ヤマギシのむらnet

新しい研鑽学校4が始まっています!(第1704回研鑽学校)


5/28

各職場の出発研を梯子 朝一番は7時からの建設部出発研へ、8時からは生活庶務へ 涵養日にはプラス、産業事務所、住生活、養豚部へと廻った。

各職場の出発研を梯子
朝一番は7時からの建設部出発研へ、8時からは生活庶務へ
涵養日にはプラス、産業事務所、住生活、養豚部へと廻った。

 

 

 

195302 (3)
5/16〜29の日程で豊里実顕地・来客館2階で研鑽学校4が開かれています。
65名の参加者と係4人で3班に分かれて研鑽会が進んでいます。
今回は全国に参加が呼びかけられ「三重県下の実顕地に交流しながらの参加もあり」
となっていましたがこんな形もこれから楽しみですね。

研学4ってどんな感じ?

「ヤマギシズム」ってなんですか?

・・・と聞かれたら何とこたえますか?

ここから始まりました!
今までいろいろ勉強?してきて言葉は色々知ってるけど自分の言葉で知らない人に伝えるとしたら 「さて なんと?」

私の班でしたら
・「私のココにあります」と胸をたたく人
・私の中にある熱いもの、、どう表現したらいいのかなぁ~
・親愛の情かな
・考え方かな
・運動だと思う
・ひとが幸せになっていく道を探る   等々
195303 (2) (あくまで私の聞き方ですから)
色々出しながら最後に出された
~実践テーマ~
『いろいろな場でテーマのことを話題にする

そこでテーマについての自分の考えを言う』

1日目はこんな感じで終わりました。
この実践テーマは2週間通してのようです。

2日目はそれぞれが出発研や職場研や連絡研だったり、お出かけの車の中で2夫婦でとか 久しぶりに夫と真面目に話ましたというのもあり、そんな実践の話から始まりました。

さてこれからどんな展開になっていくのでしょう?
どの班も笑い声が絶えまなく聞こえてきます。
ある程度仕事を片付けて荷物を持って泊まり込んでという研学と違ってかとっても普段のままで臨む研鑽会という印象です。

帰りがけにふと廊下の壁を見たらそこに書いてありました!

人間は考えすぎる
複雑に考えすぎる

*参加者のみなさーん・読んだ方
ここにいろいろ寄せて膨らませて研学4を描いていきましょうーよ!

春日山実顕地  平島春美
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コメント

  • 麻野幸子

    研鑽学校4のなかで、こんな場面があった。

    「私意尊重」 自分の私意が尊重される、ではなく、自分が私意を尊重するではないか、という意見があった。

    それを聞いて、私はそうだな、自分が尊重することだと納得した。

    今、その場面を思い出すと、言ったひとは何でそう言えるのか、私は何でそうだと納得したんだろう?と湧いてきた。

    研鑽したつもりでいたけれど・・・

    『研鑽会で、研鑽しようとしている時、何をしようとしていますか』というサブテーマが浮かぶ。

    私は、研鑽会の輪のなかに溶け込んで、共に本当はどうかと探ぐろうとしていると答えたなぁ。

    が、自分ひとりで勝手に聞いて、判断して納得していたと、事実を見ることが出来た。 早分かり?って云うのかも。

    さて・・・答えた通りを練習してみよう、と。

  • 中垣光弘(春日山実顕地)

    なんで、いきづまるの?
    「自分が」「自分が」は、
    とくいなのに……。

    あるとき、ふと、
    からだが、
    こんなにも、
    信号を発していたことに、
    気がついて、
    びっくりした。

    それ以来、
    あちこち、訪ね歩いてる。

    からだのために。

  • 麻野幸子

    今朝、「一体」って、自由なんだなぁ、と目がさめた。

    「一体」って、繋がっていること、と思ってきたが・・・努力のいる、窮屈な感じがあった。

    研鑽学校で、一体観を研鑽しながら。

    自分の足を眺めながら、手をみつめて、これらが「繋がっている」って感覚ではまどろっこしい感覚だなぁ、

    起きて活動しているときも、静止しているときも、「即、一つ」って感じがピッタリ。

    この辺を「一体」と答えたい、何か、快適だし、生き生きしている。

    で、「一体観」って何だろう・・・す~っと、あなたは私、私はあなた、と浮かぶ。

    あなたと私との間に何もない、即、一つ。 アレ? 私はない、自分はない!ってことかぁ、と。

    で、今朝、一体って自由なんだなぁ、と目が覚めた。それでどうなんだろう、と楽しみに探っていけそうでワクワク。

    研鑽学校4、続いています。

    • 吉田牧生

      「物も心も満ち満ちている愛和館」

      昨日の仲良し研で、愛和館の運営がとても難しいという話題がありました。それで心のカウンターのない愛和館にしようとか。地下の厨房は止める。7時に閉めようとか・・

      食べる人は多い。つくる方にはいろいろ課題が多い。多いと多いですが、心の数も多いですかね。笑い。

      このテーマは大元から観ていくことでこの村の先々を描くとてもよい機会だと考えます。

      ウクライナの惨状を見ていて心が痛みます。が、私たちもこころが整っていないと、整えていくエネルギーかないと、内なる貪瞋痴に侵略される欲の突っ張り合いの食堂になるかもなと思いました。

