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贈り合いの経済 ─私のなかのヤマギシ会【書籍】


贈り合いの経済 ─私のなかのヤマギシ会

春日山実顕地の佐川清和さんの本「贈り合いの経済・私のなかのヤマギシ会」が、ロゴスから刊行されました。

【実顕地広報部】

 贈り合いの経済 ──私のなかのヤマギシ会

あとがき

 この著書は、自分が現在住んでいる、通称「財布一つの村」「金の要らない仲良い楽しい村」と呼ばれるヤマギシズム生活実顕地での体験とそこで日々話題にされてきた話をもとに出来上がったものだ。一日の鶏や豚や野菜作りなどの世話を終えた夕食後、夜八時頃から連日各種研鑽会が設けられている。村の運営面、事業面、衣食住の生活面、育児学育面などと共に、人間らしい本当の生き方をしたいとか真の幸福に生きたいとする万人に通じた幸福社会実現を究明し合う「幸福研鑽会」も用意されている。
 そこで話題にされたテーマや心にひびいた発言、不消化のまま疑問として残ったわだかまりや自分なりの理解などを、忘れないうちにそのつど書きとめておいた。そうしておいてヤマギシ会の機関紙「けんさん」等のコラム記事のような場で毎月吐きだしては気持を晴れやかにしてきた。四百詰原稿用紙三、四枚を自分の心の中がスッキリ洗われるまで何度も推敲しては書き上げた。でもまた翌月になると、澱のようなものが溜まってくるのでまた吐きだすことをくり返してきた。いつしか、そんな反復の湧きあがる心の体験で形づくられ、繋ぎあわせただけの自分のすがたになぜか癒やされてもきた。
 だからそうした自分よりの切実な欲求ばかりが先立つ、自分が自分に問いかけるようなかたちで書き綴ってきたものに対して、いつ頃からか「共鳴したり、よく分からなかったり」といった励ましの声が未知の人からも寄せられるようになった時、意外だった。やっと自分の思いが通じたというよりも、他の人の切実な思いが少しは入ってきたのかなぁと嬉しかった。同時に、はっきりと人に分かってもらうには犠牲や痛い目に合うことがもっと必要ではないのかという考えにも縛られてきた。
 ところがある日の研鑽会で、次のような一節を皆で研鑽したことがある。
 「次の社会には屈辱・忍従・犠牲・奉仕・感謝・報恩等は絶対にありませんし、そんな言葉も要らなくなりますから、他人のお蔭に甘えるわけには参りません」(『ヤマギシズム社会の実態』)。
 そこで、甘えるとは人の心からの親切などに対して「ありがとう」と感謝したり、お礼の品を届けたり、お金などの見返りで、それでこと足れりと平然とその行為を帳消しにしてしまうことだと研鑽した。ギクッとした。何と自分はうかつにも今まで、甘い考えで人の心からの行為を無造作に取り切ってきたことか! 自分よりの何か観念づけたもので、自分を護り振る舞う自分のすがたを見た。自分よりの慣れ親しんだ甘い考えの外に、人と人との繋がりの、切ることの出来ない事実その中で生きているもう一人の自分を見出した思いだった。
 それにしても冒頭に記した「『金の要らない仲良い楽しい村』と呼ばれるヤマギシズム生活実顕地」とは、常識外れの人を食ったような奇異な感じを抱く読者もおられるかもしれない。「金の要る社会」と「金の要らない社会」とは、これ如何に? こんな禅問答・珍問答をヤマギシズム生活実顕地という歴史を刻んだ「時間・空間」の中でくり返しながら歳月を重ねてきたような気がする。
 そして今、序章にも述べた、「と」に立つ生き方、「と」からの出発に人間社会の未来を託していきたいと考えている。
 それは、こういうことだ。
 例えば自分らが日々直面するテーマとして、「金の要る社会」と「金の要らない社会」との接点をどのような位置づけにするかによって、実顕地の暮らしが豊かな方向に向かうのか、生活の無駄が省けるだけの単なる共同体に成りはてるかの岐路に立たされる場面が多々ある。何となれば一般的・現実的傾向として、崇高な理念そのものによる感化よりも日常行動から来る感化の方が影響が大きいといえるからである。つまり目標理念を研鑽すること、目標理念の日常化が必要とされる。日々の研鑽力が試されるゆえんである。
 このことは、自然と人為、人と人、組織と個人、男と女、生と死、信じることと信じないこと等々、すべての事象に当てはまりそうだ。要は、異なる二つのものが接する場面で必然生じる「隔て」を、隔てなき「双方が溶け合った一つのもの・仲良し・調和・一体・一致・和解・合一・真正一致・合性・適合・保ち合い」の方向へと、どちらの立場も通さずに解き放していく実動行為へと一歩踏み出すことを意味する。
 例えば養鶏飼育係一年生の頃、毎日日課のように自分が担当している鶏舎前の通路掃除に取り組んでいた。すると自分と他の人の担当する通路の接するところに必然吹き寄せられたゴミの壁がつくられた。しかしそこのゴミまで自ら進んで掃き寄せる実動行為にまでは至らなかった。何故ならどこかに相手がつくったものだとする心の突っ張り合いを押し隠していたからだ。自己革命が成されているか否かが問われるところである。
 仲良しとか一体という理想実現は、実は出発点にかかっており、出発点は描くだけでなく、まさに心を寄せる「実践」であることを思い知らされたことだった。
 ヤマギシ会の自然と人為の調和を基調とした思想提案創設者・山岸巳代蔵は、当初、戦後の日本の食糧不足を解消するために、それまでの「稲と鶏」の個々別々の相互関係を農家の実際と一体に結びつけた形態に改組したものを、「農業養鶏」と命名して発表した。そして永久に皆と共に繁栄していくためには、「鶏を飼う場合の鶏や、社会との繋がりを知る精神」こそ必要で欠くことの出来ない幸福社会実現の原理であるとした。
 自分らもまたこうした繋がりの、切ることの出来ない「と」に立つ生き方、「と」からの出発に心を託するのだ。
 ヤマギシ会運動史の中での一時代を記録する資料として残せたらなぁとの前々からの念いが、ここに一気に実現した。出版状況がとても低調ななかで、本書の出版を引き受けていただいた、ロゴスの村岡到氏に感謝する。
  二〇一四年六月 佐川清和

