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モンゴル料理に悲喜交々


モンゴル料理のマントゥを作ってくれました。

モンゴル料理のマントゥを作ってくれましたが・・・。


12月に入って色々な角度から自動解任の研鑽がなされています。
全研もあったし、詮衡委員会の中でも一味違った研鑽がなされたようです。資料研も次に向かって何か足掛かりがつかめたような・・・。

そんな中で先日モンゴルの研修生4人(豊里からダリさんが参加)が一日がかりでモンゴルのお祝い料理チャナサンマハとマントゥを作って愛和館に出してくれました。日本ではまだまだなじみの薄い羊の肉を使った野菜スープの「チャナサンマハ」と蒸しパンのような「マントゥ」です。マントゥはスープに浸しながら食べます。
大きく切った骨付きの羊肉と、丸ごとじゃが芋と大きく切った人参と玉葱に味付けはもちろん「モンゴルの塩」です。とてもシンプルなものですがモンゴルではお祝いに羊1頭をもっていくようなお国柄ですから、みんなでそのお肉を頂くのでしょう。丸ごと命を頂くという意味もあるのでしょうか。

当日の厨房はモンゴルの研修生4人となな瀬さん・ひかりちゃんを中心になにやらとっても楽しそうです。
4人のモンゴル語が飛び交うなかで
「言葉のわからない逆の立場になってみると日頃、彼らはこんな感じなんだろうなーと思ったよ」
と東部食生活の正美さんが言っていました。
食べた人の感想は「意外に美味しかったー」という人と「いやーあの匂いがどうも苦手―」と色々でした。

文化の違いとは実際に触れてみるとこんなことからなんですね。私達は日頃、豊富な野菜を食べることでビタミンCや微量栄養素を摂取していますが野菜の出来にくい、モンゴルやエスキモーなどでは動物の内臓を生で摂取することでそれを取っていると聞きます。本当に違うんですよね。
彼等が動物に接する姿も見させてもらって、自分が感じている世界と全然ちがう世界を見た感じでした。
頭でわかっていることと実感するということは全然ちがうことも感じる出来事でした。
何かいろいろんな事がなこんなふうに違うんだろうなー。

【春日山実顕地 平島春美】

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モンゴル研修生3人が、モンゴル料理を作ってくれました。

羊の料理を用意してくれたムンクは、お楽しみ会の時に舞台上で歌を歌った時には緊張して心臓がドキドキしていたそうですが、羊の料理は当たり前のことを当たり前にやったという感じで、緊張もしなかったようです。

バヤラはマントゥーを500個も作ってくれました。

作る時には、食生活部の人が粉などの材料を計量して用意してくれていたのにもかかわらず、目分量でアバウトに作り上げたようです。楽しかったと言っていました。 ただ、「順さんに羊の頭のスープを食べさせたかったのに」と、残念がっていました。

食べさせてもらうほうの私達は、どんな料理なんだろう・・?どんな味がするのだろう・・?と、期待と不安が入り混じった感じでしたが、実際食べてみての感想も様々でした。中等部生の千里は、「匂いが甘い」と言ったり、他の子どもたちも「うーん」と言いながらもよく食べたようです。

幼年部の大樹は、世界一おいしいと言いながら、骨までしゃぶっていたそうです。

日頃、モンゴル研修生たちに、「野菜をたくさん食べなさい」とか、「これおいしいよー。どうして食べないの?」と言っている私たちも、彼らの気持ちが少しわかったような日でした。

柳 順


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六川交流から帰ってくると、研修生達が羊の煮込み料理を用意してくれることになっていました。

当初はスープ餃子の日に一緒に出す予定でしたが、食生活部では、そのことってどう考えていこうかと出発研で話題になったのが2日前でした。

メニューを2本立てでやろうとしている元は?羊料理へのイメージ?食べれない人への配慮?みんなの反応が怖いから?? そんなことを出し合ううちに、研修生が1日がかりで用意してくれる料理をメインに 「今日のメニューはこれをどうぞ。」 と胸をはって愛和館に用意していける自分でありたいな、と言う気持ちが湧いてきて自然とひとつになっていったのがおもしろかったです。

あらかじめ、ビャンさんに通訳をしてもらっての打ち合わせはしてあったものの、自分が1度も食べたことのない料理を一緒に作るのは初めてでした。

「これはどの位の時間でできて、食事時間に間に合うかどうか。」と内心はらはらしていると、だいじょうぶ、だいじょうぶ、と口を揃えて声をかけられ、私にできるのは、回りで動きやすいように考えることくらいでした。 豊里から来てくれたダリさんを含め4人の中に受け入れて貰って、命を頂くということと、ひとりひとりの力強さを感じさせて貰いました。

4人で幼年さんにメニュー紹介をしてくれたのが、とっても良かったです!!

