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令和、新時代への幕開け


令和、新時代への幕開け

 

調正と調整

 

印刷⇒令和2年2月

年間テーマ

○令和、新時代への幕開け

 

2月度テーマ

〇調正と調整

 
豊里では今期から、今までお昼にやっていた「調正研」を「運営研」に改めて始めた。最近は若いメンバーも増えて、研鑽会の雰囲気がだんだん変わってきたように思う。各自がいろいろな話題やテーマを持ち寄ってみんなで考えていく感じで、面白くなってきた。
ただ、それと同時に、「調正」という言葉がこれには合わないのではないか、「調正研」と呼ぶのに違和感を感じるようにもなってきた。
では、調正とは何かと考えてみると、まだまだ足りないとは思うけど、何となく調正という言葉のイメージと、今のみんなでやっていく感じが合っていないような気がする。ただ何気なしに「調正」という言葉をよく使っているような感じもある。今の動きや進め方を見たら、調正すると言うよりも運営していくと言った方が実態に合っている気がするし、その方が豊里が進むのではないかと思ったりもする。

一志の運研では、最近車の事故が多いし、事故報告書を出さないケースも増えていると出された。どうなってるんだろう。事故も多いし、報告もしないのでは、一般社会よりひどいのでは。誰かが直してくれる、と依存しているのでは。事故報告を出さないのは、安全研でいろいろと言われるのがいやだからかな?でも最近は安全研もやってないし。もし自分専用の車だったらもっと大事にするし、その結果事故も減るのではないか。それだったら、参画前の個人生活に戻る気もするし。時間から時間で乗るだけの使い捨てのような感覚が良くないのかなと思い、週に一回車の美化を始めてみた。が、そんなことで事故が減るのかな?そもそも事故が減ったらそれでいいのか?みんなが事故報告したらいいことなのか?このテーマはどこを考えたらよいのか分からなくなったりする。

今現在の実顕地では、調正という言葉があたり前に使われていますが、実顕地が始まった当初は調整という言葉が使われ、調整機関としてやってきたそうです。その頃の調整機関の資料に係役は「私意と公意の調整役」という言葉が出て来るそうです。辞書で調整を調べてみると「調子や過不足を整えて、釣り合いのとれた状態にすること」とありました。
「調正」という言葉が多く使われるようになったのは、30年余り前からだそうです。「春日山50年のあゆみ」によると平成元年2月に、第1回全国調正世話係研が開かれ、夏には、「全実顕地一つの実働。ヤマギシズム調正機関による調正生活の本格化」とあります。毎月のテーマにも「調正」という言葉が頻繁に登場しています。もちろん辞書やパソコンの変換などには出てこない実顕地ならではの言葉です。
豊里の例では「調正研」と呼ぶのに違和感を感じるようになってきたとあります。調正という言葉が使われるようになった平成以降に参画してきた人も多いでしょうが、「調正」という言葉を使ってきて、「調整」という言葉を見て、この一時代をやってみてどうだったかと、軽く振り返ってみるのはどうでしょうか。もちろん今の私たちの実顕地生活にとっても大きなテーマであり、これからも続いていくテーマであることには変わりないでしょう。
また一志の話でも事故を無くしていきたい。ということはもちろんあるのですが、そこに一人一人に関わる上でどのように進めたら良いのかという調整の大切さがあるようにも思います。電気やクーラーを付けっぱなしにしている人が多かったのに、給料制にして自分の口座から電気代が引き落とされるようにしたら、電気の無駄遣いが一気に解決したというキブツの話もありました。しかしそれを聞いて「それは名案だ」と一筋縄にいかないあたりに、調正と調整を考えるうえで、一番大切にしている実顕地の微妙な心の世界を垣間見る気がしてきました。
「調正」と「調整」、この新しい題材から今年の村づくりを大いに描いていきましょう。

実顕地研鑽部