新刊内容紹介

佐川清和著 贈り合いの経済──私のなかのヤマギシ会

A5版 並製 284頁
山岸巳代蔵が掲げた「金の要らない仲良い楽しい村」の実現をめざしたヤマギシ会に参画して44年。
その経験を通して〈贈り合いの経済〉を構想する。

贈り合いの経済──私のなかのヤマギシ会 目 次

序 章 『社会と自分──漱石自選講演集』から

第1章 贈り合いの経済・序
 一 自然と人為
 二 贈り合いの経済

第2章 個と全体(組織)との背反をこえて
 一 機構・制度としてのイズム
 二 吉本隆明氏との対話
 三 「怒り」と「研鑽」

第3章 山岸会との出会い
 一 参画の動機
 二 思慮ある真の百姓──杉本さんの思い出
 三 雑 感

付章 試論  報道にみる山岸会事件
参照文献一覧
あとがき

カバー写真:井口義友(別海実顕地)

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コメント

  • 渡辺操(春日山)

    贈り合いの経済(私の中のヤマギシ会)佐川清和著、とても素晴らしい一冊で一気に三日三晩で読み上げて更にもう一度全部拝読しました。ある朝村人と出会って佐川さんの今回の本はすばらしい、感想を書いてみたらと言われ、書いてみることにしました。なぜこの村が出来たかを、、、

    私は特講で大転換しました。山岸先生の心のこもった一言「ナンデ腹がたつの!ナンデ?」と問われ私の腹のなかにズシンと落ちて「アッ,腹が立たない」と悟った時の楽しさ嬉しさ一杯の気持ちを今も思い出して、その時全人幸福社会はこれなら出来ると思いました。

    私が特講を受ける目的は姑との大ゲンカです。その事を一杯出しました。ケンカの中味を一杯出し切りました。
    班研や山岸先生から「操さんは自分が正しいと思い込んでいるので腹が立ったのね。腹が立ってもよい、ムリして腹の立たない人にならなくてもよい」との一言にムカ!としているところへ山岸先生に「ナンデヤ!」ときかれスーッと自分の中に入ってきてスカッとして腹の中の怒りが無くなってきた。急に姑さんが懐かしくやさしい時の顔が浮かんできて、うれしくて会場や廊下で踊りまくった。

    夫は第一回生でしたが第三回の特講係をしてそのまま山岸先生の家で行われた高研にさんか参加して、その後帰って来なくなり、私の実家が心配して迎えに行った時、山岸先生が出てこられて兄が「弟のことが心配で心配で迎えに来ました」と言ったら山岸先生は「あゝ自分が心配なのね」と言う言葉に兄さんはすごすご帰って来たのです。私はその後特講の係をしたり支部の幸福研をやったりで楽しい日々でした。

    佐川さんの著書の中で「ヤマギシズム社会の実態 世界革命実践の書」にかかれてあった文章を引き出し心に残ったことを合わせて書いてあるのに感動しました。ヤマギシの村が出来る時、私たち夫婦も参画をきめた時のすがすがしい何ものにもしばられない生き方が心底味わいました。

    村が出来るとき始めて参画した人は全財産、家も子供も一体の中へ放してすがすがしい気持ちで参画して来たひとの集まりでした。ヤマギシ会事件が起こっても参画の時、一人一人がハッキリしていたからでしょう、色々ありましたがどんな時も「出発点は実践である」という生き方をしてきたと思います。

    親愛の情みなぎる村のくらしは毎日新しい体験で楽しく仲良くやってきました。佐川さんの著書を読んでその裏付けがハッキリと描けました。これからが楽しみです。一緒にやらせてください。(二回生 渡辺操)

