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みんなが気になる実顕地運営


みんなが気になる実顕地運営
 

      一人一人のフッと思い浮かんだ気持ちを考える
      出しっぱなしの良さ

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3月は岡部実顕地で養鶏法研鑽会が開催されました。
その後の受入れ研鑽会などでは、フッと思い浮かんだ気持ちから始まった例などを聞かせてもらいました。日頃の暮らしの中でもそんな気持ちへ重ね合わせていく中で進んでいくこともたくさんあるように思います。養鶏法の中で出てくるテーマとしては「日常ささいな心の動きを、通い合わせることが大切。あり方にそって実顕地を造っていくのでなしに、一人一人のフッと思い浮んだ気持ちでできていくのが本当」というあたりでしょうか。
あり方にそって実顕地を造ってきたことでひずみが出てきたから、次はこういうテーマが出てきたのでは?と受け取りがちですが、実は数十年前の実顕地発足当初からこのように云われてきたそうです。
あるいは、一人一人のフッと思い浮かんだ気持ちからなら何をやってもいいのだろうか?自分勝手とはどこが違うのだろうか?私意尊重公意行との関係は・・?などと、切れぎれの疑問も湧いてきます。
フッと思い浮かんだ気持ち、とはどんなことをさすのでしょうか。以前に話題となった傘の例から考えてみたいと思います。
『雨の日、傘をさして歩いている時、向こうから傘なしでぬれて来る人がいたら、ふっと「この傘を使ったらいいよ」と差し出したい気持ちが浮かぶだろう。でも普通は、そんな一瞬の気持ちが湧き出すか否かに(でも自分の方がぬれて困るな)といった様々な理由や動機などの、何か観念づけたもので打ち消してしまう場合が多い。もし最初に浮かんだ気持ちで傘を差し出してみたらどうだろう。きっと相手も困っていた時だから、差し出されたものへの歓びもひとしお増すのが人の情ではないだろうか。傘を差し出す方もうれしいし、受け取る方もうれしい。あたかも、お母さんが乳児に母乳を与えているような姿だなと思った。世界中の人がこのような自然本来の姿で生まれ、育ってきたのに、傘の例やその他のことでは、何か観念づけたものが先走ってしまう・・・』
 また、次のようなエピソードもあるそうです。『山岸さんが津に住んでおられる時、隣のお百姓さんが、「よい芋ができたので先生に食べてもらおうと思って…」と芋を持ってこられた。その時山岸さんが「今までいろいろ理論や理念をいってきたが、本質はこれや」といわれたとか・・』
2つの例から、「誰の心にもある」という一節が浮かんでくるようですが、いろいろな例を出し合いながら探っていきたいです。

では「出しっぱなしの良さ」とはどんなことでしょうか。先ほどのテーマを改めて見てみると、できていくのが本当とあります。そうしようとしてできるものでなく、もちろんそうしなければならないからでもなく「できていくもの」とは、、。
毎日の暮らしや職場の中で、こんなことがしたい、ここはどうなんだろう、などの声にそれぞれが思うことを出し合って大いに盛り上がることはよくあることでしょう。とても一致点がでたとはいえない時、一致するまで話し合うことが公意を見出すということになるのでしょうか。
とかく一致点を見出そうとまとめがちですが、出しっぱなしでも良いというところからいろいろと出し合うだけの時があってもよいでしょう。一人一人のうちにあるものがみんなの中へ出せるということと、実現への道筋をたてることとは全然別のことのようにみえてきます。その中からできていくものはできていく、成るものは成っていくということでしょうか。

今月は初めて50代の人たちで寄っての研鑽会が開かれますが、どんなものが生まれてくるのか楽しみです。子どもたちにとっては進級・進学の季節、私達大人も共に進んでいきましょう。

実顕地研鑽部