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みんなが気になる実顕地運営(5)


みんなが気になる実顕地運営(5)

 

実顕地経営になくてはならないもの

  • 形に現れるものを見てでなく、形に現れないものを観てやる
  • 分からん私、だから先ずやってみよう
  • 良いか悪いか分からないからやってみよう
  • ちょっとおもしろいから人生の生き甲斐としてやる

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先月の全国実顕地づくり研では、日ごろやっていての実例の中から実顕地生産物についても出されたそうです。ヤマギシの納豆の製造が数か月お休みとなったことがきっかけでした。「生産物についてもっとみんなで考える場をもちたい」「愛和館に出すもの・食べるものはできるだけ実顕地生産物でありたい」「スーパーで購入したらよいのでは・・」「生産物はあったらいいなとは思うが、生産物があることが実顕地とは思わない」「これからも生産物は変化していく・・生産物がない実顕地もある。そんなに何を護りたいのか・・・」
また、この春わが子を幼年へ送り出した親から、研鑽会の「親研」より、その後のロビーでのお酒の入った懇親会の方が「研鑽会っぽく」感じた、という話を聞かせてもらいました。
みんなで共通のテーマについて探っていくのが研鑽会?懇親会のようにあちこちで自由に話していては研鑽会にならない?でも本音が聞けたり、近くなり合えると研鑽会っぽい。意外とそんな場(懇親会)で「これでやってみようか」と進んでいくことも多いのでは?
私たちは何をもって研鑽会としているのでしょうか。
長い間に「生産物がよい」「研鑽会とはこういうもの」と無意識のうちに決めてきたものがあるとすれば、そんなあたりも考えていきたいです。

豊里実顕地では、昨今の村づくりの中から次に紹介する資料を使って研鑽会をもったそうです。暮らしや職場の中での日常ささいなことや、そこに通ずる実顕地運営に至るまで、ヤマギシの村づくりについて書かれているともいえそうです。
日々移り変わり進化していくもの、数十年を経ても何ら変わることのない揺るぎない精神、全く異うように観えるこの2つが私の中にあり、村づくりの中にある、そんなヤマギシの村づくりを共に探っていきたいです。

実顕地研鑽部

山岸 そりゃあ、みんな違うと思いますけどね。
今アメリカから、「一升五十円の米がたくさん入ってくる」と、こういう話聞いたら、聞く人が、「ああ、いいなあ、安いなあ、米が安うなったらいいなあ」と、こういう聞き方する人とね、それからまた、「そんな安い米が入ってきたらどないなるんや、そらあ迷惑するなあ」という極端な二つのとり方する人あると思うね。まだたくさんたくさん、その人、自分からこう見るんですからな。みな違うと思うの。
昔はランプ屋さんが、石油ランプのランプ屋さんがあった。電灯が来る、それにはもう……ランプが売れなくなる。さあこれはえらいことやと、そんなもの入ったら大変やと、電灯ひいて回ったら石投げて、あの街灯なんか、電灯を割りに回ったという話聞いているなかでね……。

 

山岸 形に現れるものを見てでなく、形に現れないものを観てやるものでありたいね。
 
山岸 いろいろの批評を聞くと、みんなその人は、「私は知らないことを言っています」と答えてるようなもので、何かにつけて批評の中に非難めいたものがあれば、すぐにそんなことを出来ない自分だということを忘れているものね……。分からん私、だから先ずやってみよう、とね。
 
山岸 「分からないからやってみよう」となっても、信じないで、「あの人が言われるからやってみよう」でなしに、「良いか悪いか分からないからやってみよう」でないと……。
 
山岸 まあ、相手の言うことの方が本当で、自分の方が間違っているくらいに思ってかかって良い加減で、そうでないと最後に火花が散る。
そこまでいかんと話も進まんし、よい世の中になれんということ……。
 
山岸 いや、一人から始まるの。他の人がどうあろうと……。
 
山岸 まあ、信じないでね……。
愛知では一〇〇%孵化やってみたら結果が出る。
やってから見た方がよいと思う。
うまくいっていると思っていることが、失敗か何か分からん。
香港が陥ち、シンガポールも陥ちて、「良いぞ」と思っていたことが、原爆となり、悪いと思ったのがまた良くなり……。
けど、生きているかぎり何かやらんことには……。
 
山岸 今度のはグループでないとやれないね。
まあ、尻ついていってやるより、西海の藻屑となるか分からんが、コロンブスの人跡未踏の開拓ぐらいで、ちょっとおもしろいから人生の生き甲斐としてやるといった具合で……。
 
山岸 今日の場合、聴いてみてよかったらやろうという考えをぬいて、まあ一つやろうという肚を決めてやると、こういう話も聴くと楽なの。すると、やるについてどうしよう、こうしようとパーッとなる。
失敗すると思ってアラばかり、出来んように出来んように探して、「そんなものあかん、あかん」となる。
やろうと思ったら、「そんならどうしよう」、「ここをどうしよう」と。するとスッスッと出来る。
 
山岸 自分が打って出て、日本の種鶏孵卵場を一つにするが、もう一つ先があるのや。それがやがて世界を一つにするかにつながっているのやけどね。そんなことはどっちでもよいかしらんが、それがはっきりしたら、もう一つ自分自身がおもしろい。
四棟で百連、十棟で二百五十連、それ一つ作ったらちょっと見られると思う。それ五つ作ったら一つの単位。それやったら、もう日本の業界は右へ倣えでしょうな。
そういうことを構想練ってみることもおもしろいことで、着手するのはとても張りが出て、ひとごとやない、自分自身がおもしろい。
(1961年4月ヤマギシズム社会式養鶏法について ――名古屋での座談会記録から)

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コメント

  • 麻野幸子(豊里実顕地)

    5月5日 特講交流研が豊里でありました。特講終わって、最初の研鑽会。
    まあ、笑いあって、何とも満たされたひとときでした。

    台湾から参加の女性は言葉ではとてもと、歌をうたい、いっしょに参加の彼も、す~とハモル場面。
    「うちの奥さんは特講うけたのかな~」と送り出された旦那さんが呟いたとか。
    係のモンゴル実習生は「自分はモンゴル人だけの特講だったけど、今回、台湾・香港・オーストラリア、そしてスイスの人も一緒に。みんな同じこころなんだ」
    日頃、実顕地で暮らしていると、あれが出来ていないとか眼につく。けど、初めて触れるひとと共に、実顕地が存在することに感動した。
    「嫌いなもの」豊里の小学生が走り廻ってカエルを、生きた蚊は残念。特講会場にいた、らしい。

    何だか、とても書ききれない 愉快さでいっぱい。

    出発研で「豊里実顕地でやらなかった方がよかった、となるかもしれない。けど、やってみましょう」と若者が。

    豊里実顕地の真ん中の来客館2階で、愛和館も和楽も同じ空間で、ゴールデンウィークで来客も多い中の特講でした。

    実顕地は「絵図」そのまま、と映ったひとがいた、とか。