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実顕地一つの運営(8)


実顕地一つの運営(8)

夏の子供合宿 みんなで楽しく

実顕地一つ 一つの意味を探る

今までの延長でない介護環境

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夏本番、今年もヤマギシの子ども楽園村には多くの子ども達が参加して います。夏休みに入り7月下旬には、岡部・内部川・北条で開催され賑やかな様子が伝わってきました。昨日からは春日山そして豊里・韓国へと延べ211名の子ども達とこの村で一緒に暮らします。韓国楽園村へは日本から9人の高校生が参加し、新しい繋がりができ広がっていきそうです。
また、8月11日からは実顕地の小学5年生から中学3年生が対象の「2016夏の旅合宿」に13の実顕地から36名の子ども達が送り出されてくる予定です。3回目を迎えるこの企画も、初回は別海や夕張実顕地、昨年は六川実顕地、そして今年は関東(那須・岡部・成田)へと実顕地を巡り、子ども達にとってもたくさんの実顕地があることを知り、村や村人に触れる機会にもなっているようです。何か特別なことを用意しなくても、みんなで一緒にバスに乗り、食事をし、ともに過ごすことで楽しめていくので はないかと、細かい予定や企画は立てずに出発するそうです。子ども達 はもちろん、受け入れ実顕地をはじめ大人たちもみんなで楽しんでいきたいです。

「実顕地一つ」のテーマも3年目に入りました。「一つ」といっても各自いろいろなとらえ方をしているようです。この間の実例から考えてみるとどんなことがみえてくるでしょうか?
・全国養鶏部一つでと出発し、船南で育てた雛を移動し入れてみると「いろいろと問題が出てくる。このやり方でいつまで続けていられるだろうか」という考えが出てきた。
・仲良し班での企画を立てていたら、後からその日に初めてのサザエのつぼ焼きと生ビールで村みんなで野外食をすることに。「先に決めたことだから予定通りその日にやる」という班の人とそれ以上話ができなかったこと。
・職場の機械が壊れ、「直してほしい」「新しいものを入れてほしい」 というと、「全体から観たらどうかで検討したい」との声に「関係ないだろう」という気持ちがむくむく湧いてくる。
どの例でも実顕地一つでやっていこうという気持ちには変わりないでしょうが、「一つ」の意味をもっと探っていきたいです。
もし、「どっちでやったとしても一つなんだから」「どんな気持ちでやっても、もともと一体だから」とよしにして止 めているものがあるとしたらもう一歩進んでみたいテーマです。
一体の資料の中に 『全人一体観に立つというのは、能動的意味がある。一つにしていくという観点。 一体といっても、それを前面に出していくのではなく、そういう心を 培っていく、そういう心境に立って、具体的な行動が出てきて初めて一 体であり、実顕地のすがたである』 という一節があるそうです。「もともと一つ」の中で、そこに私が一つを顕わしつくっていくものが あってこそ実顕地をつくってやっていこうとする意味があるので はと思えてきました。

先月から引き続き介護環境について探っていきたいです。「今までの延長ではなく」ということで、少し介護と話がはなれますが、鮮魚の例が分かりやすいのではないでしょうか。今年に入り特に三重県地区の愛和館の食事風景は大きく変わってきました。サバ、ブリに始まり、カツオにイカ、サザエにマグロ・・・と海の幸に舌鼓を打ち、漁港へ魚を引き取りに行くところからさばいて料理するところまで、みんなで関わり楽しむ場にもなってきています。「愛和館の食卓は実顕地生産物で」「愛和館のことは食生活部の人で」と、いつの間にか決めていた時には味わえなかった豊かさを満喫しています。そんなふうに、介護環境についても今までの延長ではないところから考えていけないでしょうか?すでに各実顕地研鑽が始まっていることでしょうし、毎日の暮らしの中で具体的な懸案事項もたくさんあるのではないでしょうか。
村ネットにもコメントが寄せられてきています。「今月テーマになった介護環境を考えるということを見たとき、実顕地で、老人問題が話題になるということはどういうことだ?と、ふと思いましたがあ~誰でも年は取る、年寄りになることからは逃れられないんだなあと、改めて思い返し実顕地では老人問題は大丈夫だ、とちょっと思い込んでいたことに気が付きました。誰かが自分の老後を考えてくれていると、勝手に妄想してたかもなあ ~。(中略)誰かが自分の世話をしてくれるとか、子供が見てくれるとか、どっかで思ってる?。実顕地で年を取ることってどういうことなんだろう? 死ぬ時が最高の幸せってどういうことなんだろう?」(村ネット参照 一部抜粋
ある研鑽会で、実顕地で介護されるというのは幸せ、実顕地の人は皆心が優しいから、というような意見が沢山出てくる中で、認知症のYさんは身近には一人だけですが、認知症の人が集まるディサービスに行くと元気になるという話が出てきました。
実顕地だからこそできることと、実顕地以外だからこそできることがあるようです。介護のことも、頭を柔らかくして柔軟に考えて、「今までの延長ではなく」見直していきたいです。

