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金谷さんに聞いてみました


お経を読む金谷さん(服部さんの通夜にて)

お経を読む金谷さん(服部さんの通夜にて)

少し前の研鑽会で、内部川の金谷さんが、実顕地での葬式について思っているあたりを出していました。
先日の実顕地づくり研でも話題になりましたが、本人からもっと色々聞いてみたいと思い、インタビューしてみました。

【内部川実顕地 石角聡】
金谷信雄さん

金谷信雄さん

まずは金谷さんの略歴とかから聞かせて下さい。
金谷 僕はお寺に生まれて、僕は長男で男一人だった。世襲制ってわかる?宗派によって違うけど、ウチの宗派は長男が継ぐってことになってて。
じゃあ、自動的に…
金谷 まあ、本人が継がないって思ってたらあれやけど、特に継ぎたくないというのもなかったし…でも大学卒業するまではお経なんかも全然しらんかった。卒業した辺りで父親が亡くなって、そこから本山近くの専門学校みたいなとこに1年通って勉強して、最後に得度っていうのを受けて僧侶になった。それで後を継いだって感じやね。
実顕地に参画してからも、ずっとお坊さんを。
金谷 参画するときには、僧侶はやめようと思ってた。僧侶の資格はあるけど、自分としては僧侶でないつもりで…
そしたら参画してすぐに亡くなった人がいて。
豊里で?
金谷 そうそう。で、葬式に出てくれっていうんで、道具も色々揃えてもらって。ほとんど処分して来たからね。袈裟とかも買ってもらった。まあそこから今まで、三重近辺の実顕地はほとんど葬式をやらせてもらってきた。他には榛名とか、六川にも何回か行ったかな。多摩、岡部にも何回か…米田さんて知ってる?あの人の葬式にも。
けっこう、全国あちこち行ってるんですね!
金谷 もう20数年やっとるからね。
じゃあ、その時々で職場に所属しながら、葬式があると出かけて行くっていうのをずっと続けてきたんですね。
金谷 豊里いる時は精乳部やった。美里では、窓口の仕事を主にやってた。そこから内部川に来て。あんまりあちこち行っとらんよ。
そうやって20年続けてきて、今思う辺りっていうのは…
金谷 まず、僕は今70歳でね。坊さんやれるとしてもあと10年かそこら…80くらいまでかな、と思っとるんよ。その後どうするんかと考えた時、まあ近くのお寺とかに頼んだら、今のような形がそのまま続けれるといえばそうなんよ。
でも…僕はね、僕がここ(実顕地)での葬式で一番、なんというか衝撃というか、世間の葬式と違って、ああこれはいいなあと思ったんは「偲ぶ会」なんよ。
偲ぶ会、ですか。

