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みんなが気になる実顕地運営


みんなが気になる実顕地運営
 

      行ったり来たりの一体生活
      出しっぱなしの良さ、聞きっぱなしの良さ

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ある日の研鑽会のこと、日頃の暮らしの中からの話題が次々と出てきました。

「綿手を洗濯に出すと、乾燥機で仕上げるのですぐ伸びて帰ってくる。干してもらいたいが・・・」
「干し方以前に、綿手もいろいろ種類があり、使い捨てで使うのもあるみたい、それならいつも気持ちよく使えるのでは」
「洗濯に出すところがあるから何も考えず毎回出すけれど、それぞれで使い切って終わりにするなら、もっと大事に使うし伸びることもないのでは」
「今までは綿手など何度も何度も洗濯し使い切るまでやってきた。『活かす』という考え方でやってきたこと『もったいないから』としてきたこともどうなんだろう」

「クリーニングに出して欲しいとメモがついた衣類。その人にとってはすごく大切な洋服で外出着にしていても、衣生活部からみれば水洗いで充分。そんな時どこを考えていったらよいのか」
「以前は、衣類の買い物も洗濯も衣生活部に任されていたが、今はそれぞれで服を購入することも多くなり、素材や種類の幅が広がっているが、洗濯は衣生活部がしてそれぞれに戻していく。一人一人への対応が増えてきた・・」

「客間を見ている人は常にパリッとした寝具類を用意したいしそれが役割りでもあるので、どんどん寝具が出てくるが衣生活部は何でも受けてそこまでしないといけないのかと思うことがある。任し任されているけれど・・」
「仕事が大変だけなら、外の業者に出すこともできるが」

「毎日服を一式厚手の上着から、ジーパンまでそのまま投入口へ入れている人がいる、何も考えず気楽に出しているようにみえる」
「それぞれで洗濯をしたらもっと考えるようになるのではないか」
「村では数十年この仕組みでやってきたけれど、これが実顕地生活、一体生活としてやってきたけど、それもどうなんだろう」
「衣生活部で洗濯するのはやめて、それぞれで洗濯をすることにしたら一体生活にはならないのだろうか・・」

衣生活部の話題が続きますが、一体の生き方を志し一体生活をしようと参画してきた私たちですが、何をもって一体生活といえるのでしょうか。
改めてこれらの例をみてみると、一般社会の個人生活ではすでに解決しているように思えることばかりです。個人もしくは一般家庭であれば、それぞれの考えで納得のいくところで、当たり前のごとく営まれていく暮らしの一コマでしょう。洗濯にかぎらず食事などいろいろな場面でも同じことがいえるのではないでしょうか。
では、私たちはなぜ行ったり来たりの、何十年と同じような話題が繰り返し出てくるような暮らしをあえてしているのでしょうか。私たちはこの暮らしに何をみて、何に価値をおいているのでしょうか。
それとも、数十年続いてきた仕組みにただ乗っかっているだけで、まだ見ぬ世界がひろがっているのでしょうか。仕組みにこだわったりとらわれることなくやっていこうとするものと、「心ならずも心足りない一面を足さねば次へ進めないことを、仕組みの方から無言の催促され、力づけをしてくれ・・」とある、そんな世界とも行ったり来たりとしながら進んでいくことになることでしょうか。

先月のテーマ「出しっぱなしの良さ」では多くの反応がありました。意見を出したいから出すだけで、他に何も求めるものがない。求めるものがないと出しやすい。研鑚会が賑やかになった。「聞きっぱなしの良さ」もあってもいいかな。というような声も聞きました。聞いたからには返事をしなくては、何か応えなければ、研鑚に繋げなければ、と思いがちです。出しっぱなし、聞きっぱなしでいける間柄とはどんなものでしょうか。
一人一人ちがっていて当たり前、いろいろな考え方があって当たり前、間違っているか正しいかということではなく、思いきり出せる雰囲気・気風を作るという過程の中に暖かなものを感じます。
明るく楽しく活発に、共に村づくりをすすめていきましょう。
                      

実顕地研鑽部