      これは今回研さん学校てやってみて心新たにしたことです。

      愛和館とはヤマギシシズム生活を支える物も心もみちみちている館として用意されています。

      互いに落ちず落とさずに。この愛和の心に護られた、全人幸福真愛社会実現の為の村の拠り所です。
      ですね。

  • 田邊美恵(豊里G)

    全実顕地メンバーの皆様、何時も有り難う御座います。研鑽学校を企画して頂きありがとうございました。この場をお借りして、どうしても言えなかった思いを表現します。私にとって、かなりの勇気です。が、全人幸福のためならば、何をか言わん我がすべて!!です。皆様に検討して頂けたら幸いです。

    私は実顕地に参画して、絶望体験をし他を責め自分を責める自分の苦しみに耐えかねてやっとの事で、自分が自分を解放して結果として自分を救える体験をすることが出来ました。全く新しいアプローチの仕方で、エゴの自分から放れて本当の自分に繋がるものだと思います。何故その体験が出来たかと言えば、「自分が自分の事を全く知らなかった。無知だった」事を理解したからです。人間はどう造られていたのか?(脳の仕組み、心の仕組み)この世の仕組みはどうなっていたのか?特講で体験した、ひっくりっ返った世界は、どうなっていたのか?、、、生命の理をシステムとして、今まで嫌ってきた感情を俯瞰することで感情に溺れることなく消滅していける「理=システム」を理解することで、誰でもが本当の自分に戻る事が出来る体験が出来たのです。今この場で全てを表現する事は出来ませんし、まだまだ分からない事だらけの自分ではありますが、、、遣ろうとして取り組めば、誰でも出来ると確信しますし分かり易いし「はっと!!」一瞬の気付きです。次の瞬間、何もないのです。勿論、やり抜こうとする強い信念、柔軟さ、自己信頼、素直さ、、、あるかとは思います。

    誰でもが分かり易い「システム」として顕されています。後は実践してみて自分がシステムに生命を吹き込む感覚です。突然変異で見出された様な全く新しい「人間解体白書」です。現在、「米国・中国・マカオにて心のバランスを整える方法として特許取得」「文科省のWebサイトにて<いじめの消えるテクノロジー>として掲載されています。」

    今、この地球自体が古い文明から、新しく生まれ変わろうとする「変容の時」だとも言われています。一生に一度しか体験できない特講での零位の位置に戻る体験を、このシステムを使って出来るとしたら、皆さんどうされますか?私は10年かかりました。でも、死ぬ前に体験出来て本当に良かったです。どれだけ、頭の理解はあっても、体感あればこそなのです。私達が願った「全人幸福親愛社会の実現」山岸さんが私達に伝えたかったであろう真意、、、特講体験があればこそです。零位に戻る全く新しい智慧の鉱脈道があったのです。多くの人が訳わからずに今までの様に苦労しなくても、出来ると確信しています。二度と補修のいらない底をつくものだと思います。

    おまえごときの言う事かと思われても仕方ないですが、、、このことだけは、本当なのです。
    皆さんが、どうされるかは、皆さん次第です。私が死んでも、このことは、何一つ変わらず輝いています。読んで下さり有り難う御座いました。私の体験もどうぞお使いください。明暗二筋分かれ道。お伝えすることが出来て胸をなでおろしています。有り難う御座いました。ヤマギシズムを愛するⅠメンバーとして表現しました。

  • 浦崎雄一   豊里実顕地

    「ヤマギシズム」は何んですか?から始まり、結局、「ヤマギシズム」は何んですか?の2週間でした。
    今、私の中にあるのは温かい心です。「実顕地」って何ですか?「実顕地」の目的は何ですか?と研鑽会でいろいろ出しあう中で、「めあき千人めくら千人と言われる世でも」の短い資料が思い出されました。
    ・これから実顕地で何をやっていきますか 私は皆と仲良く研鑽して行きたいです。一人でも多くの人に特講を知らせたいと思い実行して行きます。

  • 麻野幸子

    「〇〇」って何ですか?と聞かれたら、何と答えますか。この問いかけが最高!

    今、私がとらえている〇〇という理念を自分の言葉で答える。

    感覚優先のひとも、公式見解みたい?になる人も、私は資料や全集にあった言葉で表現したくなる。
    その人らしい「答え」が色々と出されていくうちに、この辺かなぁ、と浮かんでくる。

    私の「答え」も柔らかくほぐされて、深まって、使える考え方になってる感じ。

    いつの間にか、今月のテーマ『次元の異う見直し方』を味わったのかも。

  • 奥田裕実 (一志G)

    一志の受け入れ❓研 一志での研学以来くらい沢山の人が来ました

    2週間皆んなの中で色々な話しを聞きながら考えてきた事が思い出され そしてここに居る一志の人達ともやって来たのだな と思えました。

    目の前に起こる様々な事 一つ一つにじっくり向き合って 今私はどうやろうかと 考えながらやっていこうと思っています 「えー」が出てきても そこで立ち止まって 「で、どうする?」でやっていこうと思っています

    研鑽会の中で 出発研で聞いた 色々な話しや その時に感じた事が 宝物のように残っています
    これからも皆んなの中で一緒に考えながらやっていけるのが楽しみです

