合に『昨日は今日ではない』殻外しを迫られた研鑽会でした。参加して幸運な時間を過ごすことが出来ました。このことを、春祭りの行事として、公人の丘に報告してきました。

【豊里実顕地 吉田牧生】
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コメント

  • 吉田牧生(豊里)

    5月特講の受入れで50年間この特講を続けて戴きありがとうという参加者のメッセー
    ジがあり、自分もそれに同調し、元気エネルギーを充足しまた。
     
     多くの方のご縁があって今あることをとても嬉しく思います。このような出会い
    のできる徳!を授けて貰って生まれてきていることを知る身になってきました。

     ヤマギシズムに出会えたことは人生最大の幸運です。宝くじに当たったのです。
    しかしこの手にした幸運券を宝に交換する必要があります。でないと宝くじに当た
    ったと喜んでいるだけになります。具体的にお金にするのには銀行に行く必要が
    あります。

     つい最近その銀行として、ヤマギシズムが発見された向島に韓国Gを始めた尹
    (yoon)さんと一緒に行って来ました。そこには時を越えた換金窓口がありました。

     自分が30年前にそのくじ券を手にして以来、漸くにして宝物と交換する機会を
    得たのです。具体的に手にしたものは山岸会養鶏書の3ページにある『昨日は今日
    ではない』という一節です。それにその前後の一文です。

     何の変哲もない、小学生でも知っているところのことなのですが。 大昔に石
    や貝殻が貨幣のところへ商品券をもっていってこれで物が買えますという世界の
    ようです。

     幸福感は話しにならんですよという山岸先生は、「世界は変わるが、自分は変
    わらない」という自我思考から、「私は変わる。世界も変わる」という無常観を、
    『昨日は今日ではない』というとてもシンプルな自然現象を使って表現されました。

     凄い智慧の世界です。自我、私、があっては理解も近寄りも出来ません。
    元もと、存在は無我で、私・自我と言える実態はありませんという世界です。い
    よよ・・ゲゲゲ・・の世界です。

     その手始めは、怒りを当たり前にしていたところから、当たり前にしな
    い世界に気づく。です。受入研で熊雄さんが怒りを甘く見ないように言われた
    いましたが。

     変化は当たり前だと思っていても、良い変化、気に入った変化を歓迎します。
    しかし気に入らない変化はNOサンキューがこれが私たちの、俗の観方です。

     地震。津波・放射能・老化。病気になる。死。・・・・は嫌で受け入れません。
    子供の成長や病気が治った変化はお好みで歓迎です。

     宇治市向島で山岸先生に声を掛けられました。『昨日は今日ではない』は
    集中力を養って心の眼を使わいないとこの変化を発見できません。心の眼で見
    ると、心の無常も、物質の無常も見えてきますよというお話でした。

      先ずは昨日のことはすっぱり昨日のこと!昨日の怒りもあれやこれも
     昨日のこと。つい先程の怒りも過去のこと。この実践!!!

  • 吉田牧生(豊里)

    月曜の果樹菜園の職場研でのこと。風邪でご無沙汰の佐貝さんがいて、毎日研で同じ身
    なので、昨日ではない今日の身体ですねと声を掛けました。その時私の隣にいた人が、あ
    なたは「昨日は今日ではない」が好きですねといいました。タダそれだけの言葉なのに、
    その瞬間、私の心に極く極く微かな怒りが出ているのが観えました。観察の眼が入ると怒
    りは瞬時に消えていきました。

    この動きを時間の流れで観ると、話す私という人(A)がいる。隣の人の話を聞く私
    (B)がいる。そこで微かに怒る私(C)がいる。怒りの消えた私(D)がいる。これは
    昨日の私と次の私という変化の流れです。それに観察者も合間にいます(これはE?か
    な)。

    この動きを高速ビデオで解析したら一コマ0,0001秒くらいでしょうか??

    何れにしても心&脳の動きは超高速です。こういうところは最近の脳科学ではかなり研
    究が進んでいるようです。でもいくらそこが進んでも自分の今を生きる心を育てるのは自
    分の理性であり知性です。

    山岸先生が人生舞台で踊る自分の姿を、離れたところから物差しのない眼で観察しよう
    と云われているのはこういうとろの観察実践を云われているのです。
    まあまあ!このように言い切れるね~ですね。(Fの人)の観方です。今は絶え間なく昨
    日・過去になっています。

  • 新村正人(加賀実顕地)

    牧生さんが以前ヤマギシ会メールでスマナサ―ラさんの文章を転載し続けた事があって、当初なんだか鬱陶しい気がしたけれど、ここまでするからには、と思って、’怒らないこと’ⅠⅡ、香山リカさんとの対談、’生きる勉強’を読んでみました。とてもよかったです。ありがとう。最近、’小さな悟りを積み重ねる’というのを見つけて、買ってきましたよ。
    まだ読んでないけれど、冒頭に日々の小さな悟りは必ず大悟に通ずると書いてありました。

  • 吉田牧生(豊里)

    特講受入研で、受講者の青年が『如何なる場合でも腹の立たない人になる』という特講の第一目標を力強く表明してくれました。その後第一回特講の渡辺さんが、腹の立つこと・怒りを軽んじてはいけないというようなこと言われた。

     「如何なる場合でも腹が立たない世界」のというのと「自分が腹を立てないで安泰にいる」というのはまったく次元の違うことなのですよ。そこを混同しないようにして下さいねと。そのように受け取りました。

     村の暮らしの恩恵を享受しながら幸福に暮らしている日々です。しかしことあるごとに自分の心は怒りのエネルギーを発生しています。数年前に、「どんな時でも怒らない世界」に挑戦することを生きる目標に定めたのですが、少しづつ実践していると、チョロチョロと心の観察が進んでいて、よくまあ〜こんなにも怒りを出している自分だなあと笑えてくる昨今です。
     かっ〜となる怒りはほとんどありません。しかし何かに出会った瞬間、気に入ったときはホイホイ!路線が違うと、心の奥でNO・嫌のエネルギーがでています。ケシ粒より小さいものから、結構大きくなるものまでいろいろです。 

     熊雄さんの腹立ち・怒りを軽んじないようにという先生直伝のメッセージは有り難く心に響きました。

  • 麻野幸子(豊里)

    仲良し班から3~4人づつ参加して特講交流研を豊里でやり、初めて研鑽にふれた人からの感動なのか、わたしも新鮮なこころの響きを味わいました。

    「今、特講でやっているテーマとこれからの生活でやっていく研鑽が結びつかない。日頃、職場でどんなテーマで研鑽しているのですか?」オーストラリアから参加の女性。これからの社会づくりに研鑽方式を採り入れていこうとの念いが伝わってくる。

    「参加するまでヤマギシの情報を色々集めていたけど必要なかった。特講(の過程)をやってみることだった。」香港から参加のひと。この人も社会づくりをやってきた人だと聞く。

    こんな人たちに「研鑽」を体得してほしいなあ。

    昔からノンポリ、政治やら社会には全~ぜん興味なし。   自分が楽に幸福に生きていきたい!だけで来たけれど・・・。と、言っても、やっぱり、もっとわたしの幸福を究めていくに限るナ。