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令和、新時代への幕開け


令和、新時代への幕開け

 

決めごとの一致の前にある一致

私の原点に立ち返る。特講

 

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年間テーマ

○令和、新時代への幕開け

 

12月度テーマ

〇決めごとの一致の前にある一致

〇私の原点に立ち返る。特講

 

平成から令和へ、新しい時代へと幕が開けた2019年も残すところ1ヶ月となりました。今年1年の村づくりを振り返りながらも、年末年始や新しい年を描き始めていることでしょうか。
お正月はどんな暮らしにしていきたいのか、新しい年を賑やかに迎えていきたいのか、静かにスタートさせたいのか、例年を踏襲していくのか、新しい発想で描いていくのか、、
どんなお正月にしていこうか、と始まっても、すぐにメニューの話、餅つきや企画をどうするのか、などへと話題は移り、盛りあがることもあるでしょう。また、里帰りの人などを迎えてはいきたいものの、自分達のことだけなら描きやすいが、そこまで含めて描くとなると描きづらいという声もあるそうです。
今年は「一致」や「決める」をテーマに、繰り返し研鑽を重ねてきました。それでも、お正月を描いていくにあたり、改めて「一致とはなんだろう」ということに思い至るのではないでしょうか。
世間一般で「一致」という時は、決めごとの一致を指して言うことがほとんどでしょう。その関係性の中で、譲れるところや譲れないところを擦り合わせながら、両者が納得できるバランスの支点を探り、その上に成り立っているイメージでしょうか。私たちが「一致」と使う時、言葉としては同じですが一般的に使われている「一致」とは、全く異う世界を言い表しているのではないでしょうか。今年はそのあたりに焦点を当てながら、新しい年を描いていきたいです。

先月の実顕地づくり研「特講・研鑽学校編」の様子が各地の研鑽会で話題になっているそうです。その一端として、、
新しい職場には自分の特講の係だった人がいて、その人は今もこの実顕地で「腹の立たない人になる」を座右の銘としてやっている。そんな話に触れ、自分もそうだった。実顕地ってそんな場だった。と、はっとさせられた瞬間。ずっと繋がっているものだったんだな。人も実顕地も。実顕地の始まりは特講。
毎日の繰り返しに流されていく中で、職場の段取りで忙しく動いているうちに、あるいは満ち足りた暮らしに浸かっているうちに、いつの間にか私の原点が霞んでしまっていることもあるのではないでしょうか。けれども、こうした研鑽機会があることで、いつでも私の原点に立ちかえることもできるでしょう。それが実顕地の醍醐味でもあり、特講で出会った「研鑽」の冥利といえるのではないでしょうか。そんな時、いつも同じに見えてきた風景もまた違ったように映るのではないでしょうか。
若い世代の人からは、「生き方や観念の転換、ヤマギシズムや実顕地の入り口として特講はあるけれど、それだけが唯一無二のものではなく、もっとよい方法があるのであれば、他のものでも使っていったら良いのではないか」という意見も飛び出し、「そんな考えもあるんだ」と会場に衝撃が走った場面もあったそうです。そんな新しい考えの人も、特講一筋でやってきた人も、どの人にとっても特講があっての今があるといっても過言ではないでしょう。特講そのものが私の原点なのか、それとも、特講で出会った世界の中に私の原点を見たのか・・
今日からの村づくりを考えていく中で、これからの運動を考えていく中で大きなテーマになっていくことでしょう。
共に明るく楽しく新しい年を迎えていきましょう。

実顕地研鑽部
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コメント

  • 佐々木久江 豊里G

    その昔鳴子実顕地ができた頃3人で暮らしていました
    初めて迎える正月でした
    亡き父の兄から 年を越せるようにとお餅や食材が届きました
    いろいろあって参画してきてのことでした
    あの時叔父はどんな思いでお餅を送ってくれたのかなあ、、、
    昨晩の仲良し研でさりちゃんやみかちゃんの話を思いっきりきいて
    すごく楽しかったのでそんなことまで思い出したのかしら
    かよちゃんのお餅の話もちょこっときいてたのでコメント見れて
    繋がりました

  • 村岡佳世子 豊里G

    今、豊里の正月を画く、が超面白いです。
    来年の干支のネズミ年の集まり、職場の研鑽会、調正研、運研、仲良し研などで研鑽しています。

    どんな正月にしたいか、考え始めると、食べたい物や作りたい物、やりたい事がどんどん出てきます。
    色々出てきて、ワーワーなっていると、そういう事柄の前に中身の事を考えたい、という人がいたり、またワーワーなっても、そういう事柄の前に中身の事を考えたいと言い続ける人がいて、色々考えさせられます。

    職場で、どんな正月にしたいかを考えた時、やはり餅つきがしたいね、と出ました。正月と聞くと、もち米を蒸す匂いが漂う気がしてきて、正月=餅つきと結びついてしまう位です。大人が沢山寄って、ワーワー餅つきをやっている光景を子供達に見せたい!となりました。
    それを他の研鑽会で出したら、いいね!となって、太陽の家の庭でやるのか?何臼つくのか?その餅つきに乗った!と言われました。
    その後、また職場で、私達、何で餅つきしたいんだろう?と考え、個人個人のやりたい、でもない、一体の餅つきがやりたいんだよね、となりました。

    昨日の運研で、食生活で職場研などをして、色々研鑽して、今のところ正月のメニューも考えてきたけど、一旦、白紙にすることにしました、最低3日前に決まれば何でもやれるように準備をしておく、と出されました。
    その時の運研の様子は、一旦、しーんと静まり返り、私はその一時が本当の意味で白紙になったな、と思いました。心地良く、嬉しかったです。私も、餅つき、餅つき!となっていたけど、それも一旦おいて。
    正月の事、やっと今、スタート地点に立ったな、と、ある意味、後は、どのようになってもやれるな、とね。

    この間、色々研鑽してきて、事柄でなく考え方を先に、事柄をやりながら考えるというの、卵が先か鶏が先かの様なことで、どちらからでも良い、どちらからでもやれる、そう毎日やり続けているんじゃないか?そこが面白くてやっているんじゃないか?と改めて気づかされた感じがします。

    あ~お正月楽しみだな。

  • 佐々木久江 豊里G

    昨夜の村つくり研ははじめから特講について研鑽しました
    面白くて楽しくて笑いがこみあげてくるあんな研鑽会も久しぶりだったなあ
    逸子さんや順子さんの気持ちがビンビン伝わってきてまるで
    その場で彼女達の特講受け入れ研をやっているかのような感じでした
    特講そのものについても昨日のことのように研鑽の内容を出していたり
    昔一緒にやっていた人のことをきくと懐かしさをおぼえたり
    時空を超えるとでもいえるような独特のもの
    あんなに楽しく聴けるのはやはり特講で出会った世界としかいいようがない
    かんじがします

    • 麻野幸子(豊里実顕地)

      金曜日の村づくり研も「私の特講」一色。

      出し合ってみると、なんだかよく分からなかったが大勢、ただ人と一緒にやる楽しさは味わったみたいだなぁ、と。

      私もサッパリ??? でしたが、「何で残れるんだろう?」と、湧いては消え、消えては浮かぶを繰り返していた。

      1年後の研鑽学校で、明朝ドイツに行けますか、という設問。「行ける!」と気がついたときの、まさに溜飲下がる快感。

      研鑽の冥利か、あの瞬間が『真の大欲』へのスタート。尽きません。