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実顕地づくり研 ~六川編 実顕地一つの運営~


実顕地づくり研 ~六川編 に参加してみて(豊里文化展より)

村岡佳世子
六川実顕地行ってみて、どこに行っても整理整頓されていて、美化も行き届いていて、
丁寧に暮らしているんだな、と思いました。愛和館メニューも、六川ならではの鶏のスープ
とカレーを用意してくれていて、美味しかったです。
研鑽会で、六川の女性研の話、みんなで本気で本心でやっていこうとしている、それが色
んなところに現れているんだな、と思いました。
豊里に帰って来て、実顕地つくり研で、六川の話・今月のテーマの話になって、面白く
て、あっという間に一時間半が過ぎて、みんなびっくりでした。
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ホメウ
六川は25年ぶりだけど、いろんな人が来ていて、久しぶりの人もいっぱいいた。
六川の参観も用意してもらい、ヤマギシの歴史を感じた。
久しぶりに来て、故郷に戻ってきたような印象がある。
いろんな人に会い、それぞれの実顕地の様子を聞いて、僕らもブラジで同じことをやっているし、それぞれいろんな所でやっているが、すごく家族だなと思えた。
歴史も一つで、これからもやりたいことは一つで、「一つの家族」で「一つの運営」は、当たり前じゃないかなと思える。
ブラジルでは特講は年4回、昨年は48人参加した。
楽園村は年2回やっている。村人2人で、あとは特講や研鑽学校に行った人がスタッフに入るのですが、楽園村の参加者35人に対しスタッフが25人来るという状態で、そういう人たちの次の段階をどうするかを描き、今研修生の家を建設中(今ある家を自主運営できるように改造)で6月に完成予定です。
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岡田京子
日々の暮らしをながめてみると、職場の出発研で自分の思いを出しながら、どんなところから自分のそんな思いがでてくるのかなあと思っていたときに、六川での研鑽会を知り、実顕地はじまりの地にいきたいとおもいました。
その中で、六川Gでの女性研の話が心にのこった。洋子ちゃんが、最初は「何、これ」人の心に土足ではいりこんでくるような感じがして、女性研がすごくいやだった。もう、研鑽会に出ないと思い研鑽会をけとばした。色々考えた。でも この壁をこえないと この人たちと一緒にやっていけないなと思い、一緒に考えてほしいとお願いして、また、あつまってもらった。こうしたいという自分の願いもだしながら、今の現状も自分のことになり、じゃあ、どうしようかと自分の心が変わっていった。最後に私のために集まってくれてありがとうとお礼をいったら、それはあんただけのことじゃないんだよといわれたそうです。なんだか 六川らしいなあ。

まあそんなこんなで、私の記憶能力はいたってあやふやなのですが、研鑽会でだされたさりげない話しの中に こころが充電される1日でした。

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麻野幸子
3年前の養鶏法で六川を初めて訪れた時のほっこりとした空気感を思いだし、ちょっと気分転換に行ってみよう!と。

午前中の研鑽会の中で。
特講後の鶏舎参観の時「鶏糞が耀いて見えた」、春日山のバイオマス発電の参観をして同じように観えたというのを聞いて、あ、自分は牛糞・豚糞を困ったもの、処分とか処理しなければならないもの、と見ているのに気がついた。
豊里でも今年はバイオマス発電の設計が始まるなかで、うまくいくのかなあとか、そもそも畜産を続けていっていいのかとモヤっとしていた。
頭の中がカラリと変わった。牛糞・豚糞、そのままに見えてきた。「処理」って感じから「活かす」に変わった。実顕地だけで何とかしなければも消えた。軽く、明るい気持ちになってきた。

午後の研鑽会。津木実顕地の真須美ちゃん、ふっくらとほっこりした雰囲気がいいな、どんな様子か聞きたくなった。「豊里から移った当初は、暮らしも施設も昭和っぽいところに来てしまった、と思ったけど。どこからの戴きものとか、おかずはあとどれ位残っているとか何となく伝わっていくのが心地いい」とゆっくり、おだやかに話した。
聞いて、お互いに気配を感じながら暮らしているっていいなと。

