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中部地区実顕地づくり研


8月26日(火)に三重県下5実顕地(豊里・春日山・一志・美里・内部川)と飯田実顕地の6実顕地が寄って、『中部地区実顕地づくり研』が開かれました。
豊里の会場に80人からの人があつまりました。今話題になっていること、日頃からの懸案事項など出し合って、自分の問題として考え合っていく今年の正月から始まった流れの中の動きでしょうか。

 まず口火を切ったのは豊里で始まった「各職場でつけていた経営資料をやめてみる」と言う話題でした。それはどういう意図なのか?どのような研鑽がなされたのか?との投げかけに、なにか質疑応答のような雰囲気になりかけたなか、経営資料が資料として有効に使われているというよりはそれが職場間やひいては実顕地間の壁になってはいないだろうか?つけている人(そのまわりの人も含めて)の時間的心理的負担に知らず知らずになっていないか?など出された。

精乳の曽田さんの、経営資料をつけなくなったら別のところに目がいくようになったとか、リッタさんの「美味しい和牛は目の前にたくさんいるのに、作ってる人が食べたことがない、なら食べて貰おうとなったけど、(そう言えば全国で黒毛和牛食べましたね~)その月の経営資料をつけた時の複雑な心境を振り返って語ったり。
ファームの人の送り出しの時に人件費をどう考えるか?で本当は送り出したいのにフッと気持ちがひくとか。
近い例では肉牛の高橋さんがこの間の、和牛生産は増産していく方向なのに春日山の柳さんと値段のことでギクシャクした話、等々実例を出しながら考えられた。

そういえば・・・、私も思い当たる節が自分の中にたくさんある。
食生活の時は実顕地生産物は高いので、物によっては安い購入品を使うほうが経営としてはいいと思ってたな。以前にむらネットで記事になった肉牛の手袋の滑り止めに使うほんのわずかな片栗粉を「それは産業で購入してください」なんていうのもありましたっけ。
真理子さんの『赤字だ、黒字だといってみたところで、今後大きく儲かるわけじゃなし、もっと全く違う着眼点がほしいよね』につきるのでしょうか。
ひとつひとつの職場や実顕地がそれだけでなりたっているわけではなく、関連し合ってまさに「実顕地ひとつからの出発」とふと見上げれば、壁にテーマがありました。
 着眼点を変えるという事では最近豊里愛和館が様がわりしているとか、役割に人を当てはめていた段取りではすまなくなってきて、ふと見渡せば人はいっぱいいるじゃないか、『私食べる人・私作る人』から食べる人を巻き込んでの、セッティングや、流れになってきているとか。
楽園村の洗濯物干しを岡部の楽園村では子供等とやったと聞いて、豊里楽園村もやってみたと紗里さん。
そうそう、内部川の金谷さんからの伝言と石角さんが『あたらしいヤマギシの葬儀』も考えれるのではないかと楽しみにしているという話もありましたね。「お経っていりますか?」金谷さんは今、今井律さんの移動に伴い、卵配送に週4回でかけているそうです。
人の動きも美里のひろみさんの言葉を借りると、‘‘怒涛のように押し寄せてきて、いっしょに流されるか・・・・’’と。
ある意味そこまできて、本気でこれからどうやっていくか、もっと大きいところで考えるスタートになるような気配が感じられました。
豊里の曽田さんが「自分は特にどこかへいきたいわけではないけれど、後はやりますからどうぞ行ってくださいと言われたら、断る理由がない、とにかく放していく方向に向かって行かないと動いていかない」と言ってるのが印象的でした。
それを受けて穐本さんが後が描けているわけじゃないけどまずは現象を作っちゃうのもいるかな・・・と。
「大丈夫かいな?」とも思うけど、ワクワクするし、どうせならいっしょにワクワクしたいよね・・・と廣子さん。という話だったかな?

今まで自分の任されていたところに立つ人がいなくなってみて、「役割に人を当てはめるのは止めよう、やりたい気持ちから出発してみよう」とやり始めていると春日山衣生活の香代子さん。いざやって見たら、自分のポジションを守ろうというより、違う所に、やってる人に、気がいくようになって『心からいける、そこをやりたい』と少しずつ思えるようになって、こうして各実顕地の話も聞かせて貰ったら、いっしょに考えて行きたいなと思えましたと結んでくれました。
80 人からの人が寄って45人位の人が発言して特に具体的な話に直接繋がったわけではない、こういう大きな研鑽会って意味があるのだろうか?との問いかけもありましたが、
この空気がこれから、どのように伝播していくのでしょうか?

【春日山実顕地 平島春美】
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コメント

  • 谷口 寛(豊里)

    佐川さんの書かれた「贈り合いの経済」の中にある次の文章が、心に残りました。

    1.「経済活動での生産-売上げ、そこから経費を引いて得られる差引残高に一喜一憂するのは、不安・資源不足・欠乏という個的観点から出発しているからだ」
    2.「豊かさから出発する普遍的観点と不安や不足感から出発する個的観点の根本的な異い・・・自分らの表現での自然全人一体観と自己中心(自己所属団体中心)観との異い」

    「諸悪の根源は経理だ」「経営資料が職場間やひいては実顕地間の壁になってはいないだろうか」などを、上記の文章を研鑽材料として考えていきます。

    • 麻野幸子(豊里実顕地)