  • 中垣光弘(春日山実顕地)

    実顕地とは何ですか

    我が視界を、見開かせるほどの
    「宇宙」への扉
    ハッとするほどの、驚き。

    それは、
    相手の話を聞いていくという、
    ごく身近なところにあったんだな
    そんな感じがしています。

    これからが、
    はじまりへの第一章。

    聴かせて頂いた、全てのひとに感謝。
    これからもよろしく。

  • 田邊美恵(豊里G)

    研鑽学校が開催された事に対して、参加した者の一人として何か感じた事、想った事等、、、発信しようと想うのですが、言葉にならないまま現在に至ります。今も言葉になりきらないのですが、先ずは感謝の気持ちを顕そうと思います。一緒に空間を共にして下さった皆さん係さん有り難う御座いました。私は、いったい何をどう研鑽したのかな~と自問自答しています。終えた今、家族の中の人と話して見たくなりました。勿論数人ですが、、、目の前の人が自分の内面を写す鏡(事実と思いの分離)として聴いて見ると、、、「職場の全員と来たかった~」とか過去は過去の体験として(それでよしというのではなく、そうなるのにはそうなる原因があり、その根元を究明する事は必須ですが、人間の相対思考を超えた視点から、自分も相手も悪くない視点、、、自分しか居ないと観える捉えられるところまでの研鑽をしたいと思いますが)、、、それはそれとして、いま、現在の自分・家族がどう生きて行こうかと、目の前をシッカリ見据えていま、いまを選択している姿を自分として感じた時、、、明るい世界が見えました、嬉しくなりました。学園出発生であったことにも、嬉しさがこみ上げました。

    強い信念を感じました。乗り超えたんだな~二つの世界を一つにしていく強さ、信念を感じました。今ここに存在している自己、二度とない人生ならば、、、あなたはどう生きますか?と問われたと受け取りました。自分を幸せに出来るのは、解放させて行けるのは、間違いなく自分自身です。犯す事の出来ないオンリーワンの存在である自分そういうかけがいの無い一人ひとりの自分達、、、その自分と想っている本当の自分の正体を理解すれば「我、人と共に繁栄せん~!!」「我、大いなる宇宙(神としか言えないもの)と共に繁栄せん~!!」と言えないでしょうか。

    「やがて歓喜の,あさは明け, 何人の子孫も永遠に 一人洩らさぬ楽園で 真の愛に抱擁まるる
    全人幸福のためならば 何をか云わんわが凡て」 

    残り少ないこの肉体人生、はてさてあなたは、どう生きますか~と問われました。 

  • ながはたひろ子 豊里実顕地

    今思う。
    ヤマギシズムって何ですか? 愛の哲学だと。
    2週間私の頭の中での曖昧で終わらせてたこと、曇った観方等真理の世界から断捨離と磨く作業に専念した。
    用意されたテーマは、美味しいごちそうばかりだったが、観念の世界から考えて食べることに躊躇。観念がありながらも食べていくと観念が薄れていく私を発見。
    特に美味しかったのは、一体観。私の中に平等と思えた。
    どのテーマも最後はおおごちそうになってしまうのだ。
    Iさんが「真理をバカににするんじゃないよ」と言った。
    研鑽会中に72才になった。今真理の扉の前に立っていそうな気がする。
    実顕地は私にとっては自動扉ではなかった。
    プレゼントも自分から用意するものだった

    • 吉田牧生

      「右足と左足のように❗️」

      右足が前にある時は、左足は後ろに。
      真っ直ぐに立っている時は、両方相寄っている。

      どちらが指図するわけでもなく上下はなし。
      平等の立場にある。それに何より右足左足には
      私という主張する枠はないように感じる。

      それでいてしなやかに動いている。

      足といっても指もあり、その指も親指から
      小指までで、各々役割が違っている。

      結局、ヤマギシズムで仲良く暮らすというのは
      こんな感じかな。笑い😇

      日常の自分の足の動きを観察することで、
      つまづくこともなく、
      ヤマギシズムも深まるとなぁと思い至った
      研さん学校でした。

      ありがとうございます。

  • 内部川 小郷裕子

    研鑽学校に参加してみて
    研鑽学校が始まる、行きたい、と思って、参加、出されたテーマひとつ、ひとつに素直に向き合い反応するだけ、それだけで、今の自分に戻れた気がする、24才の特講に行くと決めた私に、福岡供給所の鬼木さんがニコニコしながら『特講の対策法教えてあげる、聞かれたことに素直に答える、それだけ。」言ってくれたことを思い出した、そのことは24才の時から今も続けている自分に気付かされた、やっぱり、研鑽学校って楽しい。

  • 佐々木久江

    研学期間中 毎日佐々木とテーマについて電話で話した 佐々木には生活庶務部のラインでテーマや人の動きがながれてきた

    場は違っていても同じテーマで話しが出来るのは楽しい(前よりきく時間がふえたような気がする)

    お互い違っている時 力がはいらなくなったのはなんでだろう

    あと佐々木の心配をする時間が減ってみんなが入ってきたかんじもする 楽だ

  • 山内光子(豊里)

