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全国実顕地づくり研鑽会[運動編]


12.13研鑽会C

6月12日、13日にかけての実顕地づくり研は「運動編」ということで、特講や研鑽学校、それに楽園村などに携わっている人達が集まりました。

「運動」=「拡大運動」=人に知らせていく=ちょっと苦手 という意識が自分の中にあって、特に「この生き方、一緒にやりませんか」みたいなのはちょっと言えないなあ、そんな自信ないし…だから運動ってそんなに自分やってないなあと思っていました。
今回の研鑽会ではその「運動」って何、というところから考え始めた感じで、それこそ実顕地間での交流も「運動」、今回みたいに実顕地づくり研に集まってくるのも「運動」なのかもしれない、と思えたのは面白かったです。
実際に自分が動いていくことで、心が動いていく。ヤマギシズムに関心を持つ人が増えるとか、特講を受ける人が増えるというのは結果としてついて来ることで、大事なのは自分がきめつけを外して実際に動くこと、なのかな…と今振り返ってみて思いました。

研鑽会も後半に入り、特講のことでユンさんが色々な話をしてくれたことがありました。
韓国実顕地がない頃から特講をやってきたユンさんの言葉だけに、重いものがあり、でもそれとは別にちょっと固いものも感じ、でも自分に言えるようなこともないしな…などと考えていました。
そんな時に波田さんが「ユンさんも色々思うことあるやろうけど、日本の特講とかも実際に来て、見てみたらどうかなとか思う」というようなことを出して、さらに続けて、
「僕らも韓国行きますよ。」
そしてちょっとやりとりがあった後、
「自分らも韓国で特講習受けますよ、ユンさん世話係で」
というような発言もあっておおいに盛り上がりました。(特講受けるの下りは、波田さんか岡田さんかどっちが言ったかはっきりとは覚えてません)
韓国で特講受けるなんて、そりゃーいいやみたいなノリで会場は沸いてましたが、「日本見に来たら」と言うだけでなく「自分らも行く。なんなら特講受けに行く。」というのは一気に飛び込んでいく感じで、まさに「運動」の実践やなあと後で思いました。

研鑽会が終わった時は、そんなに色々思っていませんでしたが、振り返ってみると思いだして感じることがあるもんですね。
まずは、今自分の目の前にある、内部川の子ども楽園村。
楽園村開催そのものも運動ですが、それに向けて水沢地区で寄ったりすることも、運動そのものかなあと思うようになりました。
今週の日曜日は水沢での「楽園村出発研」。盛り上げていきたいです。

【内部川実顕地 石角聡】
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コメント

  • 村岡悦史(豊里)

     特講のことで、いろんな人と出し合えたことが特に心に残っていて、研鑽会が終わった後も、特講とは何だろうかという問いかけが自分の中で続いている。
     私が特講を受講したのは22歳の秋だった。特講がはじまる数日前までヤマギシのヤの字も知らなかった私は、大安の山の中で初めて「ケンサンカイ」なるものに遭遇した。
     実顕地も村人も見たことなくて、いきなり特講という順番が私には良かった。実顕地づくり研「運動編」がきっかけになって、あの時味わった衝撃を今また反芻している。

  • 松本直次(多摩)

     今回の実顕地づくり研「運動編」。どんな研鑽会になるのか、どんなメンバーが集まってくるのか、そんな期待を持って参加した。

     今まで、何かの企画に向けての出発研など、機運を盛り上げるような研鑽会はやってきたが、ヤマギシズムの運動って何だろうと、正面から向き合って、じっくり考えたことは、ここ10数年なかったように思う。

     それと、この研鑽会。何と言っても「2世代が一堂に会して」研鑽できたことがよかったと思う。

     社会や運動に対しての認識などに、ジェネレーションギャップを感じつつも、それぞれがヤマギシズム運動の「今」を考え、意見を出し合えた2日間だったと思う。

     当日の資料の冒頭に「拡大運動は別に存在するものでなく、拡大そのものがイズム生活理念の内にある。」とあるように、私たちが今年初めから研鑽を進めている「実顕地一つからの出発」の中にこそ、ひとり一人の一体の姿にこそ、ヤマギシズム運動が存在し、その時々の「時代がヤマギシズムを求む、ヤマギシズムが時代に応える」そんな脱皮を繰り返しながらの運動を、これからも探り続けていきたいと思った。

     石角さんの報告に、「実際に自分が動いていくことで、心が動いていく。ヤマギシズムに関心を持つ人が増えるとか、特講を受ける人が増えるというのは結果としてついて来ることで、大事なのは自分がきめつけを外して実際に動くこと、なのかな…」とあるように、先ずは私が、この自動解任期を意識して、今までの観念を棚上げし、新たにスタートを切って「実際に動く」ことだと思った。