  • 平島春美(春日山実顕地)

    8月の春日山交流会で佐川さんが出版に至った経緯を発表してくれました。
    最後に、
    「あんまり敬遠しないで、絶対お得ですから、ぜひ読んもらって、何かあった時
     又見直してもらったら、絶対得しますから、それは保障しますから」ですって。

    私は読み終わって、なにかすごーく励まされた感じがしました。

  • 新村正人(加賀)

    付章として「詩論 報道にみる山岸会事件」がある。第3章まで読み終わったとき、これは全集にも入っていて数年前に既に読んだという記憶。よく言われる山岸会事件というのはどんなんだったろうという感じで読んで、なんだかよくわからなかったという印象が残っている。50ページもあるし、ややこしそうだから、「再収録に当たって」だけを読んでおこっと思った。僕が読み終わるのを待っていた妻に本をわたす。しかしなんだか後ろ髪をひかれる思いが残り、全集を手に取る。えっ!!躍動感あふれていて、かつ痛快。事柄の世間的な是非ではなくて、、、。そこにかける真摯で一途な気持ちと、本質的なものが伝わってくるようで。文中、大阪日日新聞の記事、「山の子供たちを見守る壬生野小学校福村芳夫校長は『絶対に心配いりません』開口一番こういってのけた。」に温かくなる。壬生野小学校にはその何十年か後にわが子もお世話になった。あらためて「再収録に当たって」を読んでみる。「そうか、半世紀近く前に遡ることは実は半世紀否未来のイズム運動を見通すことだったのだ。それほど二、三年の時間の中にイズム運動の原点が濃縮されてあったのだ、と。」とういう言葉に心が響く。

  • 多摩実顕地 松本直次

     新村さん、160ページですか、僕はまだ100ページちょっと。普段読み慣れている小説と違って、時間をかけて読んでいます。
     古坊さんは、「杉本さんの思い出」に触れていましたが、僕が読み進めたところまででは、佐川さんが17歳で特講を受ける前、奈良に住む数学者・岡潔を訪ねた話。佐川さんが当時の岡潔の年齢になって、岡潔の心情と溶け合ったと書いている内容と、数学上の発見がヤマギシズムと共感すると言うことに興味を覚えました。

  • 久永小百合(福岡)

    このむらnetで佐川さんのご本が出版されたのを知り、早速案内所の松本さんに送ってもらいました。
    表紙をめくったら、佐川さんの笑顔の写真があり、いいなあと思いました。
    どなたが撮ったのかと、カメラを向けたかたに興味を持ちました。

    本はまだ読み始めたばかりで、ゆっくり、ゆっくり読んでいます。

    古坊さんのコメントを拝見し、2011年3月に研鑽学校Ⅲに参加し「心にふっと思い浮かんだことを実行して行こう」と研学を出発したことを思いだしました。
    実行することであたたかな社会をつくっていけると思いました。
    半分も実行できていないと思いますが、実行できた時の自分の中のあたたかさに気がつき、嬉しい気持ちになったりします。

    ふっと浮かんだ気持ちを流さないで、意識していこうと改めて思いました。

  • 新村正人(加賀実顕地)

    佐川さんの本が出たよ、とこの村ネットの文章を皆で整理研で読んだ時は、「難しい、これでもう十分!」なんて声も出た。それから本が届いて、整理研で写真を見て「佐川さん良く撮れてるね、にこにこして、、、。」と皆。数日後、先陣を切って読み出していた古坊さんとロビーの入口で出くわしたときに、いきなり「自分の一番好きなところは、、、、と話してくれた。」日頃の古坊さんの行いそのものという感じがした.蒸し暑くて本も読みたくない日が続いていたその頃、何故かこのことに触発されて僕も読みだした。今160ページ吉本隆明氏との対話のところ。先をチラ見するとセネカの『怒りについて』があって、楽しみ。昨日の整理研で「明後日は妻の誕生日なんですが、いつも当日になると忘れてしまって、、、。今年こそはと、何かサプライズないですかねぇ」というので「当日覚えていたら、それが一番のサプライズなんじゃない?」と言って皆で笑、今朝の出発研で、「豚房掃除しながら、僕サプライズ思いつきましたよ、、、。」と嬉しそうだった。皆聞いてはいるけれどここでは内緒にしておこう(●^o^●)

  • 加賀実顕地 古坊俊博

    村のロビーにあり、手に取り読んで見ました。

    整理研で皆に読んで思ったことを出すと、佐川さんの話題になり、他の人の話を聞いたり、本に書かれていることをまた改めて読んでみると、自分の中でのこんな人なんかなと思っていたのも、ほんと一面でしかないなあと改めて考えさせられました。

    自分が一番好きなところは、杉本さんとのやり取りのなかでの、「一人ひとりのちょっとした心の動き。ふっと思い浮かんだ気持ち、人にいうのも恥ずかしいことがほとんどだけど、そんなものが実行されて実顕地ができていく。それが本当のようだ。これなら、この運動だれにでもできる。」