    あの日 蛍のカラーコピーを私は会場に届けた。
    「ホタル舞う」という題に文章は続く。 日が暮れる。どこからともなく弱い光が明滅しながら飛び交う、、ヒメボタルのはかなくも美しい命の光。とあった。
    一志、春日、内部、美里、豊里から19時を目指して集まってくる自分達の姿と蛍の姿が重なって見えた。私達の14日間の命の乱舞にも思えてきた。
    それから数日過ぎて あの時の興奮は今はない。「夜中のラブレターだったのか」。という気持ちも出てきたが 夜 みんなと一緒にまるくすわると しみじみと研学に参加できた喜びを感じる

  • 橋口利明

    今回の研学に参加して思ったことは、人の話が楽に聞けて、自分も楽に話せる。この気楽さは何やろう?
    また研学で考えたテーマを夫婦、職場の出発研や愛和館、風呂の湯船などいろんな場所でいろんな人と話し合うのも良い感じやなあ。相手も気楽に?話してくれる。我が職場にも研学に参加している人や他職場の人が参加するようになって賑やかだ。研学が終わってもこんな動きは続いてたら良いなあ。心地よい実顕地になっていく感じがしている。

  • 樋口 好子

    昨夜の研鑽会で「ネットへの投稿がすくないんだよねぇ」と聞いた。
    朝起きて昨夜のテーマ「これから実験地で何をやっていきますか?」の問いかけを考えていたらーそうか今は私が投稿することかーと思え、書き出している。

    「事実」って何ですか?と聞かれたら・・・のときに、手を大きく広げて「全部」というのが印象的だった。私の知ってる事も知らない事も、目の前の事も宇宙の果ての事も、私の都合に関係なくすべて。
    そして「真の幸福」とは・・その事実を丸ごと受け入れた状態をいうと思えた。
    それは、私がどう思おうが思わなかろうがすでに「ある」と。
    今までの「真理」「研鑽」「無所有」「無我執」がそれにつながってきた。
    「公意」とは「実顕地」とはの後に「あなたは今の実顕地に参画していますか?」
    と問われた。

    半年前の自動解任新任カードで「参画者として何をしたい?」と問われ、「参画者って何?街で20年やっても参画取消してなければ参画者?実顕地とよぶ所で住んでいたら参画者?違うよねぇ」何?と疑問がわいた。

    今は「はい、今の実顕地に参画してます」と言える。
    今回、指を痛めて今までのように動く事ができず「これからどうなるのかなぁ私」と
    気持ちが曇りそうなタイミングでの研学でした。
    あらためて、私のできる事を一つ一つ皆と共にすすめていき、楽しみたいと思っています。

    • 吉田元子

      好子さんの素直な投稿を読みながら、うんうん私もそうですと
      心に、ひびいてきた。心にひびいた今、実践として投稿します
      印象にある事は、真の幸福とは事実に素直と出されそれまで
      検べた無所有、無我執…などがつながってみえた。
      今の実顕地に参画していますか。実顕地でこれから
      なにをやっていきますかと問われてます
      これからです。

  • 古坊俊博

    愛和館に貼ってあった夏の岡部の特講のチラシが、心に留まった。
    『実顕地って何ですか?』の問いかけに、『運動体だと思う』 それを聞いて、今まで考えてきた事にブレーキがかかった。その晩寝るまで考えてみた。朝起きて、今まで研鑽学校でやってきた事を振り返ってみた。最初に受けた特講が、スタートラインだとしたら、今やっている研鑽学校4は、それにつながる機会だと思った。研鑽会中にいろんな人の話しを、聞きながら、少しずつ分けて考えていったり、春日に戻って、家や、職場での人とのやり取り中で意識の置き所に気をつけながら、自分の中から出てきた物にも注意しながら、やってみようとする事も、ひょっとしたら運動体と言えそうな気もするなあ。

  • 大江明美

    村ネットへの研学生の書き込みが少ないと感想文を書くことになると係が言ってたのを思い出し、今慌てて駆け込みで、書き込みしてます。
    今回の研鑽学校は4、初めての参加者になってみたいものだという単純な理由からの参加
    でした。
    初めから問いかけが一貫して「、、、とは何ですか。と聞かれたら何と答えますか?」だった。
    これでさいごまでいく???とまじ?って感じでした。しかし、だんだんそれに乗っている自分が居ました。研鑽会ではン~なんて答えるかなあって考えているうちに時間切れになってしまうこともしばしば。でも次の日、職場の出発研やほかの職場の出発研に参加してて、そっかーとなってたり新たな考えがどんどん沸いてきたりしました。研鑽会都、日常がつながっているのがとてもおもしろいです。あと何日という感覚もなくこれからもずっと続いて行くこと。生きている限りやり続けると思う。間違っていたら誰かが言ってくれたり黙って直してくれたりしてやっていくんだとおもいます。今後ともよろしくお願いいたしますという心境です。

  • 喜田栄子

    各職場の出発研を梯子が流行っている。
    私の場合、朝一番は7時からの建設部出発研へ、8時からは生活庶務へ
    涵養日にはプラス、産業事務所、住生活、養豚部へと廻った。どこも温かく、いたる所我が家あり、わが職場だな_。
    移動中、食生活の下を通ったら、笑い声ではじけていた。食にも行きたいなあ~。衣生活にも肉牛、乳牛にも、介護もとどんどん行きたい所が増えてくる。

