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台湾での会員研鑚会


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最近、台湾・中国・香港から特講参加者が多くなり、3ヶ国で70名を超えました。
昨年末、台湾の会員から是非台湾で特講を開催したいけど、どのようにしたらよいのかと問い合わせがあり、一度会員が集まって研鑚の場を持ってみてはどうかということで、2月4日は台北に近い苗栗縣で、2月5日には高雄市で開催されました。香港や中国からの参加者もあり、日本の実顕地からも4名が参加して、両会場で50名近くの人が集まりました。
台北では、野外での参加者持ち寄りの食事会から始まり、久しぶりの出会いにあちこちから歓声が聞こえ、和気藹々の雰囲気を醸し出していました。
研鑚会では台湾で特講を開催するにはどのような条件が必要なのかという質問で始まり、台湾で開催することの意義について、日本に行く費用もかからず気軽に参加できて友達や家族を誘いやすい、自分達も特講の開催に関われてご飯を作ったり世話係になったりできる、などのことがでました。一方、まだ台湾での特講に消極的な意見として、日本の実顕地をみることができるので、日本での特講に参加して欲しい、台湾人だけで特講をすると頭だけで終わってしまう気がする、などの意見が出ました。
その後、日本から「特講を台湾で開催する前に、高度研鑚会(3泊4日)を台湾で開催してみてはどうか」との提案に、いろいろ意見が出ましたが、最終的にやりたいという話になり、具体的に日程・場所・運営方法など詰めていこうという話になりました。
赤ちゃんを連れての参加者も二人いるなど若い人が多く、特講を終わって何かやりたい、みんなと繋がっていきたいという意欲をたくさん感じた研鑚会になりました。
今後の台湾の動きが楽しみです。

春日山実顕地 北大路順信
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コメント

  • 新村正人 (加賀実顕地)

    十二三年前、台湾から黎さん家族が初めて春日山に訪れた時の印象を今でも鮮やかに思い出します。その頃は未だ、日本の人でも特講を受ける前の人が実顕地に何日も滞在するなんてことはしないようにしてた頃だったので、ましてや、見ず知らずの台湾の小さな子連れの家族を何日も受け入れるのは全く免疫のない春日山で、なんだか受け入れる方としては肩身の狭い思いがする感じでした。志摩の方を旅してから、大体何時頃に着くという知らせだけを受けて、小さな子ども連れでどんな風にしてどんな人達がやってくるのかと思って待っていたら、大きなスーツケースと荷物の山、その上に二人の小さな子どもたちを乗せて、歩いて春日の坂を登ってきました。後で聞いたところ奥さんの彩雲さんのお腹には赤ちゃんが、、、。今思えば恥ずかしながら、よく来てくれたねえ、というよりなんでこんな大変なことしてまで!!という思いが先に出てしまいました。
    交流館で過ごしてもらったんですが、ある時、「由美子きれいでしょう」と嬉しげに見せてくれたのが、部屋の壁やふすまにクレヨンで大きくいっぱいに書いた子供達の絵。えっ、唖然!!こんなの村の人達に見られたらなんていわれるんだろう!!止めさせてほしいと伝えても、うまく伝わったようすもなく、、、。その絵は黎さんたちが他所へ出発した後、加奈子さんがせっせと消してくれました。滞在中に黎さんはゴールデン特講を受けて、その間彩雲さんと子供たちは春日山で過ごしていました。
    こんな事があったので黎さんたちは懲りてもう来てくれないんじゃないかと思っていました。でも、それからも奥さんの彩雲さんが特講に行って、彩雲さんの弟も特講にきて、幾度か春祭りに来て台湾のお茶のお店を出したり、ついには夫妻で研鑽学校、その間その時までには5人になっていた子供たちの上の子4人は台湾からの初めての楽園村。子供達が楽園村までの一週間を加賀で過ごす間に、女の人たちで子供達の衣類にネーム付けをしたり、子供たちに日本式トイレの使い方を教えり、、。黎さんはその後二回目の研鑽学校(研学?)にも参加しました。
    2011年5月、香港のシャーマンがPCDというNGOからヤマギシの視察にきていたのですが、豊里、六川を見ても抱えていることへの回答がつかめず、すっきりしなく落ち込んだ様子でした。由美子さんもどうしていいのかわからず思いついたのが彼女がそのころ始めた、歌で中国語を習う教室で覚えたばかりの歌「何日君再来」を、豊里の池の前で歌ってみたら、彼女も一緒に歌い始めて、さっと表情がほぐれたように明るい顔に。その後、PCDのメンバー二十数名が春日山での実顕地研修に訪れ、翌年、シャーマン、フォンジー、タックが仕事のためではなく、自分たちのためにと特講に参加しました。特講が終わってから、この3人と、シャーマンのパートナーのトニーさんが加賀に何日か滞在しました。トニーさん特講に行かないかな~!
    何年か経って、台湾のピンチエとシャーマンが特講の係ができるようになりたいということで、それでは実際特講の係に入るより、実顕地で実習をする方がいいのではと研鑽され、ピンチエは美里、シャーマンは加賀に来ました。最中にリッタさんと電話でやり取りしている時に、新村さんたちはシャーマンと友達関係になってしまうからダメだよ、これは研鑽の実習なんだからと言われ、その時から自分の本意とは違ったところで、自分の中になんとなく指導者的な姿勢が入り込んでしまったみたいなことが苦い思い出として残っています。
    由美子さんと彼らの関りを傍らで感じながら、思うことは、黎さんとシャーマンの中に由美子さんというhomeがあって、由美子さんの中にも同じように黎さんとかシャーマンというhome があるように思います。ほかにもピンチエとか、柏仲さんにも。ヤマギシ以前の心というのでしょうか、、、。
    僕がそばでやってきたのはその心を実現化したり、実際の社会の仕組みの中で軋轢を起こさないようにするお手伝いをしてきたのかもしれませんが、それが心の流れを止めてしまったこともあるのではないかと危惧しています。
    今回の研鑽会で彼らのところに、大勢の台湾の仲間たち、しかも香港、中国、日本からも寄れたのがとっても良かったと思います。

    看見大家 感慨万端。      

  • 沖永雅子 豊里実顕地

    私も一緒に行かせてもらいました。
    台湾、中国、香港からのほとんどの人たちと特講を一緒にやったので、彼らとの再会は懐かしく、とてもうれしく、楽しい時間でした。
    そして、実顕地で当たり前に暮らしている自分を改めて振り返る機会にもなりました。

    2014年11月、2015年11月と12月の特講の後、去年一年の間に五家族が共同生活を始めていました。
    家はいくつかに別れて暮らしていますが、中にはこの家は築何十年?、しかも空き家になってから何十年?と思うような家もありました。
    その中で去年の秋、春日山で2週間実習したシンディが屋根のないキッチンを指して「ここで一緒にご飯を作り、一緒に食べています。私達の愛和館ですよ」と案内してくれた時、思わず私の中に熱いものがこみあげてきました。
    春日や豊里を見てこの暮らしを始めようと決めた彼らの思い、「ここは私達の愛和館です」という彼女の中には実顕地と同じものがこの「屋根のない愛和館」に見えているんだと。
    日ごろ、物は何でも整っている実顕地で、私は何を見ようとして暮らしているのかと、問われた思いでした。