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「愛和館」・・2年ぶりのかつおのたたき


春日山愛和館 食事風景

春日山愛和館 食事風景

春日山では、6月8日の夕食メニューは鰹のたたきでした。
だいたい毎年この時期には、「初鰹」ということで用意してきましたが、記録を見ると昨年はメニューに入ってなかったので、愛和館では2年ぶりのかつおになりました。「わぁー嬉しい!!」という声も聞こえてきました。

当日の朝、食生活の出発研では、どんな風に出すか検討しました。
以前は、一人一人にさしみ皿へ盛付けて出すのが当たり前でしたが、「大皿に盛り付けて、一人6切れありますと表示し、各自でとって貰うのはどうだろう」という案が出されました。今思うとなぜ大皿にしたいのか?と聴くことなく、無意識のうちに、人の送り出しが続く中、切りはともかく盛り付けまでというのは段取り的、気持ち的にきびしいものがあるな、と受け取ったように思います。他にも意見が出されましたが、話し合うこと十数分、今年は大皿でいこうと一致しました。加えて、その日は私自身が、7時から8時まで愛和館のお母さんに入る予定で、最後量をみて、さしみ皿に盛付けることもできるし様子をみながらやるね。とその日がスタートしました。

午後から切り始めると、一切れが少し小ぶりになったこともあり、計算上は一人7~8切れに。一人7切れで案内を書き、盛り付け見本を出して夕食の5時15分を迎えました。

日頃、小1の娘と最初のほうに食事をしていますが、その日も娘と食べながら、予想に反して7切れぺろっと食べ、隣の幼年さんのテーブルでも、世話係さんの心配をよそにぱくぱく食べている姿が目に入り、もちろん私も美味しく頂き今日は出るなーと、早目早目に手を打たないと最後までないな、とかすめました。
7時にあと5皿(約60人分)だったら、案内を1切れ減らして6切れにしようと思いながら愛和館へ入ると、丁度あと5皿、それまで見てくれていた政子さんと一緒に案内を6切れへ書き直し、見本もそっと一切れ減らし、政子さんを研鑽会へと送り出しました。
愛和館に入ってくる人と、冷蔵庫の鰹の大皿を交互にみながら、ごはんをおひつにとったり、片づけを進めたりしながらも、頭の中は後何人分あるか、足りるかそろばんをはじいていました。

7時25分、いつもはもう少し遅い〇〇さんも〇〇さんも顔が見えて一安心。あと10人くらいで2皿、何とかいけそう。そう見通しが付くと、気も緩み立ち話をしていました。
しばらくして、あれ?何かおかしい。愛和館に人が入ってくる気配は無いのに、その2皿が立て続けに出て行く・・・。カウンターに取りに来てる人2回目?3回目?2切れを3回取りに来てる?わけないよね?勢いが出てる。
女の人がのれんをくぐってきて「かつお大丈夫?20切れくらい食べてる人いるけど。盛り付け見本も無くなってるよ。」誰か見本まで食べた?そう声かけられても、食べたものは戻らない。
「大丈夫だよ。」と答えつつも慌てて、あと来てないと分かる4人分を別に取りわけている間にも、養豚の数人が研鑽会でまだ食べてないことが分かり、酪農では牛のお産で若手二人がまだ食べに来てなくて・・。

7時40分、電話のつながらない政子さんを研鑽会場まで呼びに行き、どうしようか相談。今から近くの店に鰹を買いに行っても30分はかかる、それなら今日はお肉を焼いて出して、明日改めて鰹を出そうと話しながら二人で戻ると、さっきまでの賑わいは静まり、ほぼ空っぽの大皿がカウンターに残っていました。
お肉の準備をしていると養豚の人たちが帰ってきたので、「ごめんね、鰹無くなっちゃったからお肉焼くね、鰹は明日用意するね」と声をかけ、用意をしたところで、8時のお母さんに引継ぎバトンタッチし、私の長い一日は終わりました。
のはずでしたが、一日は終わらなく、娘を寝かせながらこの長い一日の朝からのいろんな場面が思い起こされ、なかなか寝付けずいろいろ思い巡らせていました。こうしたからこうなった。とは言えないし、たくさん食べた人を否定する気持ちもあまり出てこなかった。鰹がなくなったからと誰も怒らないし、誰に責められたわけでもないのに、なぜかそのことをよしと出来ない自分。近頃は愛和館も最後まで同じメニューでなくてもと決めてきたものも外れてきたし、他のメニューでも最後の方に切れてよく作り足したり、他のものを出したりする。でも2年ぶりの鰹だから特別?