    建設では出発研の進行を乗っ取ってしまった??
    それぞれの雑談からタイミングをみて研鑽学校への話へと振る。昨日のテーマは「○○でした」「皆さんは〇〇と聞かれたら、何と答えますか」と。みんなちゃんと応えてくれる。へーそうなんだと、どの人の話新鮮で自分の中が広がる。一昨日は、話が広がる福島さんに「それぐらいでちょっと、置いて」とストップをかけた。実顕地ってなんですかの話から一人一人の子供のころの話になり、そうなんだ!なんかみんな違うけど今の様子からもわかるーと笑いあった。
    生活庶務は広いミーティングルームはいつもいっぱい。生活庶務のメンバーも他の実顕地からのメンバーも当たり前の様に次々話題が出て、盛り上がる。
    当たり前なんだろうけど、同じテーマで話していても職場によって全く違って面白い。普段話すことがないあの人の職場の様子を垣間見たり、いろんな人の考え方や思っていることを聞けるのが楽しい。新たな発見の日々です。

    今回の研鑽学校は、実顕地で今までやってきた私は、そのテーマを今どう思っているのか、自分の言葉で表してみるのをやっているのかな、と思う。他の人はどうなんだろうと聞きたくなる。もっと知りたくなる。職場や愛和館で話すと、もっと広がり、私の住んでいる、生きているところって、こうだったのかとあらためて見直している感じ。みんながいてくれて、できる作業だなあとかみしめ、話す人が多ければ多いほど豊かになってくるなあと思っている。

    今日のテーマはちょっと手ごわかった。

    「実顕地」って何ですか?

    ・・・と聞かれたら、
    何と答えますか

    ・あなたは今の実顕地に
     参画していますか

    ・これから実顕地で
     何をやっていきますか

  • 佐々木久江

    昨日穴田せっちゃんが出発研にきた 穴田さんは参画前私のいとこと同じ会社だった そんなことも思い出しながら隣で話を
    きいていた なんかの縁でここに一緒にいる 
    公意って?を出しあっていると 私意がなんかきらきらしたものだいじなものに思えてきた 
    いくちゃんの もともと一体 をきいてもそこを感じた あつく語っている姿もだいじな瞬間に思えた

  • 上山恵理

    「実顕地」って何ですかと?…聞かれたら何と答えますか?

    今まで考えてきたいろいろな言葉が浮かぶ。でもなんか実感(?)がない。
    「幸福社会です」とすっきり言った人がいた。
    確かに……。でも私は何を幸福と思っているんだろう。

    いろいろなことが起こる暮らし、その都度一緒に考える仲間がいる。
    「そうなんだ とか 私にもやれるかな♪」と新しい世界が広がる毎日。
    そんな毎日の積み重ねで「わたし」の持ち味がずいぶん引き出されたきた。
    こんなこともできるんだ、エッ!私にやらせてくれるの?と。
    活かされるのってとても嬉しい。

    実顕地って、一人一人がその人らしく暮らしているところかな。

  • 村岡佳世子

    研鑽学校面白いです。
    昨日の研鑽会で、私達は蛍の様だね、と出した人がいました。
    雑誌で蛍の乱舞のページを見て、居ても立っても居られなくなり、カラーコピーをして見せてくれました。
    夜、村中からどこからともなく集まって来て、真の幸福は?など出し合う。
    長年やり続けて来て観えて来た事。
    実感を伴った、その人から出て来る所。
    生き、進化し続けている感じ。
    昨日、実顕地とは?で考えました。
    私は実顕地が好きだなぁ。
    その何を好きと思っているのかな?調べてみよ。

    • 吉田牧生

      「ヤマギシが心底すきです」

      27日の研さんの印象的なところを。
      私の感想です。悪しからず。

      H子さんが「公意」を探っていく中で、真実の世界には私意なんてないと。オッ〜

      私はヤマギシシズムを全く勘違いしていた。
      常識観で探っていました。これでは理解できる訳がないと。今真実の世界に目覚めました。❗️❗️

      周りからボチボチと、ヤマギシの実顕地が心底すきです。声が出てきた。ここでやる人とは地獄の底迄付き合うという人も。
      地獄の底なんてと思ったが、納得するものがあった。

      初期の別海実顕地がブルセラ病で乳牛が全滅し、実顕地の崩壊の危機に陥ったことを思い出した。

      安定した環境が根こそぎ崩れ去り資金は底を突き困窮状態にあった。

      菊池さんがよく話してくれた。資金づくりの一役に夕張炭鉱の地底で働いたこと。地底にいると蒸し暑くミシミシと地盤が軋む。しかし死の恐怖はなく心は明るかったと。

      一切の執着を手放した私のない世界。
      ここには天災はなし。これを嘆くのは人災。地震も嵐も疫病も自然界の一変化として認める。

      真実の生き方に身を投じた先人のエネルギーに触れると、理想社会の実現の実践を促される今です。

      研さん学校という環境は有難いです。
      ありがとうございます。

      • 佐川清和

        愛和の誓いの一節「全人幸福のためなれば、何をか云わん、わが凡て」ですよね。

  • 佐々木久江

    自分の考えに非難がある時、やめとこう、そうしといたほうが言われない叱られないがものさしになっていた事に気付いた
    最近そうきいても続けていることがある。やってみてをみていくことが楽しいのと繋がっている実感があるからだ
    公意の研鑽をきいて自分がかわるきっかけになる要素が多々あるなと思った

