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養鶏法の真髄!!!


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多摩実顕地で始まった今回の養鶏法、多摩の人達との前半戦の最後、榛名の佐藤さんから参加者の杉崎くんに入った電話から大きく動き始めました。
「大雪で豚舎がつぶれた。養鶏法の人に来てもらえんか!」
それを受けて、研鑽会で研鑽の時間を持ちました。
「行こうよ!榛名へ」
「出れるなら今すぐにでも。道路状況を確認して、とにかくみんなで行こう」
「でも、ほんとに自分たちが行くというのでいいのか?」
「もちろん急がれてるし、すぐにでも駆けつけたい。一つでの実働とも思う。でも行くか行かないかの前に、自分達はどういう所に立ってそれを考えているか。」
これを全員で出し合ったのが、大きかったと思います。
結果としては榛名に行くことになりましたが、助けを求めている状況と行ける自分達がいて行くという以上に、このことをやって自分に何が残るのかとじっと考えることが出来て、そのことは雪おろしをやっていても心の中にありました。

榛名に着いてからは昨日と今日とで子豚の救出、豚舎の屋根雪おろし、鶏舎の屋根のおおざっぱな雪おろし、通路の除雪、生活館の雪おろしなどを昼も休まずに動き続けて、なんとかメドが立ちました。
この中で一つ印象に残っていることがあって、それは今日の朝開始前に全員で寄った時のことでした。
車での移動、雪かきと数日間ほとんど研鑽会をちゃんとやれてなくて、今日あたりは午前中にやれるだけやって、せめて午後からは研鑽会やりたいなと僕は思い、そのようにやりますかと出しました。
そしたら同じ世話係の生原さんが、
「いや、ここまで来たんやったら雪かきやるやろ!やろうよ、午後も。」
と言ってきて、おお望むところだ!と大いに気合いが入りました。
僕は生原さんはできるだけ研鑽会の時間をとりたいんだろうなあと思ってたので、その言葉にとても熱いものを感じて意外だったのと自分の何かが呼応するような感覚とを覚えました。

そして、今日の夜は榛名の人と合同で連絡研。
「養鶏法メンバーが急に来ることになって、榛名の人達はどんな感じだったんですか?」
生活部の中嶌慶子さんが「来るか来ないかも直前まで分からなかったし、人数もよくわからなくてどうしようと思ってたけど、今自分にやれることをやるだけだなと思った。なんか、どんとこいって感じになってきた。」
養豚の佐藤さんは「今回は大介くんと一緒にやれてよかった。養鶏法の人達にもう一日残って除雪してほしいとは思ったけど、大介くんと話して、やっぱり豊里へ送り出そうと思いました。」
それを受けて稲越大介くんが、
「これやったら榛名でも養鶏法やれるなって思った」と発言。
僕自身はこの言葉にすごく驚いたし、嬉しかったです。
この場は大盛り上がりで、6月は榛名だ!という感じでしたが、やれてもやれなくても、大介がそれを出したというのが嬉しかったし、そう彼が感じる榛名実顕地なんだなと思いました。
その後、美里の奥谷君が、
「美里は川口修二さんが何をやるにも引っ張ってくれてるけど、そろそろ修二さんにばかり頼っとらんと、水沢の若いので引っ張って行きたいなと思った」と出して、これも同じくらい嬉しかった。
奥谷君の仕事ぶりを見てて「かっこいいと思った」という発言がその後で飛び出したのは蛇足ですが、彼が今回の養鶏法でとても存在感を発揮しているのもあって、ほんとに水沢の30代で一緒に引っ張っていきたいと思いました。

連絡研後の研鑽会で美里の梅田さんが、
「実際榛名に来てみて思うけど、養鶏法の人に来てほしいと言える榛名の人ってのは、なんかいいなと思った。」と出してて、なるほどそうかもな、なかなかそういう発想しないかもなと思いました。
そう言える榛名と、どうしようかと考えれる養鶏法と、どちらもいいなと僕は思いました。

この投稿も、現在の養鶏法の中身をどれだけ伝えれるか自信がなくて、研鑽会の中でそれを出したら、パソコンに向かって原稿を書いている所に何人も集まってきてくれて、何度かの書き直しを経て完成しました。

投稿者は石角聡ですが、メンバーの思いがつまった榛名からの投稿です。
ご賞味ください。

【榛名実顕地より 養鶏法メンバー】
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コメント

  • 多摩Kダシュドング ゲレルマ

    多摩供給所の引越しも養鶏法の皆のお陰でよく進んた。自分は養鶏法ってよく分からないが、日々周りの皆に支えられて、やれていることに感謝しています。仲間の力ってすごいよね。
    養鶏法の参加者各実顕地の仲間に会えて嬉しかった。残りの期間も皆楽しくやってね。

  • 佐々木順子 多摩G

    今、多摩の厨房で榛名Gのまち子さんの姿をみつけたので、一緒に
    ロビ-で読んで、様子をみました。
    皆の、熱気、熱いモノが伝わってきます。

  • 平尾和子(榛名G)

    養鶏法の人に声をかけたのは、自分達榛名のみんなの中で養鶏法が近かったからだと思います。
    多摩で養鶏法をやるってので、誰を送り出すかとかみんなで研鑽してきた過程があって、すごく自分の中に養鶏法研鑽会があったからだと思います。