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餃子チームのラストラン


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5年前に集まったこのチームは三重地区の実顕地の餃子を食べたい有志だった。豊里はミンチを、春日山はキャベツを一志はニラを用意した。毎月最終水曜日の朝に三重地区のメンバー10名以上が豊里の工場に集合した。機械全体の動きを熟知している清村さんがチームリーダー。
最初は各工程について清村さんが伝えていて、機械がトラブったら「清村さーん!」とあちこちから声が飛んでいた。そんな感じで何とか餃子ができた後、みんなで試食を兼ねて語らうのが楽しかった。


この時、炊いたご飯でおにぎりやキムチで添えた餃子は最高❣️
餃子の製造機械がトラブルなくやれたことはほとんどなく、毎回今日は順調に行くかな?と思いながらやっていた。
忘れられないのは、★皮に具を包む機械がトラブったために、各実顕地がその皮と具を持ち帰って、その夜に棒餃子なるものを作って食べた。各実顕地の対応力の早さに感動した。この餃子チームは毎月の餃子製造だけでなく、年末の美里の餅交流にも参加したし。一つの実顕地を現していたように思う。

春日山実顕地  橋口利明
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コメント

  • 村岡佳世子(豊里)

    最後の餃子の日、清村さんが「最高の舞台でした。思い切り楽しませて貰いました。」と言われていたのが印象的でした。
    大量の野菜の刻みを小さな古い機械に何度もかける手伝いに入った時、うちの食生活、新しくピンピンのスライサーを入れたばかりで、あっちで切って運んで来たら良いんじゃない?と言ったのを思い出しました。
    うちの娘達も大好物でした。
    ほんと沢山(量も)味わわせて貰いました。
    これから愛和館で餃子を食べたい時はどうしようかな…?

  • 金谷睦子

    中味のいっぱい詰まった、餃子だったのですね~美味しく頂きました❗️😋

  • 浦崎雄一   豊里実顕地

    この餃子作りに1度でも来て関わった人は実に多くいると思います。あの人もこの人も、遠く多摩からもやって来ていたなぁ。具材の発注から調達から直接間接にあれもこれもと数え上げるとどこまでも広がる。面白いな~。まるで奇跡の連続のようにも思える。最後には餃子という名の物になって、皆の口元に。色々楽しませてもらいました。最終日には多くの人が参観に来てくれていました。ず~と関わって来てくれていた犬飼さんも駆けつけてくれて最後の片づけを一緒にやってくれていました。またムンさんも顔を出してくれ見守っていました。

  • 清村 武雄

    『『2006年生まれの私は、7年前に、大里の地を離れ、こちらに移住してきました。
    解体された私を、上場さん、西山さん、清村のトリオで4ケ月ほどかけて組立てもらいました。このトリオが最後まで、私の健康診断、手術、介護をしてくれました。
    体調の良いときは、とても奇麗な出来栄えで、手を加えることもなく、「今日は暇だね!」なんて時も。でも一旦具合が悪くなると、包みを成形し直すのに大忙し。
    そんなときも、マスク越しに覗く瞳は、キラキラと笑みを讃える様が印象的でした。
    回復処置をしている時でも、”今”を受け入れ、それぞれに談笑したりして待っててくれて、、急かされる気配を感じさせず、回復に専念できました。
    また、今日は、これ以上働けませんとギブアップすることも。
    こんな時は、各Gに具材を持ち帰り、夜の食事までの短時間に、「お好み焼き」「中華風つみれ鍋」などに変身!この即応力・創造力に関心し、助けられました。
     具材準備では、野菜を、3ミリにスライスするのが、食感もよく、機械との相性もよくて、更に水抜きのための塩をまぶすまで、手をかけてもらいました。
    一志Gでは、遠藤さんを大将に、ニラ栽培に情熱を注いでくれ、更におんなの人たちが、毎回手切りで3ミリにカットしてくれてました。多いと時には20キロにも。
    などなど、実顕地食生活メンバーの、行動力・想像力発揮の場にもなっていました。
    こうして心を寄せあったものが、一個の餃子に包まれた結晶実は実に美しい!
    つくる人も、たべる人も、愉快に楽しく、満喫謳歌。穏やかな快適社会に棲むことができました。
    とても素晴らしい 《  (^^♪ いいいじゅ⇒ (^^♪ 》  になりました』』
    ~~~と”餃子の機械”がつぶやいていました!~~
    食べることが好きな、また、機械いじりが好きな私には、最高の舞台でした。
    ありがとうございました。
    追)豊里食生活では、「やっぱり餃子たべたいよね」とテーブルで各自が包んで食べることを模索しているとか。期待が膨らみます。

  • 平島春美(春日山実顕地)

    毎月の最終水曜日は餃子作り‼️
    そう思ってこの何年かやってきました。ホント楽しかったな〜
    最初は60代70代の遊び場として、そこに若手も加わっての共同作業だった。食事の時のおじさんおばさん(お爺さんお婆さん?)と若手の会話のキャッチボールが何とも楽しかったな〜
    ある時、第2次の建物に上がる坂を偶然餃子メンバーが3〜4人一緒になった時があった。みんな背中を丸めて、ヨッコラセと言った後ろ姿だったのが印象に残っている。機械がダメになるか、清村さんがギブアップするか、餃子の終わりはそうかな?と思ってましたが、終焉は案外あっさりとやってきた。「建物を壊すから今年中に」それが「次回で最後に」となりました。なかなか適期な決断だなと思った。最終回も初っ端から、「ドスン」と機械が止まりヒヤヒヤものでしたが何とか最後まで出来て良かった❗️さて、次なる私たちの遊び場は?

  • 吉田茂(豊里実顕地)

    機械修理専門のウエバさんらしきひとが、
    付き添いみたいに、みているのもおもしろい。
    こうやって作っているとは、おどろき!
    「清村さんとゆかいななかまたち」ですね。

  • 中垣光弘(春日山実顕地)

    ギョーザチームでやってみて。
    自分の役割は、いわば、流れ作業のひとつにしかすぎない。
    けれど、ギョーザの機械と、ひとが、ひとつになって、
    作り出すプロセスが、なんとも味わい深い。
    毎回おこるトラブル。
    そこに対応する人たちの補い合う、
    そのなんとも言えないおもしろさとでもいうのだろうか。
    清村さんを指揮者として、オーケストラを奏でているような感じ。
    たかが、ギョーザ、されど、ギョーザ。
    ドラマを見るみたいに、
    ワクワクする瞬間に立ち会わせてもらって、感謝。