  • 平島春美(春日山実顕地)

    7日目の「無我執」ってなんですか?
    のテーマの時に
    「 強い信念やこだわりと我執はちがうのですか?」
    という投げかけがあった。
    私は最近4人の人と始めた糖漬けの話をだした。
    毎日ぬか床を混ぜるか、野菜が入ってる時だけでいいのか?
    意見が分かれたときの自分の気持ちの収め所を話したような気がする。
    「春美ちゃんのはこだわりだね」と言った人がいた。
    職人さんの強い信念やこだわりの結果うまれる作品が我執の結果なんて言えないよね!!
    いやいや、そんな人こそ自由な発想、こだわりがないから新しいものが、素晴らしいものが生まれるじゃないかな?
    強い信念やこだわりの中に我執が潜んでいないか?
    そこに持ち続けて,放せないものはないか?
    そんな感じの話も出ました。
    翌朝、食生活の出発研で「強い信念やこだわり」ってその人らしさだよねといった人がいた、「う~んなるほど!」(ちょっと痛快)

  • 吉田牧生

    「心は明るく、明晰で喜びがあり、穏やかです」

    23日の研さんテーマは「無我執」ってどういう
    ことかと聞かれて自分はどう答えるか。

    私はこんな感じで話します。日々体験している
    ことを思い浮かべながら、実況中継的に話します。

    過去や未来の事は心配しないで心が今にとどまっ
    ている。

    心が空になり落ち着いている。

    知ろうとすることからも知っていることからも
    離れています。

    心が何か囁いても放っておきます。

    心は明るく、明晰で喜びがあり、穏やかです。

    ここには「私」も「私のもの」もないという
    明晰な智慧が働いています。

    ヴィパッサナー瞑想のマインドフルネス
    (気づき)で、心に生じる現象をあるがままに観察
    していると体験します。

    • 吉田牧生

      「幸福な人生になるアプリ」

      今日の研さんテーマは「一体観」って何んですかと聞かれたら?何んと答えますか?

      ☆私は次のように話します。

      「幸福な人生になるアプリ」です。

      アプリの使い方は懇切丁寧です。

      アプリのポイントは、自分の身体の仕組みを思わせるようなところがあります。

      例えば、右足が前の時は左足は後側です。でも左足が前の時は右足は後側です。上下もなく主体もなくやっているような自然な流れがコンセプトです。

      • 吉田牧生

        「死ぬことを認めます」

        昨日は「「真の幸福」ってなんですか?と聞かれて私はどう答えるか?だった。

        私はこう答えます。

        真に幸福を願うなら、
        「死ぬことを認めます」

        みなさんは死ぬのを怖いと思っていませんか?

        生きるのが好きだから、生きるのが楽しく幸せであるからと思っていて、それを手放したくないというのが、一時的幸福感の特徴です。

        すべての生命は、だれも100%死ぬにもかかわらず、「死を認めない」「生きていたい」という根本的無知で痛い目にあっている。苦しんでいる。とブッダは説かれる。

        特講の研さん目標も、「感情・我・生命・・等」に執着する心を放ち」とあり、ブッダの教えを基本に据えていると理解しています。

        私はこの教えを聞いて、自分で実際に検証してみようと、無常を観る方法である☆ヴィパッサナー瞑想☆を実践しています。

        「自分の身体(物質)と心は、瞬間的に変わっていく」ことを観察します。

        瞑想実践すると、あたかも副産物のように、真理が自然に見えてきます。

        死につつある現実を眼の当たりにすると揺るぎない安らぎを感じます。

        我々は、無常という大海にいる「一滴の💧無常」に過ぎないのです。真の幸福は、いまこの瞬間、目のあります。

      • 吉田牧生

        「幸せに」

        昨日は「公意って何んですか?
        と聞かれたら、どう答えるかだった。

        私は「幸せに」ですと言いますね。

        研さんの話題では、今までとは異なった次元で見てみると、公意とは「幸せに」ということだと。私意というのもない。といのうもあった。なるほどね。笑い。

        ヤマギシの村が長年いろいろ変転しながら日々活動をし続けていけるのは、みんなが幸せになるように。この一点に心を寄せるという気風のエネルギーで繋がっている顕れと理解している。

        その動きや流れは、まるで右足が前にある時は左足は後ろに。左足が前の時は右足は後ろに。どちらがどちらを尊重するでもなく、上下や任務ということでもなく、一体連携の作用をしている。こういうことかなと感じた。 