すぐ、パッと私の日頃に。豊里は伝わりにくいというか・・

建設部への提案が進まないとか、連絡がない、突然はじまるとか「苦情」ばっかり。少ない人数でフルに動いているのを察するとかないみたい!と出してしまった。

話合うなかで「建設部だけで何とかしなければ」とか、声掛けが「苦情」、困ったことと見ていたなと気がついた。午前中の牛糞・豚糞と重なった。まさに「処理」気分でいた。
そのまま見えてくると、「声掛け」はこころを繋ぐもの、建設部づくりに活していけるもの、だった。
これから「活かす」を実践しながら、実感していきたいなと楽しみになった。
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松本瑞季
実顕地の経営と運営って何だろうみたいな話題になった時に、ちょっと思ったんだけど。

普段暮らしてて色々な場面で人と話したり接したりする中で、心が動くことって結構ある。職場や暮らしの面でも、声をかけられると一緒にやりたいと思ったり、成り立つように動いてみたり…でも最近、心が動くとか心を寄せてとか、それだけでは何か物足りなというか。本能だけで動いてる様で、自分はどこに向かってるのかなぁみたいな。

で、みんなの話を聞いてるうちに、あっ自分が運営しているという実感(意識?)が無いなっていうのに気付いた。頭で考えてみると、自分のやってることって全てが繋がってるのかなとは思うけど。手応えを感じるところまではいってない。
豊里は大きいし人数が多くて見えにくいのか、自分自身がそこまでやってないのか。理由はちょっと分からない。でも運営していると実感できるところまで動いていきたいな。
そんなことを思いました。
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呉星順
去年の一年やってみての職場の整理研で六川のみかんのことが豊里のより近くなってきたと いう話が出され交流って行ってきただけではなくその後も心の中に残るものなんだと思った。今回の実顕地つくり研が六川で行われるという話を聞きなぜかひとごとのようには思えなくていけたら行きたいと思って職場に出したら、ぜひいけるようにしたいということになり段取りのこともみんなで考え朝6時のバスに無事に乗ることができた。参加してみて何がそう感じさせたのかよく分からないが「村に抱かれて」という歌を思い出させてくれる村だなと思った。そこに住んでいる人達がそこを自分の村にしていて、なおかつそこから実顕地一つという動きに乗ろうとして飛び出そうとしているように感じ、私もそこをいっしょうにやらせてもらいたいと思いながら帰りのバスに乗りました。

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山内俊夫
研鑽会の最中の出来事が印象に残っています。

突然サイレンが鳴り響き、何事かと耳を澄ませば、「地元で山火事です」との有線放送でした。
それを聞いた六川Gの男の人たちがスッと席を立ち、会場から出て行きました。
幸いにして小火で済み、大事にならなくて良かったと後で聞きましたが、 研鑽会場から出て行く人たちの後ろ姿を眺めていて、何か胸に響くものがありました。
何もないところから始め、地域社会と渾然一体となって55年間も存在し続けている六川実顕地の源泉をその後ろ姿から感じさせてもらいました。

帰ってからホームページをのぞいてみると、『六川実顕地は、みかん山に囲まれた地区の集落の中にあり、「どこからどこまでが実顕地?」と聞かれても、うまく説明できないくらい、地域の人とのつながりは実顕地ができる前から今も続いています。』と、実顕地の紹介文に書かれてありました。
昼休みの参観の時にミカンの選果場から眺めたゆったりとした集落の景色が、改めて思い出されました。
その写真は村ネットにも載ってるので、是非観てほしいです。