      いよいよ、無現象界を研鑽するときがきたのですね。

  • 仁藤早苗(岡部)

    妙子さん元気そうね。今度あなたみたいな髪型にしようかな。いつまでも、よろしくね。いつまでも、貴方の子供です。

  • 新村正人(加賀)

    文中の「特に具体的な話に直接繋がったわけではない、こういう大きな研鑽会って意味があるのだろうか?との問いかけもありましたが、」に反応してつい最近読んだ、新間草海さんという小学校の先生のブログを思い浮かべてしまった。ちょっと感激して出発研で話したばかりだったものだから。よかったら読んでみてください。
    「クラス会議」
    http://arigato3939.publog.jp/archives/54924970.html 
    「解決しないけど、解消するパターン」
    http://arigato3939.publog.jp/archives/54928352.html

    こういうの大好き。結果がある観方からして好ましいものになったかどうかということではなくて、その過程が自分の知っている言葉を使えば、「研鑽」「私意尊重公意行」とか、「提案と調正」というイメージに近いかなと思って。ここに登場する子供たちにはもちろんそんな概念があるわけではないと思う。本来、人はこういう存在、「万物万人それぞれの本能を持っていて、能そのものも愛の作用によって発露する」みたいなそんな風に思いたい。

  • 永旗 ひろ子(雄物川実顕地)

    グッモーニング。想像の翼を広げるのもいいですが、実践が命かと思います。
    私は今、畑に燃えてますが、私が畑をやってるわけでもありません。太陽、雨、空気その他の要素で美味しい野菜が育ちます。
    自然界には境がまったくないです。と野菜が教えてくれました。
    いくら研鑽会をやっても、それで終わりだけはやめたいよ~。
    川の流れのように自然界は動いてます。

    本日は朝から、え~え~だった。失礼しました。だが言いたい。

  • 谷口 寛(豊里)

    「経営資料が職場間やひいては実顕地間の壁になっていないか」については、今回出された事例(リッタさん、曽田さん、高橋さんと柳さんのこと、)は、経営資料そのものに原因があるのではなく、私達の心の「実顕地ひとつ」が根本のテーマであり、それが解決されていない為に生じたことだと思いますが、どうでしょうか。

    • 宮部 典央 (豊里)

      人は旨く事が運ばない原因を探ろうとする時、事柄に結び付けようという作用が働くようで今回の例ではたまたま経営資料に原因が有るかのごとく複数の人に捉えられたと言う事でしょうか?
      研鑽学校の予科公人完成科では、そういう風に思う自分の元の心を検べますが何故でしょう。
      何時如何なる時でも、心一つでありたいものです。

      • 北大路順信(春日山)

        以前「今の職場でできない者は、どこの職場に行ってもできない」という人に対して、「職場が変わることによって、どこの職場でも出来る人になったという例があるのでは」という人がいて、研鑽学校予科公人完成科では何があっても自分の心の問題とだけ考えていた自分には衝撃的な一言だった。実顕地には、研鑽学校のように人間理からみた観点以外に、社会理からみた観点があることを知ってから、実顕地の仕組みとか暮らし方に興味を持った。実顕地交流の現状も、「交流に行かなくても心は一つ」というのはその通りだが、交流することによって、人の心が大きく動いているのも事実だと思う。実顕地で各自に給料が支払われても、とらわれない人達にとってはイズム生活には関係ないはずだけど、給料を払ったら実顕地が崩れていくというのももっともだと思う。

      • 麻野幸子(豊里実顕地)

        「心も大事やけど、仕組みも大事」 仕組みを考えて、本当に仲良くならないとどうにもならないという方法を以てすれば、元の姿に帰ってやれる。

        この工事がどれ位の工数と材料で出来たかって知りたいです。
        私が活かせるのはそれぐらいですが・・・キット「真の経営資料」ってあるんだろうナ

    • 麻野幸子(豊里実顕地)

      「経営資料」って見たこともない門外漢のつぶやきですが・・・
      こころの解決もあるのかなと思いますが、「贈り合いの経済」に相応しい仕組み?かどうか。

      今、漫然と続けるでなく、立ち止まってみようという心意気はうれしいです。更に研鑽の光をあててみたいです。

    • 永旗 ひろ子(雄物川実顕地)

      経営資料から考えたら、雄物川の果樹はやめたほうがいいかも。伐採するのは簡単。(でもないか~)果樹があるから人と人の繋がりがあり、1年に1個稔らす果物によって人の心も育つ。けっこう職場で心育つ部分は大きいかも。どちらが先でもなく後でもないかも。
      ヤマギシの職場は凄いと思う。昨日自家用の2年鶏を淘汰した。30羽だが長悦さんが放血し永旗さんが脱毛し私が内臓を取った。やるしかない。これは実顕地にいた産物ですよ。なんとかやろうとする力が心に育ってる。育とうと思わなくてもそうなる世界があるかも。
      今果樹の収穫、選果が忙しい。隣のプロの果樹園小沼さんに叱られながら、新しい発見がある。
      生産物で人がつながる。産業がなく心一つの修行はどうなるでしょうか。
      こんな贅沢な暮らしはないかも。
      今年の洋ナシは収穫したらすぐ豊里のファームの冷蔵庫へ。1つ残さず美味しい洋ナシが人間のお腹に入れば最高の黒字ではないかな?
      私の妄想も翼を広げだした。付き合ってください。