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「犬走りは通らないもんだ!」「どうして?」


 

 最近仲良し研とか、職場の整理研で、「犬走り」のことが話題になってます。

 特に老蘇愛和館の犬走りは、通路にしてはいけないという人がいます。
「犬が歩くから犬走りで、人が歩くことは考えられない」という人も、「歩いている人を見ると、イライラして来る」という人もいました。そういえば、最近近くに遊歩道ができて、なおさら、近道になって、通り抜けになっている人が増えているようです。

 逆の考えの人もいます。「そこを通ったら雨の日など、軒が長いので、濡れないし、近道だし」「子供連れなら、安全なのに」。80代で富山から来たおばあさんは、「犬走りを歩いては行けないなんて、聞いたことがない」といっています。

 私も普段はなんとなく、歩くと、気がひけていたのですが、ゆっくり、歩いてみました。なかなか、いい小道なのです。今だったら、シャガの花や、どうだんつつじの小さな花も咲いていて、桜の若葉もきれいです。こちらから、見る愛和館もまた違った趣があります。老蘇愛和館から眺めてるだけなんて、もったいないな、なんて思ってしまいました。

 

 「犬走り」一つで、いろいろな考え方があることを知りました。特に老蘇愛和館の犬走りは、豊里の建設部の設計者後藤さんが桂離宮をモデルにしたといって、幅も1m50cm位あって車椅子も楽に通れる広いものなのです。

 そこで後藤さんにあの犬走りのことを電話で聞いてみました。すると後藤さんは、「いろいろな目的に使って欲しくて作った。眺めていてもしょうがないでしょう」とのコメントでした。そんなことを春日の人が誰も知らなかったことも、わたしにとっては驚きでした。

 生活の一コマに対する考え方を通して、探ってみることの楽しさを味わっています。

【春日山実顕地 平島春美】

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コメント

  • 柳 順(春日山)

    職場の出発研でこの文章を読んで、みんなで出し合いました。
    「岡本さんはどうして犬走りを通ってはいけないと思うの?」
    「だめとは言っていない。ただ、近道をしたがるようなものぐさな人間は、他の事においてもそういうことがでる。」
    「ふ~ん・・・」 よくわからないけれど、結局犬走りを通る人はダメな人って言っているように聞こえるナ。
    犬走りはよくても、村のお店の準備室を通り抜けるのはよくないという人もいて、夫々考えていることを出し合えたことがよかったです。
    犬走りを歩く時には岡本さんの顔が浮かぶという人もいました。                 
    その人その人の中で何か基準があるようです。
    自分からみて調和していないようにみえる行動をしている人を見た時に、それをどう受けとめていくのか・・・考えていきたいと思いました。

    実名を出したら岡本さんの機嫌が悪くなるかもしれない「どうしよー」と思いながら、今これを書いています。     
    「岡本さん、いいよね!?」

  • 後藤健(美里)

     凄く面白いテーマですね。家の使い方についての作法については、色々な地方の伝統や風習があるようなので、是非教えてもらいたいと思っています。例えば「畳の縁を踏まない」というのがありますが、昔のものは布が弱く、直ぐに摩耗するので、そうしていたようです。また、「敷居を踏まない」というのも同じ理由ですが、今でも敷居が傷んでしまっているケースは多いようです。
     陽光館を設計していた時に、エクハルトハーンさんに図面を見てもらって相談したことがあって、ハーンさんが桂離宮の例を出して、室内と庭の関係性について話をしてくれました。建物を二つに分けて中廊下で繋ぐプランや大きな庇を、その話から発展しました。また、あの時代に、身近にあった木と紙と土と僅かな鉄だけで、後世に残る芸術性の高いものを創り上げた、その創造性に感銘を受けました。桂離宮は貴族の別荘ですから、歩道はきちんとデザインされているので、軒下を歩くという事はなかったという事でしょうか・・・・
     現代を生きる私たちが、家をどう使ったら快適で、お互いに暮しやすいのか、またそのために家はどうあったらいいのか・・・・

  • 御木(六川)

    英語では CAT WALK (猫歩き?)ですね

    軒下のスペースをコンクリートや砂利などで舗装するのは、降雨の際に泥跳ね水が壁面にかからないように、壁や窓を保護する目的のようですよ

    でも、そこを人が歩くと不都合というような理由は少しもないようです