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平成から新しい時代へ


平成から新しい時代へ
 

    平成30年の総決算

     

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○平成から新しい時代へ

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○平成30年の総決算

新しい年が始まり、いろいろな場で新しいテーマが話題となってきました。そんな様子が村ネットにも寄せられてきていますが、その中から一部を紹介します。

豊里実顕地も50年間、その時々の実顕地や世間の状況にあわせて「ヤマギシズム実顕地構想」の現在実施できる部分を実行、積み重ねてきた。そのことが正しいとか間違っているとか、イイとか研鑽する前に、まづ軽く、やってみて今の『実情』から出し合ってみよう、って感じかな。

実例では「車」のことが出た。共用というのが当たり前で、個人用は特別。個人用だと車がきれい、共用車は汚い?使っている間だけで愛着がわかない。安全面から慣れた車を使いたい。仲良し班に何台、家に何台とかはどう?「共用」という考え方を体得する仕組みになっているのかなぁ?個人用として使っている車は共用でない?etc.

こんな風に、50年積み重ねてきたことを出し合ってみるって面白そう。どうする・こうする前に放談あり。和楽も、愛和館も、職場や仲良し班やらネ。

また先月の豊里の放談会に引き続き、水沢地区の何人かで行われた放談会の様子も紹介します。

・平成元年は参画者が一気に増えたころ。酒タバコを『放す』とか。学園始まったばかり。色々な言葉や決まりが増えた印象がある。

・酒とか、一番最初に放した人は開放感もあったろうし味わいもあったんだろうけど、その後から参画して『そういうもの』としてやってきた人はどうなんだろう。

・ 3週間の養鶏法もやった。

・ヤマギシのあり方はすべて考えられてあるから、その通りやるだけだけでいいんだと自分自身しばられてたが、この30年でその辺はだいぶ変わってきた。みんなで考えてやったらええよな、みたいな。

・ 理想の学校をつくろうって動きもあったよね。

・愛児に楽園をという理想をもって、学育から学園にかわっていく過程では、色々首をひねるようなこともあったし、反省することもあるけれど、さて今、自分らは愛児に楽園を贈れているんだろうかと思うんだ。形は色々変わってきたけど、今の子達に楽園を贈れているのか、またこの30年で贈れてきたのか?

・ 実顕地って何年あるんだっけ。60年くらい?実顕地がなくなっても残るもの、というテーマあったけど今は現実のテーマやなあ。

・あと30年したら、ここにいる人ほとんど生きてないなあー!何人残ってるかねえ・・・

今年に入り、テレビや新聞・ネットなどでも、平成最後の〇〇、平成30年間のできごとや変わってきたことの特集など、連日「平成」を聞かない日は無いのではないでしょうか。自らが生きてきた時代への懐かしさや、新しい時代への希望・期待を込めているのでしょうか。

一個人の私から見れば、昨日も今日もそうは変わらない、たぶん明日もそうは変わらないであろうし、時代が平成から新しく変わっても何が変わるのだろう?けれども社会はこの30年間で確かに変わってきたし、その中で実顕地も大きく変化してきました。そして、その実顕地をつくってきたのは私達一人ひとりともいえるでしょう。

人は皆幸福をねがって働いていることでしょうが、なぜ幸福が得られないのでしょう?との問いが改めて思い起こされます。続く先には「総決算の日に現れます」との一節で表現されています。

「平成30年の総決算」それぞれの実顕地でも私自身の、実顕地の、社会の平成30年をまずは振り返って、いろいろ出し合ってみるところから始めていきたいです。そんな様子をこの村ネットにも寄せ合うことで、どんなものが生まれてくるのか楽しみです。

実顕地研鑽部
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コメント

  • 妹尾勇次 春日山

    平成30年の総決算ってなんだろう。
    [専門分業からクラブ活動化へ]自分の職場をしっかり運営していたらいいと思っていた世界から自分を解き放ち、より自由で豊かな新天地へ。
    新しい愛和館が出来て「焼き焼き隊」や「揚げ揚げ隊」が活発に動き始め、村の暮らしがより豊かに潤っていく実感があります。
    転機は春日山で製麺工場が稼働しだした頃かな。時間メンバーなしでは成り立たないのがいい。みんなが入り合ってこそ成り立つ職場に豊かさがあるようで。見渡せば自発的意志によるクラブがあちこちにあるなと。製麺、製パン部、風呂美化部、愛和館美化部、洗濯たたみ部、味噌部、魚部、チーズ部、ギョウザ部、蕎麦部、仲良し菜園果樹部、サツマイモ部等々と。どのクラブも入退会自由、豊かさの源、みんなで繁盛させていきたいなと。(先日の資料研に出てみて)

