ヤマギシのむらnet

今、実顕地に問われているもの -自由-


 今年の夏の研鑽学校は海外からの参加が多く、家畜の防疫のため急遽阿山実顕地で行うことになりました。
 そこで、阿山実顕地に住んでいる西村さん達は別の場所に移動することになりましたが、猫を飼っているために引越し先の住人の同意が得られず、なかなか引越しが出来ませんでした。

西村さんが夫妻が飼っているねこ

 そもそも猫を飼い始めたのは、供給所で猫を飼うとネズミが来ないというところからだったそうです。
 伊賀地区でも猫を飼っている人は何人かいますが、その話題で仲良し研などではたくさんの意見が出ました。

「猫は好きなんだけど、外を歩いた足で宿舎の給湯室や廊下を歩かれては適わない。長靴をはいた猫ならよいけどね」
「躾がちゃんと出来ている猫だったら、同じ宿舎でも良いのだけど」
「そもそも実顕地でペットを飼うというのはどうなんだろうか・・・」
「猫を飼っている人が暮らせる宿舎を決めたらどうなのか」
「西村さんは猫を家族のように思っていると思うので、西村さんの気持ちを大事にしてあげたい」

など、猫のことだけでも様々な考え方があることが分かりました。

青蓮寺果樹の休憩室

 今回は時間もなく、研鑽学校が開催されている間、西村さんが猫を連れて青蓮寺果樹の休憩室に住むということになりました。最初は軽く考えていたのですが、今年の猛暑(室内は、日中は40度を超えていたようです)でクーラーもなく、夜だけとはいえ厳しい生活を強いられたそうです。

青蓮寺果樹の休憩室


 

 私は最初、廊下続きの宿舎で猫を飼うのは、できたら、やめてもらいたいと思っていました。でも、西村さんと桂子さんの話を聞かせてもらって、二匹の猫を見たら、「二人にとって、今いる猫はペットというより家族なのだろうな。これから新たに猫は飼わないだろうけれど、今いる二匹の猫を簡単に手放すことはできないのだろう・・・」と、西村夫妻の気持ちがとてもよくわかるような気がしました。

 考えてみれば、一人一人違う意見がある中で、実顕地のように一緒に暮らしていくとはどういうことなのか・・・。
 猫のことだけでなく、お風呂の温度から食堂やロビーの室温、食事のメニュー、タバコの臭いなど、この暮らしの中では、個人の考え方の違いから起こる様々な出来事があります。
 そうした中で、みんなが納得して暮らしていくには、どのように運営していったらよいのだろうか・・・。

 実顕地に問われているような気がしています。

青蓮寺果樹の休憩室 正面
日中室内は40度を超えていたようです。

【春日山実顕地 柳 順】
コメントがあります( 表示する | 表示しない

コメント

  • 新村正人

    30年前頃カナダのバンクーバーに初めて海外転勤した時に、毎日の様に新聞で貸家を探したのですが、良く目にしたのが賃貸条件として、pets and kids NA(ペットと子供不可)という文言。当時、えっ、子供とペットとおんなじ扱いなの?と結構びっくりしたことがあったのを思い出しました。今思えば、貸す方にとっても、借りる方にとっても別の立場からペットと子供は同格だったのかな。

  • 豊里G 喜田栄子

    幸ちゃんのコメントの最後を読んで思ったこと

    「順ちゃんの私意はそのまま。徹底して「自己中」のようだ。」
    どの辺りを聞いて徹底して「自己中」のようだ。と思ったのか、聞きたいなー。

    徹底してもどんな状態を言うのか分からないし、

    自己中ってこの場合どんな感じなのかも私には分からない。

    もっと、そう感じた辺りを教えて、、、。

    • 麻野幸子(豊里)

      「徹底した」自己中と呼びたいのは、優劣とか上下関係やら遠慮、気兼ねなどから解放されたというか、それらによって曲げられることのない自由一色の私意。
      割と、これを「徹底する」のがムズかしい。どこかで私意を自分で曲げて不自由をかこってきた。お金だったり常識だったり。

      西村さんのネコと一緒に暮したいという私意と「実顕地ではネコは飼わないという順ちゃんの私意」が矛盾することなく順ちゃんの中にある、と思った。
      そこが徹底した自己中だな。

      • 平島春美 (春日山実顕地)

        ふーん そんな風に『自己中』をとらえるのか?と新鮮!

