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題名のない研鑚会


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アルバムを見る⇒互いに見合って介護



『明日の午前10時半から70歳以上で寄りましょう! 場所は第5です。』

こんなラインが春日山情報Z(春日山のあらかたの人が入っているライングループ)
に流れました。 「えっ 明日? 急だなぁ 何?」

そう思って寄ってきた人がきっと何人もいたでしょう
日頃、研鑽会であまり見かけないひとの顔もありました。
「題名のない研鑽会」と言ってた人がありました。
女の人だけじゃないの?なんていう人も。

話題の中心は「これからの私達年代の実顕地の暮らし」とでもいうところでしょうか?

まさに今月のテーマ 「変化する実顕地の暮らしに思う」

最近の春日山実顕地の構成員の内訳をみてみると
構成員(子供を除く)180人
70才以上 90人
60才以上で区切ると130人にもなります。(全体の7割強です)
やっぱり暮らしぶりが変化して当然だしもっと積極的に考えて行きたいです。

最近、急激に認知症が進んでその人の見守りを具体的に考え始めたばかりの時でもありました。
ちょっと前に部屋で一人倒れていた人を職場の人が気が付いたこともありました。

そんなこんなで日々歳を重ねている自分達はどこかでなんとなく元気なうちはみんなと一緒にやって、動けなくなったら老蘇館に移って介護してもらうと思ってないかな?
実際に介護部でやっている人達も決して若いというわけではない。

いろんな話がでました。
実際に見守りをやってみての話
今年の春から養護部がなくなって何人もで入り合って、直接養護の子に触れて見えてきたことの話も出ました。
認知症の人とお互いの持っている世界を認めてともに生きる事を探る日常の話
近々、敬老の日がくるけど誰が誰を祝うの?
老蘇ってどんな感じでとらえている?
10人位の人達とならお互いにやれるところで見合って暮らしていけるのではないか?
近く大々的?部屋移動もありそうです

それぞれの人達は元気で積極的です。

「みんなと共に、ゆりかごの前から墓場の後まで」
参画する時、その後もそんな言葉もありました。若い時はどこか他人事でもあったしそういう仕組みになっていて、安泰と受けとっていたように思います。
今思うにそれはお世話する側とお世話される側のことではなく、「形ではなくそこをお互いどう探り続けられるか?」という私達の真価が問われる挑戦のような、、、、
ちょっとワクワクしませんか~!

次の日の村づくり出発研(毎月1日に全員対象でやっている)で
「昨日の研鑽会はみんなのパワーを感じたなぁー」と言ってる人がいました。

春日山実顕地 平島春美
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コメント

  • 福崎敏郎  (春日山)

    7月号研鑽紙の佐川さんの文章の最後にこんな一節があった。心に残った。
    【また見田さんは著書『気流に鳴る音』の中でヤマギシ会の「一体」理念について、「モチはあくまでも絵にかいたモチであることに、山岸会の活力はある。」と述べられている。
    しかし一方で自分らは、絵にかいたモチでない実感のともなった喜び、喜ばし合いの繋がりそのものに日々の活力を見出そうとしている。繋がりの中の自分を生きるのだ。】

    私達の体は60兆の細胞で出来ている。ウンチの10%は腸の上皮細胞の死骸らしい。その細胞の寿命は2日で、腸全体の細胞も1ヵ月で入れ替わると言う。新しい細胞は全て外部から取り入れた食物によるだろう。昔読んだ本にあったのだが、1番表面にいる細胞と2番目いる細胞は情報のやり取りをしているらしい。「俺はもう疲れた。離れてもいいか?ウンチになるぞ」『いや、もう少し頑張れ。まだ俺は表面に行く準備ができていない。』「
    おい、まだか?」『よし、行っていいぞ』「じゃあ俺は行く、後は頼むぞ」著者の最後の言葉が強く印象に残った。【まるで、細胞達は互いに研鑽をして、その時を決めているようだ。】無論細胞達に自分という意識は無いだろうが、60兆の細胞の無私の働きによって私達は支えられており、その細胞も地球、太陽、宇宙、全てがあり、その無私の働きに支えられているのでは?その事からも全ては一つに繋がっており繋がりの支えで全ては存
    在すると言えるのではないか?人と人との繋がりにとどまらず、全ては境無く『一つ』に繋がっているのでは?
    数日前東部から車で帰る時、梨園の横で軽バンが側溝にはまっていた。4~5人で上げようとしていたが、通りがかる車が次々と停まり男手が8人位集まり、人力であっという間に車は溝を出た。そして何事も無かったかのように皆散っていった。思わず、怪我をして出血した時、血小板がさっと集まり傷口をふさぐ様を想像してしまった

    題名のない研鑽会の感想で「昨日の研鑽会はみんなのパワーを感じたなぁー」と言うのがあった。私はその研鑽会には参加していないが、最近の研鑽会は一昔前とは随分、様変わりしパワーが増したと感じている。以前なら(困ったけどどうしよう)と言う発言が最近は(困ったけど、それが楽しかった)と言う発言に変化して来たように感じている。

    研鑽とは、ひょっとしたら細胞達も絶え間なくしている呼吸のようなもので、その基は無私無辺の愛であり、そのもたらすものは調和と変化なのではないだろうか。そしてその世界は困る事も腹の立つ事も何一つ無く、真に自由で広大無辺の世界なのでは。そんな世界に私達は今大きな一歩を踏み出しているのではないだろうか。

  • 松本礼子

    へぇ、おもしろーい。
    自分はどう生きるかって言う自分の問題を、自分以外の人の生き方をちゃんと聞いてまぜまぜにするんですね。
    楽しそうだなぁ。

    • 麻野幸子(豊里実顕地)

      『ゆりかごの前から墓場のあとまで』を、今まで、仕組みとか形のことと捉えていたなぁ、と。例えば、太陽の家、学園、介護部、養護部とか。

      言わんとするところは、こころの世界のようだと思った。

      そして、今朝、礼子さんのコメントを読んでパ~っと視界が広がってきた。

      題名が未だない研鑽会を、みんなとともにやっていきたい!