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みんなが気になる実顕地運営


みんなが気になる実顕地運営
 

      当たり前に繰り返していることの見直し
      新しい動きや変化を自分のものにしていく面白さ

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先月のテーマでは、当たり前に繰り返していることを見直してみたり、そのことから、自分の中にあるこだわりに気付く手がかりになっていったようで、研鑽会や暮らしの中でもいろいろな実例が出し合われたそうです。今月も引き続きこのテーマでやっていきたいと思います。
当たり前に繰り返していることを見直し、新しいことをやってみようとなった時、自分の中からどんなものが出てくるでしょうか。初めてのことにワクワクとした楽しみな気持ちが湧いてくることもあるでしょう。反対に、気持ちが乗らないこともあるでしょう。私の中にとめようとするもの、もやもやするもの、または強いものがあるとすれば、それはどんなものなのか、自分は何にこだわっているのかと考えていくきっかけにしていけることでしょう。
今日は台風が来る!という予報の日、今日の夕食はどうしようと、いろいろな意見が出たそうです。台風のさなか片付けには出られない。愛和館ではなく各家で食べて貰ったらどうか。今すぐ決めないで、もう少し後で判断してもよいのでは。簡単に愛和館を閉めないでほしい、、、。結果、台風の影響はそれほどでなかったこともあり、天災より人災のほうが大きかったという笑い話の後日談があるそうです。
台風などの自然現象や、突然起こる停電や断水なども、当たり前に繰り返しがちな私達にとっては、村づくりのチャンスにもしていけるのではないでしょうか。
また、この暮らしの中では、あえて村づくりの機会をつくっていくこともできるでしょう。例えば適期作業交流や、海外交流へ送り出すことで、送り出された人の味わいはもちろんのこと、送り出した職場の人たちの中にも新しい風が流れ、芽生えていくものがあるのではないでしょうか。
先月も紹介しましたが、豊里実顕地では来年の幼年に向けて動き出したことで、今月から幼年合宿も豊里でやっていこう、となったそうです。
新しい動きや変化を自分のものにしていく面白さ、とありますが、新しい動きを今いるところから眺めていることもできるし、その中へ飛び込んで一緒にやっていこうとすることもできるでしょう。つねに二筋道の岐路に立っているともいえるのではないでしょうか。また、自分のものにしていくとはどんなことでしょうか。積極的・能動的なものを感じますが、やってみてを出し合いながら探っていきたいです。

さて、子どもたちの夏の旅は、夕張、穂別、別海実顕地で受け入れてもらい、みんな元気に、目一杯楽しんで帰ってきました。夕張と別海では村人との交流会を用意してもらい、別海での交流会の様子が村ネットに紹介されています。村人たちと、子どもたちが一堂に会する場をもてたことは、この旅の中でも大きなことだったようです。数十年間、実顕地をつくってきた人達から話を聞かせて貰えたことは、子ども達のこれからの成長の中で、ふと思い起こされる一場面にもなるのではないでしょうか。

先日、50代研の動きからタイへの視察団が出発しました。
今月もいろいろな動きがありそうで楽しみです。共につくっていきましょう。
 

実顕地研鑽部
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コメント

  • 麻野幸子(豊里実顕地)

    金曜日の村づくり研で。
    カウンターに「茹でて冷やした豚肉」「切ったキュウリ」がバットに入って並んでいる、そして「ごまだれ」が。
     ●何にも無しで、順番にお皿にとってテーブルへ。
     ●一番最初に「冷しゃぶ」とメニュー板で見て、それらしく盛り付けてテーブルへ。

    う~ん、違うよなぁ。何が違うんだろう? ハ~、むかし、「作った人の心を受けて、次につなげます」とありました!
    メニュー板って、そんな一役をやってくれていたのかも、と。

  • 平島春美(春日山実顕地)

    一志実顕地がメニュー版をなくしてやってみてる、というのを聞いていました。
    今日、メニュー版を書くにあたって、昼のメニューがメインは茄子の炒め物だったのですが、他にも色々あって、いつもならアラカルトと書くところです、が「昼のメニューっている?」という話になり、夕食のメニューだけ書いてみました。
    愛和館に入ってくる人の反応は「?」という感じの人、「ははーん、やってますな」みたいな人
    色々です。東部宿舎の愛和館は夜は35人(親子デーで40人)昼は半分以下になり、なかなかつかめません。(つかもうなんて思わなければいい、なんて話もありますけど)
    食べる人は出ているものを食べるわけで、あってもなくても、いいのかな?
    昼食は案外食卓に話の華が咲きます。食べる事に集中しないからかしら。

