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豊里研鑽学校がもたらしたもの

一致ってどんな感じですか?

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豊里研鑽学校がもたらしたもの
一致ってどんな感じですか?

 

先月開催された豊里研鑽学校は、その様子が村ネットを通して発信され、また各実顕地から研学交流会へ参加することで、各地でも大きな話題となり、豊里実顕地のみならず、多くのものがもたらされました。
たくさん寄せられた投稿の中のほんの一部ですが、改めて紹介したいと思います。

「一致」ってどんな感じですか、を研鑽してきて、二つ目の「一致」に出会った。幸福感のような「一致」しか知らなかったのが、真の幸福と呼べるような「一致」があることに気がついた、って感じ。
今までは、いつ崩れるかしれない、意見の「一致」を追い求めてきた。が、永遠に変らない、何があってもバラバラにならない「一致」があると知った。真の幸福が誰のこころにもあるように、真の「一致」が私にも、だれのこころにもあるようだ。

あの引っかかった瞬間、私のなかには「一致」があった、と気がついた。どこか深い辺りにポッと灯が点った。悩ましい思いやスッキリした感じも後からついてくるだけ。

途中から事柄をどうするこうするの前に私の中に「一致」があると思えて来た。この期間中、苦手だなーと思う人がスーッと消えて来ているのを感じています。皆が近くに感じられるのはとても居心地が良いです。

今まで事柄で「一致」するとか「一致」した、「一致」させたなどと考えていることが私のパターンでした。研鑽していく中で、「一致」とは「自分の中にある」と出されたのを聴いた時、え~?どういう事?沢山考えた。そうだな~「一致」は、自分の中にあるそのもの、行為行動する前のそうしよう・やってみようという前の私の心の状態、言葉で表せないもの、こんな感じかな。

    意外と当たり前に使ってきた「一致」「一致点」、常識観念に流される事無く、過去の観念に流される事無く、今一度立ち止まって「ここではどういう事を言ってるのだろうか」丁寧に検べて行けたらいいな~と感じている自分がいました。

    早分かりしないで、色々な事例もあげて、一つひとつ丁寧に研鑽していきたいと感じている自分です。仲間の中にあった、誰の心の中にもあった、私の中にもあった「温もり、温たかさ」でした。言葉にならないもの、嬉しくて泣けて来そうなもの、心地良いもの、安心してくつろげるもの、、、これが、ヤマギシズムの根幹にあるものかな~。はじめて、固い扉は緩み開いたのです。

    一方で、もっと光を当てて考えてみたいテーマが浮き彫りになった研学でもありました。
    研学を延長すると聞いたときや食事時間をどうしようかという話になったとき、自分はこうしたいという気持ちと意見がいろいろ出て、それを全部尊重するってどんな感じか、自分も含めて一人一人の私意を尊重する、若干の寂しさを持ちながらもその人の行動を尊重する、そんな感じをやってみることはできた。でも、このグループとしてどうしようか、豊里ではどうするか、全体ではどうしたらいいか、そういうところの一致や共にやるというあたりはもっと考えられるのではないかという感じがします。
    また、自分一人が違う行動をするとき、誰かが違う行動をしているのを見たとき、自分は共にやろうとしてやっているという思いが自己満足で終わっていないか。どちらでもやれると自分に言い聞かせながら、やるやらないを先に決めてしまっていないか。
    「一致」「共にやる」ってどんな感じか、研鑚することと一体とのつながりをもっと調べていきたいです。今回の研学のテーマの大事さと、このテーマには続きがある、というのが垣間見えた豊里研鑽学校でした。

    今月7日からは、待ちに待った特別講習研鑽会が豊里実顕地で開催される予定です。全国から14名の参加者を迎え、どのような1週間を共につくっていけるのか楽しみです。

    実顕地研鑽部
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コメント

  • あさのさちこ

    明るい昼の世界と暗い夜の世界を行ったり来たりしている?

    集中研で久々に絵図に出会うまではそう考えていた。が、今は違うなぁ、と思う。

    私は明るい昼の世界に生まれて、ずっとそこに棲んでいる。誰もが明るい昼の世界にいる、と映ってきた。

    夜の世界は私の囲い(我執)が作り出す幻想。

    参画以来、無我執、無我執と取り組んできたが、いつ辿り着くのかなぁ、とダシの抜けた鰹節を噛んでいる感じだった。

    それが一変。共に頑固観念・我執を一時も早く無くして、幸福一色世界にしていきたい、と。

  • あさのさちこ

    今月は「自己満足で終わる?」が気になった一か月。

    私が絵図に初めて出会ったのは特講最終日。「明るい世界?あ~理想ネ」左の隅にポアっと浮かんでいた。

    次は一年後、研鑽学校に行って係をさせてもらった時。「アレ?これ私が見た絵と違う、変わった?」と。明るい世界と暗い世界は半分づつ!

    今回、久しぶりに出会った絵図。本当の自分に出会った感動もあったけど・・・

    背中を向けて座っているお坊さんが大きく、鮮やかに彩色されているなぁ、と感じ、考えてみた。

    共にやろうとしてやっているという思いが自己満足に終わっている私?に映ってきた。

    「共に」と言いながら、するりと他人事にしていることも心にかかっている。

    なれば、あのおんなの人のように、「零の身軽さに立って、物事を見、考え、究明(研鑽)理解する」でやってみよう。

    幸福研鑽会がいつも私を俟っていてくれる。

  • あさのさちこ

    豊里研鑽学校に続いて、春の集中研が3月7日から14日まで開催されました。久々の特講と同時期に、テーマも「特講」とは。

    「絵図研」が楽しかったなぁ。研鑽学校で「二つ目の一致」に出会ったばかり、今回は本当の自分にしっかりと出会いました。

    腹が立つ、悩ましい思いをしていた頃も「本当の自分」は私の中にあったんだなぁ、と。誰のなかにも「本当の自分」があるようだ。

    ガチガチの石頭の私は特講以来33年かかって孵化したみたい。どれほどかの人に手を引かれて歩いてきたことか!

    昨日出発した特講生は地域の会員が受入してくれるそうです。

  • あさのさちこ

    へ!自己満足?    研学を延長する、食事時間をどうするかという場面、自分はどう考えていたのかなぁ。

    あの頃、「一致」が観えてきて、「共にやる」って、それぞれが思い切り、伸び伸びとやったらいい、と思っていた。

    この50人が動くんだから、職場も愛和館や和楽にも影響があるなぁ、と思いは馳せたけれど・・・

    私はどう動こうかと考えていた。

    今、ふり返って、みんなで、この場の一致点を見出して行動しよう、という発想は無かったなぁ~

    何でだろう? 続く。