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With(共にやる)


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この1年いろんなことがありました

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◯年間テーマ
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○12月度テーマ
この1年いろんなことがありました

 

 
2021年も残すところあとわずかとなりました。
この1年は実顕地や私にとってどんな1年だったでしょうか。
軽く振り返ってみたいと思います。

2月 豊里研鑽学校
3月 豊里で約1年ぶりに特講開催
3月 韓国で新しい家が建てられた
3月 幼年さん出発
4月 春日山研鑚学校
6月 別海牧草交流
7月 榛名研鑽学校
8月 春日山で特講開催
8月 夕張ジャガ芋収穫交流
9月 大潟稲刈り交流
9月 スイスで実顕地テレビ放映
10月 飯田リンゴ収穫始まる
10月 六川ミカン収穫始まる
11月 成田ハウス解体に集まる
11月 岡部研鑽学校

また、南紀御浜での甘夏収穫や、北条での鶏精肉、船南から各地への鶏移動などをはじめ、ここにはあげ切れない、実顕地間・職場間の交流、村づくりの中でいろんな動きがあり、いろんな気づきや味わいがあったことでしょう。

最近の具体例として、高齢者や病身者が産業職場などの職場へ配置となることについてが話題になっています。
配置に就く本人もまた受け入れる人達も「職場って何をするところなのかな?」と改めて見直し考えてみる機会になっているそうです。
「新たに職場配置を変わってやってみています。身体が不自由なところが有っても、高齢でも、職場で一緒に考えるところから。私にもやれることが沢山あって忙しい、長いこと腰痛に悩まされて来たが、最近、腰が伸びて来た様で若々しく見えるね、職場にお茶を飲みに来て、話をするだけでも職場づくりになっていくかな」
と嬉しそうな声が聞こえて来ています。

また、長年続けてきた「自動解任」についても見直してはどうかという声もあります。半年に1回としてきたが、1年に1回にしてはどうか?12月というのは忙しい時期ではないか?近年では意味合いとして、放して、次に繋げていく節目にしていくというより、世話係などの役割り決めの要素が大きくなっている。一層のこと、自動解任は役割りの見直しだけという位置づけにしてはどうか。以前使っていた自動解任の研鑽資料もなんだかとっつきにくかったし、時代や世代が移り行く中で、研鑚していきたいテーマです。

今月も新しいことをやってみるなど動きをつくりながら、そんな中から出てきた具体例を出し合いながら研鑽し、共に新しい年を迎えましょう。

実顕地研鑽部
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コメント

  • 麻野幸子

            『実顕地を 明るく 愉しく あたたかいものにしていきたいです
                             今期の自分をどう描きますか』

    今までの新任提案書に代わって、こんな投げかけの「今期を描く」を手にした。とても新鮮だった。

    実顕地をもっと、もっと、明るく 愉しく あたたかいものにしていきたいなぁ、と思います。

    私はどうしていこうかな?といろいろやってみた自動解任期になった。

    そして、今、フッと心に浮かんだことを出して、繋げていこう、と今期の自分を描いています。

  • 麻野幸子

    「自動解任」が実情に合わなくなっている?
    今月のテーマを読んで、ア、そうだ、自動解任月だった!と思った私でした。
    今朝、建設の出発研で。
    実情に合わせていくのではなく、「自動解任」が本来の要素を発揮するにはどうするか、と考えていくのがホントでないか?
    幼稚園生の我々が大学生をやろうとしている?それよりは幼稚園生のやれるところでやったらいいのでは。
    幼稚園生は幼稚園生でやってもよいが、大学生はヤマギシズムの最先端を見出していきたい。
    建設部は大学生でやろう!(?)

    自動解任って、新しい何かにチャレンジしていこうということ? ならば、公言してやれたら、周りも進む。
    昨日、そのチャレンジをした和泉さんの感想も出て、賑やか、にぎやか。

  • 村岡佳世子  豊里

    春日山で35年間位、養護部でやって来た人を豊里で受け入れます。親も居るが、村が受け入れていこう、と動き始めています。
    受け入れ職場を考えていると、うちで受け入れるよ、と声がかかり、衣生活・蔬菜など、来てみて、やってみてから、次を考えるよ、と。
    お風呂でも見守ってくれる人が。愛和館でバイキング式で取っていく食べ方は難しいんだよね、老蘇愛和館で食べれないかな、暮らしになっていく様に何か一役出来ないかな?。
    老蘇愛和館での受け入れ。私達待ってたよ、こういう事。やはり変化が欲しいわ、昔、他の村っ子だけど支援学校に親代わりに付き添いで行っていたのを思い出したわ、など。
    その人を受け入れる事で周りが豊かになっていく様な感じ。
    豊里ってあったかい実顕地だったのね、と口に出すと、何言ってるの元々そうだよ、と返ってきた。

    • 麻野幸子

      昨日の「麻野洋平さんの受け入れ研」には12人もの人が寄りました。
      洋平の職場、仲良し班、お風呂、食事と暮らしが成り立つようと組み立ててあります。

      今年の春先、私一人でも受け入れなければと、悲壮な決意?でおったのですが・・・

      実顕地の人たちの気持ちが、こころが寄って、
      いつの間にか、こんな「仕組み」が出来ていました。

      さて、これからの老母のわたしのやりどころは・・・