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前進・飛躍の年


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変化する実顕地の暮らしに思う

印刷 ⇒ 令和4年8月
◯年間テーマ
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◯8月度テーマ
変化する実顕地の暮らしに思う
今月13日から岡部実顕地で特別講習研鑽会が開催されます。
首都圏での開催は久しぶりになりますが、全国から8名の参加予定があるそうで、心を寄せて共に創っていきたいです。

さて私達の実顕地の暮らしへと目を向けると、様々なことが日々変化しています。
先月、各地から集まった研鑽会では、春日山での麺類の生産が終了することが話題になりました。

うちの麺が無くなって、みんなで次の麺はどれにしようかとお店に行って選んできた。いろいろ探して、一つを選んでみんなで食べて、たまたま美味しい麺に出会ったけれど、これからも生産物がなくなる度に、美味しい物を求めたり、これを食べてみたいとか、みんなでどれにしようかと探しに行くのも、何か変だなと思った。
愛和館の暮らしは、今までは「全生活物資実顕地生産物で」ということで、多くは買い物に行かなくて済んだ。生産物でヤマギシを知って特講を受け参画する人も多く、生産物が少しずつ減って購入するものが多くなってくると、昔を思い出しながら、こんな物があった、食べていたとか、国産の原料でとか、72度低温殺菌でとか色んな意見が出てくるようになった。生産物がなくなっても変化に柔軟に対応できて、過去に戻らないで、購入品を選ぶことに力を入れないで、「これで良し」という感じにならないものかと思う。

愛和館で使う食材を購入することについては、様々な考え方、意見が次々と出てきました。

健康によいもの安全で国産のものが良い
同じ購入するなら国産農家、地元を応援したい
〇〇産など輸入食材は嫌だ
せめて野菜位は自分のところで栽培したい
自給自足の生活
豆腐や納豆が購入品に替わると文句が出る
購入品になると食卓に上がる回数が減った
以前の一食いくら位でという基準が出てくる
購入するときどのくらいの価格のものにするか迷う
鰻が高いので牛肉にしようと思った
送ってもらった魚嬉しいけど、買ってまで食べない
スイカを食べたいからといって購入するのは考えられない
卵まで購入するようになったら終わりだ
小麦粉が高いので米粉でやろうと思った
生産物は便で届くが、買い物に行くのは遠い、嫌だ、面倒くさい
実顕地が高齢化するということは、生産物がなくなるという話
麺がなくなると聞いて淋しい気持が出てくる
世界情勢を考えるともっと沢山作っておこう
もともと購入するのがほとんどの生活を前からしている
多摩のファームが、麺や鶏肉がなくなってがらんとしてきた
朝市で出していたうどんや焼きそばは麺を購入してまでやるか

実顕地生産物といっても、1970年以前は何もなかったし今の実顕地でも生産物がほとんどないところもあるし、実顕地で生産したものを食べることと実顕地であることとは本来関係ないのでは。
実顕地というからには、そこに顕れてくるもの、顕していくものの一つとして生産物はわかり易かったでしょうが、こうして生産物が減っていくなかで、変化していく実顕地の暮らしの中で私は何を思うのか。
「実顕地とは何か」に繋がっていくテーマでもあり、そのことを改めて考えてみる機会にもなりそうです。

実顕地研鑽部
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コメント

  • 麻野幸子(豊里実顕地)

    スマホのLINEビデオを使って、先日は韓国実顕地での特講の様子をスタッフから聴き、昨夕は岡部実顕地の夏特講やってみてに参加出来ました。

    スイスから、韓国から、日本各地から同時に40人もの人と共有出来るんですね。

    初の企画を立ち上げたメンバーの「特講を拡めたいと願うこころ」が、かたちに顕れた感じ。

    • 麻野幸子(豊里実顕地)

      聴いたその中で、『特講生が答えのないことを探っていく愉しさを味わっている感じ』というスタッフの言葉が響いた。

      今月のテーマ「変化する実顕地の暮らしに思う」と重なって、あ~!と納得するものが・・・

      今、変化する実顕地の暮らしを探っていく愉しさを味わっていこう、と。

    • 麻野幸子(豊里実顕地)

      絵図の真ん中あたり、赤い実が浮かんでるなぁ、ちょっとフシギ??としか見えていなかったのですが・・・

      「女の子が、木に攀じ登って採ったりするのでなく、リンゴの実が熟して自然に落ちてくるのを待っている」という特講生の感想があったと。

      聴いて、『実は自然のままにはぜて、手に帰する』と映ってきた。

  • 下田妙子 (一志)

    一志実顕地づくり研を昨夜やってみて。かつては次々に産み出される生産物をどんどん広がるヤマギシと思い、嬉しかったし、誇りにさえ思ってた。という発言あり。いつの間にか、実顕地生活=生産物を食べるものとなんとなく思ってた。「実顕地というからにはそこに顕れてくるもの、顕していくもの亅として生産物に替わる何かがいるのかな?
    話題は最近、洗濯したパンツを供給しないでそのまま山にして置いておくようになって、それについて色々な意見が出た。実顕地の変化の一つといえばそうかな。その時にどうしたら、こうしたらの話になりやすいけど、どこに焦点をあてたらよいのかなと思った。
    今日、コロナ隔離開けで久しぶりに洗車をしていた私の目に映ったのは車の古傷。それが、「こんなにしちゃって亅でなく、「よー、頑張ってきたね亅と愛おしく感じられたのでした。たまにふと見える日常の全く違った感じ方やら景色やら、そこにもっと焦点をあててゆきたいとも思った。

  • 麻野幸子(豊里実顕地)

    大好きなうどんが無くなると聞いて、即、なんとかならないのかなぁ、と思った。

    いろいろ状況を聞いたりして、そうかぁと治まった気がしたのだけど、「これで良し」という心境まで至らなかった。

    ヤマギシの有精卵から始まった実顕地生産物。

    作っている人も考え方も知っていて、安全・安心、体にイイもの、それが無くなっていく事実に抗するものがある。

    村づくり研で研鑽するうちに、研鑽学校4の中での、「今の実顕地に参画していますか」という投げかけも浮かんでくる。

    実顕地生産物への「信仰」に近い感覚、さらに自分のみの幸福感を追いかけているのに気がついた。

    今はここまで・・・

  • 吉田牧生(豊里)

    「老老介護??
    その時のその場の自分に合わせるのが大事」

    多くの人は老いたくない。病気になりたくない。ですね。笑い??

    あれこれ健康に努めていても限界はあるものです。ある日突然身体を壊すこともあります。

    そんな中で骨折した人(高齢男性)の病院行きのお世話をするために、2日間女の人の補助?でやりました。2日目は入院も重なり7時間かかりました。老老介護の実践! 体力と持続力がいる。フゥ~

    ままならない身体の不自由な人を世話しながら思ったのは、大切なのは身体ではなくて、心の健康が何より大事なのだと痛感しました。

    身体がくたびれても、気持だけはくたびれないように明るくする。過去に拘らない。未来に期待をしないこと。

    誰しも元気の時はいろいろのことをやって楽しみますね。大事なのは晩節です。年老いて身体が不自由になってもそれを楽しむ。それとも嘆き苦しむ。このふた道で人生が激変します。

    今自分はどの方向に向いているか?その視点を持つことが智慧ある生き方です。

    その第一歩はラッキーな出会いの特講です。それから~十年。人生を積み重ねてきた今の自分です。

    「その時のその場の自分に合わせる」

    生きるとはこんなもんだと自由な心にしておくことです。

    ハイそうします。
    仏道はこんな感じで爽やかにです。