実顕地研鑽部
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コメント

  • 多摩実顕地 松本礼子

    環境っていうと、どうしてもハード面を考えてしまうけど。

    例えば家一つとっても考え方が現れる。
    段差のない家がいい,温度管理ががしやすいair conditionerがあったほうがいい。
    そうだよね、だって1、2ミリのカーペットでさえ躓くんだから、転ばないような配慮が必要だよね
    暑さ寒さに弱いから、風邪をひいたら、肺炎になって危ないから・・・

    私も、そうそう、老化は防げないんだから、年を取ったら誰でも快適な環境の中で、ゆったり楽に暮らすことがいい・・というようなことを思ってきた。そうしてみんなが快適に暮らせる施設が作りたいと思い続けてきた。

    だけどここにきて、実際に年を取った人とずっと一緒にいると、本当にそうか?と思うことにしばしば出会うようになった。
    団地の2階に住んでいる93歳のおばあちゃんを迎えに行って階段を降りるとき、足を痛そうに引きづるから「もうそろそろ,引っ越しを考えてはどうですか?転んで骨を折ってもいけないし・・」と言ってみた。
    「そうだねえ、転ぶのも覚悟でないと階段は歩けないよねえ、この階段があるから注意して歩こうって思ってるんだけどねえ」

    はっとした。
    転ぶことを予防することで、注意する力をなえさせる?

    多摩実顕地に熊本から、地震の時に家が壊れて多摩に避難している80代の人がいる。
    多摩は4階建て,家の中央に階段がある。多摩に来て洗濯物のたたみを手伝ってくれて,毎日その階段を上り下りする。少し足が不自由。歩行はシルバーカーを使って散歩などしている。家の中ではものを伝って歩くことが多い。その方が階段を降りるとき、まったく後ろ向きになって降りてくる。見るからに危ない。そこで提案してみた
    「階段の手すりににつかまって,カニのように横向きで一段づつ降りてはどうですか?」一緒にやってみた。 「ああ。それもいいね」・・・しかしいまだに後ろむきで降りている。後ろに全神経を使って慎重に,慎重に。カニ歩きは歩きにくいということだった。

    そうか、と思った。
    介護という職業を通していつのまにか、仕事としてその行為を見ている。歩行介助。
    人が歩いて移動している,ということを見ていない。
    その人は、その方法で歩くことを選んでいるということを見ていない。
    安全に歩くのがいいとか、転ぶことでその人が不自由になるから転ばなせないために、とか,
    こちらの論理で決めている。

    介護するということの中には、する,される、とか、してもらう,してあげる,という関係が生まれやすい。力関係で綱引きをしてしまう。研修したり訓練したり経験して身につけてしまうものがある。

    本当に、共に生きるお互い様のあなたと私なら、どういうことになるのだろう。

    バリアフリーの環境快適な家を建てたいと思っている私は、誰のためになぜ建てたいのだろう?
    介護する人が簡単に楽に介護しやすくしたいため?まさかそれだけじゃないと思いたい。

    団地住まいの93歳のしめ子さんは言った。
    「暑い寒いも自分のためよ、選べないんだからね」。その中で生きている,生きていく。

  • 佐々木久江(豊里)

    今までの延長でない介護環境とは?礼子さんのコメントを読んで
     
    いろいろ思いました 私の母は2年前から一緒に暮らして

    います。かなり言いたい事を言っていると思います それはきいてく

    れる人達にみまもられているからこそだと思います あとだいたい

    一人で愛和館やロビーでエンジョイしています これはかなりのぽい

    んとだと思います そこで仲良しの人達と過ごします デイサービス

    では趣味の書、お花、工作、お勉強等楽しんでいます かなりやり

    たい事だけやっています これはケアマネージャーの恵子ちゃんと

    話し合って傾向と対策を考えてもらったからです 恵子ちゃんを

    信頼していて安心しています あと私のしらないところでもいっぱい

    お世話になっています 本人は過去は一切関係ない、今と未来に明る

    く夢をもって生きていこうと言います 今までの延長でないという

    へんは新しいものを受け入れる素地があってこそだし新しい人がくる

    とチャンスになると思います 新しいとはなにかというテーマも

    あります 私もお母ちゃんってこんな人だったんだーの連続です

    具合の悪い時にしかあっていなかったので 環境が変わるといくつに

    なってもかわるんだなーと思います  今はカープ優勝にむけて

    はりきっています 

  • 多摩実顕地 松本礼子

    春美さん,よろしくお願いします。
    実顕地の暮らしでは、こんなことはないと思うんですが、自分を振り返ると言いたいことを言う,という簡単なことがとても難しいなあと思っていてここでの(サロンひまわりという名前です)会話があまりにもとらわれない発言に思えて愉快なほどなんです。

