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「もう、阪神淡路大震災から25年が経つ」


無題
続きは⇒高田馬場NAOJI~SANのおしゃべり

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「洗濯サービス」の新聞記事

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コメント

  • 福崎敏郎  (春日山)

    震災の年の夏に参画しました。25年経ったのだなあと1/17を迎えました。地震の時には吹田市に住んでいたのですが、翌日から会員の友人と一緒に50ccのバイクで救援物資を運びました。神戸に続く道は車で溢れ信号は全て壊れ車はほとんど動きません。歩道は人と自転車とバイクもいます。でも怒号やクラクションは一切無くとても静かで声を掛けあったり情報交換をしたり、全ての人が他を思いやり譲りあっているように見えました。ある時会員の中で被災地で洗濯をしたいという話が出ました。私は勤務していた電機メーカーに洗濯機を提案したところ3日後には8台が現地に届きました。水道屋や電気屋や多くの会員さんの力であっという間にハレハレランドリーができました。そこに通った2か月間、色んなことがありましたが一番強く感じたのは人の心の暖かさです。誰の心にも間違いなくそれは在り、きっかけさえ有ればそれは溢れ出て来る。そう感じました。幸福社会の実現を願い参画し25年やってきました。これからもそれをやって行くのだと今改めて思っています。これからも一緒にやらせて下さい。

  • 小川和男  (岡部)

    もう25年たちましたか!
    光陰矢の如しですね。
    私はあの時、朝五時過ぎに三次を出て神戸供給所な卵を運んでました。
    地震発生時は全く気づかず、山陽道のSAに入ってから初めてTVで知りました。
    とてつもない地震発生でしたが、卵で有れば🥚役に立つと思い、何とか混雑中の下道を通って、北条まで辿り着けました。
    あの卵が少しでも役に立っていたらと思います。
    犠牲なられた方々の御冥福をお祈りします。合掌。