        金の要らない心の要る仲良い暮らし。ですね。いいね😊

        今世界は大きく変換しそう。二大対立もあり食糧もエネルギーも危しになりそう。

        改めて対立のないヤマギシの心のエネルギーをしっかり育てることを弁えてやることがあるなとなった。

        実に楽しい研さんだった。

    • 吉田牧生

      「実顕地は私の心の中にあります」

      昨日は「実顕地」って何ですか?と聞かれたら何と答えますか?
      だった。

      私は「実顕地は私の心の中にあります」と答えます。

      48才の時の研さん学校で、決めつけないで一切の執着する心を手放すと、争いのない、明るい、身軽い心の世界になると覚醒する境地になりました。

      お金や財産や名誉や力で物事を解決する等の既存の価値観では自分は苦しみ、人類社会はいずれ行き詰まると確信しました。

      持たない生き方の無量の心の世界に挑戦しようと、世界でただ一つの、私の心の中に産まれたヤマギシズム社会機構に参画しました。

      そしてこのような生き方をしようという人が集うヤマギシの村で暮らすようになりました。

  • 佐々木久江

    鶏の味噌焼きの時久子さんが焼く野菜持ってくるわと言った。私は知らなくて今日はサラダですよと言った。後からネギがあるのを見た。明らかに自分のほうが知ってるわかってる、だった。
    態度デカっ!

  • 吉田牧生

    「群盲象をなぜる」

    今朝は研学に参画している奥さんと共に建設部の7時からの出発研に行きました。

    ハイお土産を持ってきました。5日目に「無所有」っての研さんの中で「群盲象をなぜる」を楽しんだので持ってきました。

    この諺は研さん中に賢い女性が提供してくれました。
    みなさん知っていますか?

    Gさんが話してくれました。
    『物事や人物の一部、ないしは一面だけを理解して、すべて理解したと錯覚してしまう』 ことの、例えとしても用いられる。

    いろいろ出し合うなかで、実際にやってみようで、私はSさんに眼を瞑ってテーブルのそちら側を触って下さいと言いました。

    私も眼を瞑りそのテーブルに触れる。この高さは幾ら位?と聞きました。彼は2mと言う。・・2mか。私もそうやね。笑い。

    その後コミュニケーションや人の見方のなどについてあれこれで楽しみました。

    研さん学校があることで、村も私の心の中も、風通しが良くなっている感じで充実しています。

  • 麻野幸子

    愛和館で、夕食のとき、「アンパン」を仲良し3班の私と、洋平クンにも、と2つもらった。

     まあ、嬉しい!と受けっとった。
     それを、テーブルに置いて食事を始めると・・・
     「え~、2つも~」とか声がかかったり、視線を感じたり。
     段々と、ちょっと、厄介なアンパンに見えてきて、さっさと部屋に持ち帰った。

     その直後、研鑽学校で「無所有」がテーマ。

     さっきの愛和館での場面が浮かぶ。
     あの感じ、日頃から人目や評価を気にする私が作り出しているんだよなぁ。
     その考え方を持って(所有して)いるわけだなぁ~、分かってはいるんだけど・・・
     
     アンパンの価値も、洋平クンにと渡してくれた人の心も台無しにしてしまっている!
     と気が付いた。
     そしたら、す~っと「アンパン」だけが映ってきた。

     部屋に帰って、ふかふかのアンパンを食べました。

     今、「『無所有』って何ですか。」と聞かれたら、
       「物もこころも活かしていく考え方」と答える。

  • 田邊美恵(豊里G)

    一つ、付けたします。
    起こった現象は、「事実」と受け止めています。が、その、現象(事実とみなすもの)を、創っていたのは、どう見ていたのかは、自分の観念であり、、、それを、どう見ていたのか、どう受け止めていたかで創った幻想ということです。言葉での表現の難しさを受け止めました。

  • 田邊美恵(豊里G)

    今回参加してみて,今の自分を見てみようと思います。色々ありました。が、これ!!って感じているものを出して見ます。自分が自分を見ようとする事は難しい、何故ならば、見える世界では、自分の目、耳その他の五感六感を使っていると思うからです。自分の目で見えるものの中で、決して見えないものが只一つあると云えます。それが自分の姿だと思います。だから、鏡を使うのだと思います。要は、見えている相手と言う自分の中に、隠している(見えていない)もう一人の自分を知る鍵がある、、、私の中に何か伝えたい大切なものがある、、、でもね、伝えようとすればするほど話が長くなって、、、「長い~!!」だけが強烈に伝わっている様です。、、、途中経過ですが、、、私は、本筋に行けない伝わらないと感じている自分に靄っていました。、、、その時「伝わらないと思ってみるのはどうか?」とか、喜びを体験している人が体験していない人に「分かってよ~この感覚共有したいのよ~!!」と強く求めれば求める程
    支配、強要をしている事を受け取りました。(逆の立場になれば、その通りだと思えるからです)、、、その晩、私は落ち込みました。何故ならば「やっとヤマギシズム、この家族の人達と共に遣って行けると感じた矢先だったからです」、、、「そうよね~~お手々繋いでは出来ないよね!!」、、、私は、やっぱり一人ぼっちかな~~!!と思ったからでした。(何を求めていたのでしょうね((笑)))、、、その時、、、「ハっと!!」しました。私は、この研鑽会の中で、初めからズ~~と「あなたと私」を分離していた自分が見えたのです。、、、泣けました~!!特講で観た世界、大いなるもの、見えないエネルギ―、愛と言うもの、切っても切れない
    一つの命、、、そういう存在の声が聴こえた~!!

