卵油製造スタート!
Posted By 実顕地広報部 On In 生産物
春日山で長年製造していた卵油を、機械ごと引き継いで、今回第一回目の卵油製造にこぎつけることができました。
卵油製造の過程を一度春日山で見ただけで、設備は揃えたけれどほんとうに卵油が抽出できるのか…と不安もありつつのスタートでした。
割卵の時には、遠藤信子さんを始め60代から80代の女性が大活躍。
卵黄と卵白を分けるのも、どんな方法がいいかみんなでああでもないこうでもないと言い合いながら進み、3300個の卵を約1時間半で割り切りました。
ここからは、内部川で唯一卵油を作ったことがあるという西面さんの出番。
参画したての頃に春日山で少しだけ卵油に関わっていたそうです。
みんなで割った卵黄60キロを、機械で火にかけて煎り、水分を飛ばしていきます。
1時間以上もかけて煎ったあと、中華鍋に少しづつ入れて最後の仕上げ。
まだまだ卵っぽい黄色だったものがだんだん焦げ付いてきて、そのうちにモクモクと大量の煙が立ち昇りはじめます。
鍋の中が全く見えないほどの煙ですが、それでもお玉で混ぜ続けるとある瞬間からねっとりと水あめのような感触にかわり、そして油が分離されてきます。
この瞬間が面白い!
あとはそれを液体だけこして、容器にためるだけ。
完成品をなめてみると、まー苦い!正真正銘の卵油でした。
卵油はかなりの量をためないと製品化できないので、何度も何度も製造する必要があります。
果たしてこの冬でどのくらいためれるか…。
みんなで絞り出した黒い卵油は、とても貴重なものに見えました。
コメント
内部川での卵油製造嬉しいです‼️卵割りの写真を見て、みんなでよってひとつ、ひとつ、から始まってる様子が、なんだかわくわくします。卵油の始まりの、佐川さんの「はい、やります」からと言うのも、知れて嬉しいです😆姉もファンなので、知らせたいです。
卵油製造再開、すごく嬉しいです。
昨年末、バンコクの美容院で、
「お客様に、ヤマギシさんの卵油のファンの方がいらして、
その人が卵油がもう買えないって嘆いていましたよ。」
「その方は、夫婦共に長年の体調不良が卵油ですっかり治って、
いい物に出会ったと喜んでいたのに、どうしたらいいんでしょうって。」
私も愛飲者の一人なので、ビックリ仰天!
えーっ、そんなぁー。
簡単にやめないでよ~。
でも、再開の準備はちゃんと進んでいたんですね。
よかった、よかった。
卵油の歴史も聞けて、嬉しかったです。
卵油製造再開おめでとう。
はじめて春日山で卵油製造が始まったのは、手元の『春日山50年のあゆみ』をみると1984(昭和59)年3月とありました。もう35年前になるのですねぇ。
その頃、春日山でも有精卵を供給していたのですが、いちばんの経営上の課題は供給できない二級卵や格外卵の有効な活用でした。愛和館での使用量もしれています。せっかくの価値あるものを価値どおりにどうしたら次に流せないものだろうかとの思いが、いつも頭の片隅にありました。
そんな折でした。ある日の経営研鑚会で「春日山で卵油をつくらないか」と声かけられました。そしたら無意識に「ハイ、やります」と答えている自分がいました。即断即決でした。今振り返っても、日頃のウジウジした性格の自分がなぜ答えてしまったのか未だに謎です。
早速翌日朝、亀井正子さんの小屋へ出向いて卵油の作り方を聞きに行きました。オバチャンは第一回特講の最終日に〝卵の油取る実演〟をやった人です。
それから毎日職場の空きスペースを借りてフライパン一つで卵油を作り続けました。煙の臭いがからだにしみ込んで、皆から臭い、臭いと避けられましたが、まったく気になりません。毎日が試行錯誤の連続でした。今テレビでやっている『まんぷく』の即席めんを開発した当時の安藤百福さんに重ねたくなるような心持ちでした。
どうか今度は内部川で〝皆してやる〟卵油づくりで、新しい物語を創りだしてくれることを願っています。
2019.1.26 春日山実顕地 佐川清和
最初はフライパン一つでやってたんですね。
フライパンの中で、焦げ焦げの卵から油が分離していく瞬間て、面白いです。
今日も西面さんが、せっせと卵油をつくっています。