    見ていると顔が明るいし、声も大きくて、何より周りが,それを聞いている。
    私としてはその中で、この自由さは何だ?,自分を大切にするということの元がこの言いたい放題のお互い様の中にあるんじゃないか?って、思うようになったんです。

    本当に自分を大切にしてこそ,自由に話すことができて、相手のことも「あなたのお気持ち、わかりますよ~」という言葉になって,受け入れていけるんじゃないか、と思うようになったんです。
    今の段階ですが。
    ・・・・いずれにしても年を取ることも学んでいくことなんだなあと、教えてもらっています。

    • 上田師代(タイ実顕地)

      こちらでも文章を印刷して、朝の出発研で読みました。
      今こちらに交流に来ている森路節子さんは、以前介護ヘルパーの資格を取る際、礼子さんに指導してもらったそうですね。

      私の母も今年91歳です。
      まだまだ元気で、6月にはタイまで遊びに来ました。
      週一回のデーサービスが楽しくて楽しくてと、何回も同じ話をしてくれました。
      若いスタッフの人達が、自分の話を「面白い」と聞いてくれるのが嬉しいそうです。
      行く前は、幼稚園みたいな遊戯なんか出来るかと毛嫌いしていましたが、今ではゲームも歌も計算ドリルも、みんなとするのが何でも楽しいのだそうです。
      行っていない私にも、スタッフの方々や園の温かい雰囲気が伝わってきました。
      来年は、三重のヤマギシに行って、山本ふみさんや渡辺みよさん、佐貝のぶさん、須藤悦子さんに会うんだと、また新たな目標を持って張り切っています。

  • 多摩実顕地  松本礼子

    最近 考える。
    今までにない介護環境って何だろう。

    私は今、町田で定員7人の小さなデイサービスで、だいたいが60歳以上の人と毎日を過ごしている。
    利用するメンバーは70代、80代、90代、と様々、明日にも息を引き取りそうな人も来る。
    心臓が痛いという人、ひとさじの食事をやっと飲み込む人、・・皆元気で通ってくる。
    誰が見ても「もうデイサービスなんか行ってる場合じゃない、寝かせておかなくちゃ」という人もくる。

    元気な人が来る。
    一日おしゃべりして、言いたい放題を言う。
    嫁の悪口、娘の愚痴、死んだ旦那の放蕩ぶりを昨日の話のように愚痴って帰る。
    「夕方が寂しくて、死にたくなるんだよ、あんたにはわからんだろ?」と自宅に帰るのを拒否する。
    みんなが言いたい放題を言って帰る。

    だいたいがそんな一日。始めてくる人は、へえ!とびっくりする。
    こんなネガティブな話しをしていいのか、あけすけな話を聞いたら気を悪くするんじゃないか・・・。

    違う。
    ここまで年齢を重ねてくると、自分じゃどうにもならないことばかり増えてくる。
    行きたいところには行けない、会いたい人にはなかなか会えない、やりたいことがうまくできない、
    おしゃれの1つも思うようにはならない、綺麗な口紅を通信販売でやっと買ったのに似合わないって言われる・・そんなものなんだよね、歳をとるって・・。
    自信に満ちあふれて輝いていたのに、あの頃の自分はどこにいっちゃったんだろ?

    だから、せめて思うことを思うように話すことぐらい、誰に遠慮もなく話したいのよ、
    話せるうちに話したいのよ、今話せることは今話したいのよ。
    ・・・言いたいことを言ってる中に、本当に言いたいことが1つや2つは必ずある。
    そして、それが伝わる。だから、何をどんなふうに言ってもいい。

    一日中嫁の悪口を言って疲れはてて口を閉じかけた頃、
    それを聴いていたばりばりの認知症の人が「あなたもたいへんねえ~、わたしにもわかりますよ」なんて言うものなら、その人のそれまでの苦労なんて、どこかへ消えて行ってしまう。

    そう言う関係が、たった7人の、町田で一番小さなデイサービスの、この空気の中にある。

    自由とは何か、尊厳とは何か、
    明日をも知れず、一さじのおかゆを食べに来るばあちゃんから、いつも突きつけられている テーマ
    他人に気遣いなんかしない口達者なばあちゃんから、いつも突きつけられている  命題。

    実顕地で暮らす私にとって 自分事としてどう考えればいいのだろう。

    • 平島春美(加賀実顕地)

      礼子さんの実体験に裏付けされたコメント、
      今日、コピーして、整理研で話題にしようと思います。