「実顕地ひとつの運営」をこれからみんなと描き合っていく時の自分の視点、立ちどころの指針となる経験でした。
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高橋護
六川Gでやれてよかったと思った。
隅々まで行き届いた準備がされて、おいしい地鶏のメニューがいくつも意されていた。
今月のテーマのひとつの運営てなんだろうかと、考えた経営と運営の違いとは?
順序がありそうだ。 ひとつからの出発→ひとつの実動→ひとつの運営地元の一番人気の焼き鳥店をやめて堺ファームに力を入れよう
なんでも言える場がある。言い合える間柄—女性研
船南Gが、全国の育雛場に いろいろあるかもしれなが、それでやっていこう。
そんな船南Gに人が寄っていく。行かざるを得なくなる
六川で開催される養鶏法から船南の鶏舎屋根張りへ赴く—
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今月の実顕地づくり研は、本庁研に引き続いて六川実顕地で開催されました。
「一粒万倍館」の二間続きの広い会場に、総勢80人の人が二重の輪になって座りました。
全国の実顕地からはもちろん、今回はブラジルのホメウさんも参加。
六川、津木はもちろん、堺ファームの福原夫妻も一同に会しての研鑽会でした。

六川地区の話を中心に「実顕地一つの運営」というところから出し合いましたが、僕が一番印象に残ったのは六川の焼き鳥の話です。
津木の地鶏を焼き鳥にして、街に出ていって何ヶ所かで焼き鳥をやっていて大人気だというのは元々聞いていました。
その大人気の焼き鳥を一部閉店して、堺ファームへもっと力を注いでいきたいという話でした。
その店舗での焼き鳥の売上は一日10万を超えるとか。本数にして1000本です。
まさに人気絶頂の今、あえてそれをやめるという、その中身を杉崎さんを始めとした六川の人が出してくれました。
その中でも「あまりにも焼き鳥が人気で店の中まで入らずに焼き鳥だけ買って行く人もいて、かえって店の迷惑になっているのではないか」という話や「六川でいくら売れてても、一つの運営というのではどこに力を入れていくのか」という所が心に残りました。

たくさんお客さんが来てたくさん売れて、何の問題もないようでも、常に「自分らのほんとにやりたいことは、なんやろか」と考えているような、そんな感じを受けました。

自分のところが栄えるのは誰でも嬉しいよなと思いますが、栄えてる自分とこ置いてでも他のとこ栄えさせたいっていうのもええなあと思いました。
今進めてる「船南実顕地を育成場に」というのも、お互いに栄えていくような「一つの運営」のスタートなんだなと思います。

今回は昼の休憩時間を使って六川実顕地の参観もさせてもらいました。
六川ならではの、地域の中に溶け込んだ実顕地風景を味わいました。

内部川実顕地 石角聡
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コメント

  • 麻野幸子(豊里実顕地)

    実顕地づくり研に参加してを読んで。
     五時間ほどの時間と場を同じくして、それぞれに感じたものを出し合うと面白いな、と、又、味わっています。

    『研鑽会は要するに、自分の持場である職業なり所属部門や、己が使命とするところを通して、未だかつてなかった、新しい幸福一色の理想社会を、自分をふくめた全人類に齎すのを目的として、それぞれの必要に応じ、1つ宛の主題について、納得の行くまで徹底的に究明し、皆んなで創り上げて行くものでありますから』
    (養鶏書 研鑽会にのぞむには)

    「それぞれの必要に応じ」ってところが、そうだな~と。『生地のままで接し、同化し合うのであり』(養鶏書 研鑽会にのぞむには)

  • 大角宏一 (豊里)

    一体生活発祥の地六つ川での養鶏法研鑽会、新しい風が吹きこむか!!

    ○ 六つ川 部落中を巻き込んだ一体生活、景観を活かして観光実顕地

    ○ 紀南  機械化した生産性高いモデルみかん生産実顕地

    ○ 津木  伝統的ヤマギシズム社会式養鶏実顕地

     門外漢は こんな夢を描く。いずれにせよ若い人たちに魅力ある有田みかん実顕地になってほしい。