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みんなが気になる実顕地運営(3)


みんなが気になる実顕地運営(3)
 
「研鑽会になったネ」
そこにあらわれているものは?
 

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先月のテーマ、「研鑽(研鑽会)を、物事を決めるためにやろうとしていないか?」で研鑽していく中で同時に、「では、研鑽・研鑽会とはどのようなものだろうか?」ということが話題になってきたようです。また「研鑽会になったネ」とお互いの中から湧いてくる時や、そのように伝わってくる研鑽会とは、何をもってそう感じられるのでしょうか。

先日、適期作業のじゃがいも定植に送り出し合っていこうという時に、職場では数人を送り出す予定で話が進んでいました。そんな中、前日になって若い人からもう一度「何とか一日で植え切りたいです」と出発研で出されました。始めは、〇〇があるからその日は行けない、他にもやることがあるから、といろいろな意見が飛び交っていましたが、「合わせていこうや」という意見もあり、出発研が終わるころには結果10人以上送り出してやってみようとなっていったそうです。
春日山では養鶏法を開催するにあたり、職場受け入れについて考えた時にある職場では、養鶏法を受け入れて一緒にやっていきたい人、一人仕事も多く受け入れは難しいのではと意見が大きく分かれたそうです。そんなことを出し合ううちに、毎日の出発研で、その日来た人と一緒にやれるところを考えるところから始めれば受け入れもできるのでは?ぜひ受け入れていきたいという空気に変わっていったそうです。
このように、毎日の中にある職場の出発研や連絡研などでも、単に「打ち合わせ」ではなく「研鑽会」になっていくことも増えてきたようです。
この2つの例は「送り出していこう」「受け入れていこう」と前向きで積極的なものを感じます。そんな結果から研鑽になったとしているのでしょうか。結果が反対であったならばどのように感じ、それは研鑽とはいえないのでしょうか。また、そこにいる人達の気持ちがどこかしらから寄り、一致していくものがあったからでしょうか。それとも、最初の一人一人の考えや思いから、全く異ったものが生まれたからでしょうか。

この3月の特講は豊里実顕地で開催される予定です。
数年前には、特講と実顕地は距離をおいて考えてみようということで、場所や日程・内容などが見直されてきました。
この間、韓国での特講に触れた人から、実顕地の中で開催される特講のよさとして、今年の年間テーマ「みんなが気になる実顕地運営」に通じる味わいを聞かせてもらいました。そんな話から、日本でも特講を実顕地で開催してみるのはどうか、という意見が出てきたことから始まり今回の豊里での開催が決まったそうです。
現象面にあらわれてくる方法などだけを見ると全く違ったことをするように見え、事柄に目が行きがちになったり、あんなに研鑽したのにという思いが出てくることもありますが、そのもとには何ら変わりない私たちの願ってやまない生き方が流れているのではないでしょうか。

日常に話を戻してみると、やはり毎日の中では「愛和館の食事時間の終わりを30分早めたいがどうだろうか」「食事会の席案内の役割は無しでやってみたいがどうか」「今度の餃子づくりに何人送り出せるだろうか」等々と考えていくこと、決めていくことばかりです。また日々の一つ一つの研鑽会を思い返してみると、こんな出しっぱなしでよいのだろうか、もう少し検討したり繋げていったりしたほうがよいのでは、でも寄れただけでも良かったのでは、などいろいろな感じ方もあるようです。むしろ「研鑽会になったネ」といえる場面にはなかなか出会えていないようにも思えます。
それでも、今日の村づくりに、職場に愛和館にあらわれているものは、今日の研鑽・研鑽会で一朝一夕でできたものではないことを思えば、研鑽会をやり続けていく中で、いつの間にか解けていったり、ふと気が付けば進んでいたことも多いのかもしれません。

明日3月2日、第37回養鶏法研鑽会が出発します。
2週間かけ探り顕してきた村づくりをこれからへ繋げ、共に明るく楽しく進めていきたいものです。

実顕地研鑽部