偲ぶ会

偲ぶ会

金谷 これは、すごいというか、お葬式のあり方としては、このことがあれば、あと形や形式はどんなんでもいいなと。これはずっと思ってた。
お経がない方がいいとか、あったらだめとかそういうことでもなく…。
これ(偲ぶ会)を中心に考えていったらどうかなと思って。従来のやり方じゃなくても。もっと、もっと…ヤマギシらしい、という言い方も変だけど、なんかいい形の。みんなが心を寄せて、亡き人を送り出すみたいなね。そこが一番大切なとこというか。みんなでつくり上げて、送り出していくとうかね。
「偲ぶ会」のいいなと思う所、惹かれる所っていうのは、今言ったようなところですか?みんなでその場をつくり上げて、その人を送り出していくっていうような…
金谷 うん、やっぱりその辺かなあと思うけどね。
偲ぶ会って僕はそんなに参加したことないんですけど、集まってどういうことをやるんですか?悲しむとかよりも、集まって、その人について思い出とかを出し合うとか?
金谷 そうそう。そうやって出し合うことで自分の知らなかったその人が描けるというかね。そうかそういう面もあったのか、とか。
そうして話を聞いてると「ああそうか、そういう生き方もあるか」ということを思ったりね。その人のことを知ってる人も、知らない人も。「そういう風に生きていきたいな」とか、あとはその人の思いを受けて、これからの自分の人生でそれをやらせてもらおうとか。
そういうのが、大小あったとしても一人一人に入っていったりして…なんかね、あったかーいものを感じる。
なるほど…
金谷 そこさえあれば、本当にいいなあという感じがする。
後はそれぞれの実顕地で、亡くなった人を送り出すということを、みんなで考えて…。
そういうのを聞いてると、お経があるかないかって確かにそんなに大事なことではないのかも知れないですね。
金谷 まあお経は、儀式の格好づけみたいなもんやから。実際にね、お経の中に書かれてあることの中には、亡くなった人を供養するみたいなとこはないんよね。
へえ、ないんですか。
金谷 お経そのものはね。昔は…うんと昔はお経そのものを使ってなかったかもしれない。
それと浄土真宗の親鸞ははね、「自分が死んだら加茂川に捨ててくれ」と言ってる。魚の餌にしてくれと、それでいいと言っている。「自分は、お経を父母の供養のために唱えたことは一度もない」と書かれた書物も残ってるらしいんよ。「お経はそういうもんじゃない」ということを言ってるんだよね。 
まあだからお葬式をする時の儀式として…格好というか体裁を整えるとか…セレモニーの一つとして。
確かにお経が流れてて、焼香して…っていうだけで、なんとなく感じは出ますよね。
金谷 そうそう。だからまあー…「森が生まれる」を歌うとか。何かみんなで歌を歌って送り出すくらいの方がね、いいかなと。
この間、そういえばそれをやったとか。
金谷 そうそう、それは合同法要ね。まあ歌いましょう、と。
お経はしなかったんですけ。
金谷 合同法要はね、元々音楽式にしてんの。音楽と言ってもお経のね。音楽法要ってね。
正式ではなくて、僕が組み替えてやってるやつだけど。でもそれだったらあくまでお経だから、やっぱり歌の方がいいなあと思ってる。
本当に体裁のためだけだったら、でもいいよね。本当にお経の方がいいなら、お経を拭き込んだテープでもいいのかも。BGMとしては。
金谷 そうそう、そういうのでも十分だと思う。
これからも、金谷さんには葬式のことで話が来るんですよね。その時に、行く行かないという話でなくて、お経のテープもあるよとか、こちらから提示してもいいですよね。
金谷 そういうのもあるけど、その前に各実顕地でとか、仲良し班だとかで話題にしてほしいよね。だいたいこういうのは急にくるから。
本当に心の温まる、送り出しを出来るようにしたい。
それは、みんながそこを考えることで、より良くなっていくと思う。
まあまずは皆で話題にしてもらって!
急に明日から、ってわけにもいかんから。
はい、じゃあ今日はこのへんで。

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コメント

  • 加賀実顕地 佐々木布行

     私なら、自分の葬式はお経の代わりに、第9(べートーベン)や合唱組曲の「水の命」を
    BGMで流しながら、失敗した事やドジな姿を思い出してもらって笑い話でもりあげて欲しいわ。

  • 佐々木順子 多摩G

    多摩でお通夜の時に受付させてもらった時のことですが、
    もうお通夜のお経が始まる頃かな?と思っていた時、遅れて来訪される方々
    が見えて、すると亡き方の子供達兄姉妹が会場からゾロゾロと玄関受付前の
    フロアに集まって、来訪者との再会と亡きお方の繋がりの話で話が盛り上がって。
    私なんか、あれ?お経はじまってるのに・・お通夜の会場に親族の場所・・穴あけて?
    いいのかな?と・・・心配したり。
    いやいや、亡くなった方がこんなに皆を寄せてくれたんだな~とじわっと
    こみあげてきたり・・。
    遠方からわざわざ来てくれた人達と話できるのもいいな。と思ったりしました。
    なんか、形でもないな、微妙な気持ちを感じました。

  • 平島春美(春日山実顕地)

    丁度、ヤマギシに最近なにかとゆかりのある島田裕巳さん(宗教学者)の『0葬』を読み終わったところだったので、この記事をみると、
    そうよね、私達って、とりあえず、お金に困ってないし、世間体も気にする必要もないけど、
    資本の論理にも組み込まれない自前だし、、、
    金谷さんいるし、あんまり考えずに葬式仏教を踏襲してきたのかな、、、。
    お経の響きって心が落ち着いて好きだけど、、、。
    「死者と共に生きる」という訳でもなく、「生きない」という訳でもない、、、
    うちらの葬儀ってどんなのがいいのかな、、、。
    その都度その都度考えるってのも案外面倒、、、、。
    『0葬』の副題は  ーあっさり死ぬー なのよね~。

    • 石角聡(内部川)

      たまに年配の方に「死んだら葬式はどんなのがいいんですか?」と半分冗談で聞くことがあります。
      「盛大にしてくれ!」って人は殆どいなくて、
      「葬式は、なしでいいよ」
      とか、
      「ほんと簡単なのでいいから」
      「堆肥の中で上等や!」
      など、堆肥は冗談が過ぎるにしても、みんな死んだあとの儀式にそんなに重きを置いていません。
      それでも誰かがなくなったら、やっぱり「葬式なしでいいやん」とは、なかなかならない。
      それは残った自分達が、それを節目にしたいからなんですかねー。
      節目にするならそれに合った形とか、集まり方とかもあるのかもしれないな…。