  • 濱崎 忍   豊里

    台風が過ぎて 傘立てにある自分用の傘の位置が変わっていました。
    定位置は何となく決めてあったので すぐ気付きました。
    娘のと3本変わっていましたので何でかな?誰か私が定位置にしている所に置きたいのかな?とあれこれ考えましたが、家の連絡ボードに置く場所を決めたい、と書きました。  
    家の何人かの人は、皆で寄るのも大変だし、忍のだけ場所決めて、誰がどこに置いてもいいんじゃない、とすぐには決まりません。
    マアやってみようと傘の様子を見ていると傘立ての汚れが気になり、まずは洗ってきれいにして、移動した人の名前シールは外し、傘を入れ直しました。             
    名前の付いている持ち主の分かる傘から一家族単位になんとなくまとめ、名前の無い傘はそのままに立て、違う家の人のは伝言し、それぞれの傘の落ち着き先が見えてきて、何となくスッキリしてきました。スッキリしたのは私の傘の置き場所でもなく、それぞれにあるのかな。

  • 豊里実顕地  佐々木久江

    明美さんのコメントを見る前のことです。

    メニュー板に 昼食 あるもの といつものように書いてありました。  

    その時 あるもの と書くのは なんで?と思いました。

    研鑽会で子供が何見ても なんで?と聞く話しをきいてたからかなふと素朴な疑問、なんで?と思いました。

    今朝の出発研で出ていた事の良しあしでなく、、、が思い出されました。 

  • 豊里実顕地  佐々木久江

    村つくり研で幼年部のことが出ました そこから子供一人ひとりの話しになっていきました。

    それがとても楽しくて面白くてこんなふうな研鑽会っていいなと思いました。

    昨日は台風 25号2階の家を守ろうと小学生が対策に走り回っていました。

    昨日の研鑽会で出ていたA君もいてほほえましかったです。

  • 平山明美 一志G

    「当たり前に繰り返していることの見直し」このテーマを見てメニュー板を無くして見たいと思いました。無くなったら、自分の中からどんなものが出てくるのだろう、そこをみてみたいと思いました。生活の出発研では、メニュー板は、ヤマギシの文化、そんなものでやらなくとも、もっと他のものでやれば…。あった方がいいと分かってるのになんで無くすのか?等の意見もありましたが、メニュー板はみんなが関わることだからメニュー板でやって皆で出し合えたらよい…等、何回か出発研で出し合って、今日からやろうとなりました。やってみて、いろいろな意見が出てきた中で、「生活部だけで考え実行するなんて、そんなの研鑽生活じゃないわよ。」という意見が心に残りました。他の人にはお知らせ一つしなかった事、どうだったかな?と思えてきました。
    私自身は、メニュー板無くしてみて、こんな発見がありました。1日目は食でやっている私はメニューを知っていて、メニュー板がなくともどうという事はなく、2日目は、頭の中は運よく空っぽになっていて、食器を持った時、どんなものを用意してくれてるのかな?とわくわくした気持ちになりました。そして、その日は、前日の残り物等、いろいろ並べられていて、この食器にはこれとこれを入れて、これは食べられないかも知れないから、後にしようと1つ1つ考えてよそってました。今までの自分と違う、新しい感じがしました。
    今は、1週間はやってみよう。その後、仲良し研等で、やってみてを出し合えたらいいねぇ。となってます。

    • 中村まみ子 一志G

      やってみて…食べに来る人の存在が自分の中で薄かった。って気付きました。
      この一件を通して食生活という場で、何をやっていきたいかという辺を見直すというか、改めて考えるきっかけになった気がします。

    • 下田妙子 一志G

      今日の生活部の出発研より[メニュー板無くしてみて]
      ◎先にメニューを見てしまうと、メニュー以外にあるものが目に入らなくなったり、メニュー以外のものが、1ランク下のもののように見えてくる。
      ◎久しぶりのメニュー板に「冷しゃぶ」と書いてあって、それがあることで、お肉と野菜を盛り付けるより、格が上がる気がした。
      ◎食器の横に現れたメニュー板を見て、「今日はこんな物を用意しました。どうぞ。」と言われてる気がした。
      ◎実は、メニュー板を食器の横に置いて、それを見ながら食器を用意出来るようにと思って出してみた。
      いろいろ出て面白かった!