次の日いろいろな声が聞こえ始めました。「昨日鰹切れたんだってね。」「あの出し方ならそうなるよ。」「昨日の鰹美味しかったよね。」「私おかわりしちゃった。」「鰹が切れたって、食の人が気にすることじゃない。」「食べれなかった人に次の日用意する?(しなくていいのでは)」・・・

そんなこんなを先日の実顕地づくり研[愛和館編]で流れ的に(?)出してしまい今回の投稿となりました。

今度鰹を出すとしたら、その時の春日山の人たちはどう考えてどんな出し方をするか楽しみにもなってきました。今あえて、食の人と書かなかったのは、愛和館編に参加して、作る人と食べる人に分けていたのは自分だと気付いたからです。もしまた同じような状況になったらのれんをくぐって愛和館に出て、あと2皿だけどどうしようーとその場にいるみんなと考えられる自分だったらおもしろいだろうな、正美さんいたらできそうだな。とか思ったりもしています。

春日山実顕地 奥田なな瀬

6/25

コメントで引用している資料の全文が読みたいとの声がありましたのでこちらへ掲載しています。

こちら → マギシズム試験場について 人間理・社会理の試験とは何か

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コメント

  • 実顕地広報部

    春美さんがコメントで引用している資料の全文を読みたいとの声がありましたので掲載します。
    次のリンク先から読むことが出来ます。

    http://www.mula-net.com/?page_id=51653

  • 平島春美(春日山実顕地)

    こんな資料が見つかりました。愛和館を通して実顕地をつくるということが40年以上前からこんな風に描かれていたんですね。春日山愛和館ではなく春日の食堂と言われていた時代に。

    、、、今、私たちがここに生きているという事実から先ずは出発したいと思います。、(略)
    、、そこにいろいろの考え方や方法の違いのある事がわかると思います。そして、こんな大切なことが習慣的になってしまっている点や腹がへるから食べにいく、みなが食べに来るから食事を作るという、受け身からでなく、積極的姿勢で正常なあり方を見出すための研究や試験が始まると思います。そしたら、単なる飯炊き係やサービス係から、研究のための、試験のための係に発展することになり、仕事に対する意義、やり甲斐が増してきて、全人幸福につながる正しい食生活のあり方がここから産まれる源泉の場に、オンボロ食堂が生まれ変わるでしょう。
      流行はパリから正しい食生活は春日の食堂から、というように、試験の場としての食堂には、「炊事係は女」という考えもなくなり、直接炊事係以外の大勢の研究員が取りまくことにもなり、そうした意味で全員食事係であり、毎日毎食が試食会であり、それこそこの食問題について、試験対象にならない人は生きている人では一人もなさそうです。、、、

    • 奥田なな瀬(春日山)

      先日の銓衡委員会に4班から送り出した、ひかりちゃんが2日間やってみて、「愛和館に1日2回来て、その事が研鑽資料、全てが研鑽資料だなと思った」と明るく楽しそうに話してくれました。
      この資料は、初めて見ましたが、そんなひかりの言葉と繋がってるなと思いました。

  • 平島春美

    食生活だった頃はこんな現場に何回も遭遇したけれど、その場をさりげなく、治める方法をいつも考えて、手をうっていた。それが「食生活の立ち所」とズーと思ってやってきた。今思えば、そうすることでどれだけ、勿体無いことをしたかと思う。そんな場面で人(自分)はどんな感情をいだくのか?陳列できたら、もっともっと面白い日常になっていくのに。
    この鰹の場面でも、自分の気持ちは出す側になったり、食べる側になったりして、出す側がそういうならと引っ込んでる。「立場の違いですり抜ける」 ここどうなってるか?私って。

  • 平島春美

    カウンターの鰹のたたきの大皿を見た時、「大皿で出すんだー、やるなー」と思いきりの良さにちょっと、びっくり。今の愛和館ならどのようになってもいけるという信頼?か
    ついつい、長年の習性からこの出し方で大丈夫かな~と方法の方へ考える回路がいってしまう。
    聞くところによると食生活の中でも高知の皿鉢料理(さわちりょうり)のように出したいという意見もあったとか。

    なな瀬ちゃんの心の動きが手にとるようにわかる。
    私は後半の方に食べに行ったので厨房をのぞいたら残り1皿の時で「大丈夫?」って思わず、聞いてしまった。なな瀬ちゃん悠然と構えて「後10人位だから大丈夫、」って言うし、「まぁ無くなったら、買いに行くし」とも言うからそのまま引っ込んだ。
    最後の人までなかった話は次の日職場でも当事者がいたので、話題になった。話題として面白いから出るだけで、だからどうこうという所まではいかない。ほんとはそこんところをやったら、面白いのにと思うのはいつも後でなんだな~。
    今日、別の当事者の永見君と食卓でその話になった。「俺もさー明日用意します、って言われて別にいらないのにって思ったー」と言ってました。
    6切れって書いてあるのに縛られてる自分もあるし、さらっと「6切れだよー」と言ってみたいもんだと思う、自分もいる。
      

  • 福田律子(春日山)

    実践の書にある機会均等の実用編だったらどんな感じかなと思いました。なな瀬さんの一人もれなく食べて欲しいという思いと重なりあい次なら、どう展開できるだろうと愛和館を毎日つくっている自分がどんな空気を出すのかだなあと背筋が伸びました。

    • 奥田なな瀬(春日山)

      機会均等の「機会」ってどんなことを言ってるのかな、って改めて思いました。
      私は、こういう時、稲と鶏の「自由なる生活」思い出します。
      大きな胃袋の雛が多く食べても・・・の一節です。
      「あれば食べる、無ければ食べない」という声も聞いたりして、それぞれいろんな切り口で観てるんだな。って思いました。