    「あなたは、元々私(存在)と一緒にいるんだよ~~!!何も離れていないんだよ~~!!愛されているんだよ~~!!」って!!あなたが、分離してるから、苦しいし悲しんだよ~!!分かるでしょう!!っと。、、、それを感じたら号泣です。今も、泣けています。

    私が、皆に伝えたいと思っていた事は、大いなる存在が、、、私に伝えたかった事だった~んだ~!!本当に、事実だと信じて疑わなかった人間の(自分)の人生は、、、事実ではなかった。自分で創り上げてきた幻想(虚)の世界だった。ニセモノの自分だった!!と言う気付きです。

    でも、悲しいかな、、、人間だもの!!、、、2つの世界でしか生きられないよ~!!人間ってそう創られていると知ったからです。2つを何時も闘わせていたら、戦争、不幸、、、苦しみの世界、、、だよ。じゃあ、どうしたらいいのかな~~と云うところから、後半に入りたいと思います。

  • 金谷睦子

    いつもの様に、夕食の片付けをして(半分だけ)『あっもうすぐ7時だ!』と、膝掛け一枚と腰痛予防グッズを持っていそいそと研鑽学校へ。7時から9時、2時間があっという間だ。出されたテーマについて、一人二人で探っていくのも面白いけど、20人位の輪の中にポンポンと皆の意見が出されて探っていくのが、凄く楽しいし、笑い合えるし、みえてくるものもある(笑ってばかりではないですよ)翌日は、誰かの投稿にもあったけど『今日は零位だね』『うん実践しなくちゃね』とニコッ!自分も出発研で「テーマについての自分の考えを言う」を実践したところ『わかんなあーい!』の声、声…あらら、とこんな感じですが、普段の暮らしの中で、職場にも行きながら軽く?!研鑽学校をやってるのが新鮮でいいなと思ってます。to be continued

  • 一志実顕地 半田久美子

    一志より奥田裕美さんを研鑽学校4に送り出して夜9時過ぎに一志のラインにテーマ、実践テーマを送ってくれます。それで私達生活部で朝の8時15分からの出発研でいろいろと出し合っています。
    真理、事実のテーマの時はそんなに思わなかったが零位のテーマの時にわからないから知りたいなと思い、昨日麻生英子さんと共に養鶏部の朝の出発研に行って裕美さんの話しを聞きたくなり、一緒に研鑽していて養鶏部の違ったメンバーとも研鑽しとても楽しくてまた今日も参加してしまいました。
    もちろん生活部の研鑽会の後なのでつなげられて面白いです。無所有のテーマで研鑽してみて思った事は無所有の世界がある。無所有から見ての所でこの世界に行こうと思いました。今の私は頭も固いし我執も一杯あるしですが先ずそれも認めてあげて無所有の世界に進もうかな。さあ明日から楽しみです。            つづく

    • 麻生英子  一志

      本当に、素直に、うん、やりたいと思います。

  • 麻野幸子

    今日は、早5日目。
    今朝、出会った悦ちゃんに「今日は『零位』だね」と声をかけたら、「うん、実践しなくちゃネ」とニコッと笑顔が返ってきた。

    3日目の「事実」ってなんですか、と聞かれたら・・がテーマ。
    以前、研鑽学校で何回か、人間には捉えられないものってやった~等々、賑やかに出し合った。
    やがて、これが事実とは言えないけど、「事実」はある、と皆んなが思えた感じ。

    すると、「事実は見ることが出来ますか?」との問いかけがあった。
    アレ~??と戸惑ってから、「人間は考えることも観察することも出来るんだ」と気がついた。

    今、自分はこう見た、こう聞いた、こう考える、とスッキリと言える私になった。気持ちイイ!
    実践してみると、相手はこう見えた、こう聞いた、こう考えると言っているんだなぁと受け取れるのが新鮮。

  • 吉田牧生 豊里

    「みんな嘘ばっかり話してる?!」

    3日目の印象的なところから。
    私の感想なので悪しからず。

    養豚部のTさんが出発研で言ったとかいう「みんな嘘ばっかり話している」
    が話題になり、どういうこと?うん?で始まりました。

    少しづつ研さんは進む。
    3日目は、真理や事実について。
    実像と虚像がテーマになった。

    話題の一つに以前学園であった養老先生の講演会で、一匹のトンボを100人で見ていると100匹のトンボが現れるというのがありました。

    人間は眼で対象物を見ると、そのデータで脳の中で、脳が勝手に画像をつくって、
    それを疑問に思わないで生きている。
    しかも他の人々も、同様の画像システムを搭載していて、それを比較することもできない。これで私たちは、特段に困ることなく?時々齟齬を越しながらコミュニケーションしている。

    ここでまた養豚部の出発研でTさんの話した「皆んな嘘ばっかり話している」が話題になった。

    同じものを見ても夫々の人は虚像(妄想)を事実にしている。現実ではない合成されたものを正しいとしています。そうか。そういうことか。

    Tさんの言った無茶苦茶と思った「みんな嘘をついている」は、こういうことを言っていたのかと皆んな納得の感じでした。

    そこである人が、長年誰かと話していると何にかしら違和感があり心痛めていた。
    がこれだったのかと納得したと。
    よかったね。

    後で思ったことは、「嘘」は意識的にする。「妄想」は疑問なくする。
    ので使い分けが必要ですね。

    この後参加者の信子さんと明日は養豚部の出発研に行こうとなりました。