  • 山本孝志

    猫のことを思い出すときりがない。
    最初の記憶から19歳で実家を出るまで、ほとんど毎日同じ布団で寝るような生活だったから。
    うちでは勝手口を訪問してきた猫を、空席があれば家に上げるという方式で代々飼ってきた。
    古い木造家屋だと猫は自分で引き戸を開けて出入りする。
    ネズミを捕ってきて見せたり、蛙をはき出したりする。
    夕食は同じ部屋で同時に食べるというのが、うちの生活リズムだった。
    食卓に上がったら、こらこらと落とし、膝の上にのせたままご飯を食べることもあった。

    もし実顕地の宿舎で猫を飼うなら、当然愛和館にも入ってよいことにしたい・・・などなど考えますね。

  • 麻野幸子(豊里)

    昨夕の研鑽会で。順ちゃんは西村夫妻の話を聞いたり、ネコたちを見たりして、二人の心情が伝わってきた様子。分かるなあって感じを話していた。

    で、それって西村さんらの私意を尊重したってこと?となりかけたんだけど、「私意尊重って、話合ったり、見たりしてからするのかなあ」と言う人がいた。
    その前というか、元々、最初から「私意尊重」がある。

    うん、話合う前のわたしのこころの状態のことだよなあ。こころのホワイトボードにどんどん色々の私意が書き込まれていく感じ、消されることもなく。

    で、二人の心情は響いていて、順ちゃんの私意はそのまま。徹底して「自己中」のようだ。 更にどの私意も成り立つ道を探っているらしい。

  • 岡部実顕地  鎌田未来

    岡部にも猫がいます。廊下はスリッパを履いてるのであまり意識していませんが、良いんじゃないかなと思う反面今ひとつだなと思ってます。岡部ではそこのところ研鑽はしてるのかな?僕が来てからは研鑽していません。防疫・・・どこまで本気で取り組むか・・・

  • 中村 哲(さとる)【京都】

    実顕地に”自由”を問うているってのはどこのどいつだぁ〜い?。
             アタシだよっ! 
               満足かい? この、〇☓△◇!(自粛) 

  • すぎ(春日)

     猫を飼うことについて か・・・・・あ?

    実顕地とっての自由と言うよりも、身近なひとどうしの、こころの通い合い、通じ合いの事とおもえてくる。

    「隣りは何する人ぞ」の関係でなく、「そうそう 桂子と、あの猫チャンたちとは、すごくすごくなかがいいのよ」などと、会話できる、

    ひと と ひと の繋がりが、いるような 氣がする。

     実顕地の運営も理〔=ヤマギシズムの人間論の深い理解〕に基づき、自分も相手もよく知り合った運営で、ここちよい暮らしと、各自の持ち寄りで、イズムの華を咲かせるものにしたい。

  • 佐川清和 春日山実顕地

     このテーマは、実顕地という理想とする部分社会を有志で自ら好んで創ろうとした場合必ず直面する「矛盾」です。
     本当の自由を求めて寄ってきたのに、反対に現状の資本主義的自由以上に自由が制限されるような不自由感・窮屈さを感じるという「矛盾」です。
     他人事ではなく、自分自身にかかわる切実なテーマです。
     自分らの住む実顕地での自由の究明こそ今一番先に取り上げる課題だと思う。これから当分これ一本で研鑽して、理論と方法と実例とを日常些細なところに見いだしながらくり返しくり返し検討しつつ、そんなヨチヨチ歩きの歩み自体が次に来るかつてない社会実験の参考資料になっていけばよいなあと願っています。
     資本主義の自由は、競争の自由・かってなふるまいにある。必然、個人の自由と個人の自由とが重なり合う領域があって、そこで互いの領域を侵害して自由が制約されてしまうマイナス面がある。しかもそこから優劣、上下とかの差別も生まれる。また個人の欲望を無限に増大させ、肯定するところにも特性がある。
     そこに我がヤマギシズムが登場するのですが、はたして資本主義的自由以上の自由を満喫しているだろうか。 実感的に、社会制度的にどこまで確立されているのか?
     そんなことを日々思い描きながら、「矛盾」がいつしか解消されていくそのプロセスが面白いのです。
     これでは一年か、三年か、一生か、……
     「トンボ釣り 今日はどこまで 行ったやら」
     

  • 山本孝志

    私自身は、生まれて最初の記憶が「朝起きたら布団の中に子猫がいた。その子猫について話している人がどうやら私のお姉さんらしい」というものです。
    それから実家にはずっと猫がいて、姉の家にもずっといますが、今の、実顕地の、宿舎の中で飼うのは賛成しかねます。
    猫と同居しやすい、その目的にかなった住宅を用意することには賛成です。

    「実顕地に問われているような気がしています。」というまとめにはちょっとひっかかる。

    早川和男(日本居住福祉学会会長、神戸大学名誉教授)という方の本が何冊も出ていますが、ある意味で非常に刺激的です。おすすめです。