奥田なな瀬

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出発研でバヤラからモンゴル料理を出すと聞いて、

「羊の肉は焼いたらうまいけれど、茹でるなんてもってのほか!なんで茹でるんだ?」と思った。

愛和館で一緒になった人たちに聞いてみたら、だいたいの人がその日は愛和館では食べないと言っていた。

当日食べてみたら、臭いもそんなに気にならなかったし、スープの味が薄かったけれどまあまあだった。でもやっぱり、肉は焼いて食べたいものだ。

渡部 正

羊の肉は以前から苦手だった。でも、モンゴルの研修生たちがせっかく用意してくれたものだから食べに行ってみようと愛和館に行った。

そうしたら、カウンターの上に大きな骨付きの肉が乗っていて湯気を出していた。その臭いを嗅いだとたんに、「これは無理」と思った。でも一口食べてみた。「やっぱり無理!!」

バヤラに、「せっかく用意してくれたのにごめんね。」と言ったら、「なんでー?」と、不思議そうだった。

波田 朋香

愛和館でモンゴル料理を出すことになりました。羊の肉の煮込み料理とのこと。

「エ〜ッ、羊の肉って臭いんだよねえ。しかも煮込みだったら、スープもきっと臭いんじゃないかなあ。愛和館もそのにおいで臭くなるんじゃないかなあ。次の日お楽しみ会なのに、お腹こわしたりしたら台無しだよなあ・・・。」

と、次から次へと妄想がふくらみました。でも羊の肉を食べられない人も多いだろうから、その日のメニューのスープ餃子も出すということになって、ホッとひと安心。

ところが2・3日して、その日はモンゴル料理一本でいく、と聞きました。そのとき、なぜか「エ〜ッ」という気持ちは全然出てきませんでした。食生活の人たちの公意の見出し方に今までと異う質のものを感じ、「私も食べてみよう。」と素直に思えました。気持ちを切り換えたというより、切り換わっていた、というのが実感です。

14日、とても楽しみな気持ちで愛和館へ行くと、立派なモンゴル料理が用意されていました。中等部生たちの反応も、4人4様でおもしろく、私も実際は羊の肉は少し食べただけでしたが、とても味わうことができました。

逢澤 真知子

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コメント

  • 新村正人(加賀実顕地)

    15年くらい前のけんさん紙に「文化が異なるのが問題なのではなくて、異なる文化と文化が接触する時にそれをどう受け止めるかが問題なのでは、、。」と学園生のお母さんが書いていたのを今でも印象深く覚えています。文化はそれぞれの地域で種々多様な要素、条件のもとにその地域の人の快適な暮らしの持続にとって最も適するように、永い時間をかけて醸成されてきたもの。異なった文化圏に適応して生きてきた人にはまたその文化圏個有の暮らし方があって、それと異なった暮らし方はある意味でその人の生死にかかわることで、体感的にすぐなじめないのは、無理のない事なのではないかと思います。それぞれの種々無数の、経験、来歴を経て今ある、個人と個人の関わりもいわば異なったマイクロ文化どうしの接触の様な面もあり、そういった意味でも、私意尊重の、尊重に想いをはせるのではないだろうかと思います。

  • 喜田栄子(豊里)

    私だったらどうだろう・・・
    新しもの好きで、いろいろ飛びつくけど、試すまでは行っても、やっぱり自分の心地いいところに納まっている。
    羊の肉を食べる機会は何度かあったけど、匂いとか、味はなかなか身体が受け付けないという経験がある。
    他に食べるものがあるから、あえてそれを食べなくても・・・という感じで来たけど・・・。

    テレビで見ていても、蜂の子とかいろんな虫とか初めて食べた物を「美味しい」と言っている人が居る。
    見た目とか、イメージで食べていない。

    モンゴルの研修生はどんな感じなんだろうね。
    食習慣の大きく違う日本で暮らす、彼らを尊敬したくなる。
    生野菜を食べなかった人も今は美味しいって云うし、
    この前は餅つきでアディラが、餅が苦手でお椀の中に餅がずーっとあって汁ばかり飲んでいたのでパンを持って行ったら
    「日本人が大好きという餅を僕も食べます」と言ってパンはいらないと言っていた。

    自分の観念と大きく違う世界に行ってみたい気もする。
    エイっと飛び込んだら、意外と見える世界が違うのかも。
    自動解任、食べ物から入ると分かりやすいかも・・・と思いました。