  • 荻野 進(豊里)

     村づくり研で、「平成30年の総決算」、色々昔話に花が咲きますが、やってきたこと、気付いたこと、無くなったこと、新たに始まったこと、その時々で感じてきたことがありますが、「総決算」ってお金の計算でなく、果たしてその時々で自分は『幸福』だっただろうか?いま『幸福』かな?『幸福』ってなにかな?
     地中海を自力で渡ってきた難民達は、普通の生活がしたいだけだと言います、朝起きて、食事をし、仕事や勉強に出かけ、昼食は何しようかと考え、夕方帰るべき家に帰り、家族と共に夕食を食べ、明日に向けて床に入る。これって「幸福」?
     幸福一色の社会であるならば、その「幸福」に常に気付ける自分でいたいものです。

    • 麻野幸子(豊里実顕地)

      村づくり研 賑やか。
      「愛児に楽園を贈れたんだろうか?」という問いかけに、「そんなもん、すぐ判るもんじゃなかろう」と。
      自分たちが学園や楽園村に送り続けた子たちが、今、どんな子育てをしようとしているか楽しみという声もあった、けど。
      それも未だ、「自己一代、自己の周囲のみの」目前の結果かも、ね。
      ならば、「永遠の幸福・繁栄に資する」って、どんなことだろう?

  • 内野二朗 (春日山)

    先日の交流会で「平成から新しい時代へ 」のコーナーがあり、こんな思い出話をさせてもらいました。
     それは私が平成元年の最初の日に出発した特講です。
    1月8日、1週間の講習を終え大安の山を降りると「昭和天皇崩御 」の号外が駅のホームに貼ってあって、天皇が亡くなったことを知りました。時代も自分も生まれ変わるようです。
    特講の中でもおかしな出来事がありました。
    変なおじさん(と言ってもスーツを着て優しそうな感じの人ですが)がいて最初の何日かは普通にしていたのですが、無所有研あたりから騒ぎ出して、研鑽の輪の外をまわりながら「こんな馬鹿らしいことはやめろ」「伊達に30年やくざをやってるわけじゃない」と大声で喧嘩を売りますが、係りの人も止めるわけでもなく受講生も無視し続けます。
    私にはかなり長い時間に感じました。誰かが止めないと終わりそうにないな、本人も誰かが止めてくれるのを待っているに違いないと思い、相手をしようとそのおじさんが私の後に来るのをるのを待ちました。そしてやってきました。さて、と立ち上がろうとしたのですが、半分立ち上がったところで体が動かなくなりビックリしました。なんで?と見ると隣に座っていた由美子さんが私の腕をがっちり掴んでいます。そして係の奥村のばあちゃんの「やめて」の声が。「若造、やるか?」とファイティングポーズをとるやくざのおじさん。止めようとしたところを止められて、おかしな格好で、とても恥ずかしかったです。

    続いて由美子さんの話で、出原さんがこの特講で自分の班の係りだったと言ったら、出原さんが「思い出した!」と、そのときのことを詳しく話してくれ、出原さんがその年(平成元年)に参画したこと、供給の仕事をやって「ひょっとしたら自分が物売りに向いているのではないか」と思ったと話が進んでいきます。 「ひどい特講だった」と出原さんは言いますが、私はそんなに悪くなかったと思います。時が経つと、そのことが良かったか悪かったかというのとは別になにか考えるようで、たとえば「変な」おじさんは実は普通のおじさんで、あの惨めな場面では私一人が「変」だったなとか。
     
     交流会の話はこれで終わりですが、その後も坪田芙美子さんが同じ特講だったことも分かり、職場の出発研とかの研鑽会でも、60歳台の女性から予備寮時代に精乳部に送り出されて牛乳の箱詰めをやったけれど、指が痛くつらかった話が出ると、当時16歳か17歳の学園生(実習生?)だったお母さんから受け入れる側はもっと大変だったのひとこと。小口現金が始まるきっかけになった母親の想いのエピソードとか、顕示博、涵養日・・平成の出来事がいろいろな人からいろいろ出てきます。おもしろいのは誰かが話をすると「そういえば・・」「そうだった」と話がリンクしていくところで、ひとりで思い出に浸っていても総決算にはならないな。「総」は「そういえば」の「そう」だったり、「総員」みんなで、かも知れない。

    「総決算」はバーゲンセールのイメージ、とある人が言いました。「平成最後の総決算セール」で研鑽会とかでいろいろ出したいと思います。