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やること・やらないこと


やること・やらないこと

やってあげたいを考えてみる

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◯年間テーマ

やること・やらないこと

○3月度テーマ

やってあげたいを考えてみる

 

 
先月のテーマ「やってあげたいを考えてみる」で研鑚会が賑わっているようです。

テーマ解説にあった白線の話で盛り上がりました。

「白線もっと濃くしてって言ったらアカンのか?おかしくないか?」という人がいて、色々出し合う中で「やってくれた事が自分の基準に達していないと、やったことにすらならない」というのが印象的だった。日常でそういう事はよくありそう。自分が正しいとかおかしいと考えていることも、それにこだわらないでフラットにニュートラルに考えていけると本人も周りも楽になるような気がしてきました。

愛和館に常備食として用意してある納豆が切れて、食べられないことが続きました。そのことを声かけられた発注担当の人はいろいろな気持ちが出てきたと話題になりました。発注をもっとたくさんするとか、切れないようにして欲しいという声も日頃から聞こえてきます。いつでも食べられることが当然で暮らしていると、あることが当たり前で、ないことがいけないことのように錯覚することがあります。あって当たり前の世界か、無くて当たり前の世界か、私の心の底に何があるかで、大きな違いが生まれてくるように感じられます。

老蘇さんがシルバーカーを押して愛和館へ行く姿を見て、雪の日やお鍋の日などは、私が運ぶから家の食堂で食べられるようにしてあげたいと思っていたが、自分で行こうとして行っているその人の邪魔だけはしないで欲しいとのこと、、、

介助が必要になった人がいて、私はお風呂を見ることになりました。はじめは不安もありましたが、一度やってみると上手くいき彼女も気持ちよさそうだし私も満足。ですが、これが当たり前となると更に要求が出てきたり、そうなると、やってあげたかった気持ちも反転し、お互いに文句が出てきたりと、やりたいこととは全く逆になっていることもあるのでは、と。自分がやりたいとか、やってあげたいだけで進めない方が良いこともあるとは考えもしていなかった。100%良い方向のことをやってると思っていたけど、それだけでは良い方向にいくとは限らないと思った。

高齢者が多くなり、研鑚会の中でも「聞こえません、もっと大きな声でお願いします」ということが増えてきました。そんな時に「補聴器を付けてみたら」との声も聞かれるようになりました。用意してあげたい気持ちからでしょうか。全てを明瞭に聞き取れることが良いことなのか、時には大きな声を出して伝えたいことがあっても良いのではないのか、、私達がこれからどう生きていきたいのか、どんなヤマギシならではの暮らしを創っていきたいのかが大切で、考えていきたいところがたくさんありそうです。まわりから補聴器を勧めないでやっていこうと研鑽が進んでいます。

 

子どもたちにとっては卒業、進級・進学の季節、私達も共に研鑽し新しい季節、春を迎えていきましょう。

実顕地研鑽部
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コメント

  • 麻野幸子(豊里実顕地)

    「100%良い方向のことをやっていると思っていたけど・・・」
    ここが心にとまって、久しぶりに村づくり研に参加した。
    養護部から洋平を豊里に受け入れて4年目になった。当初とは色々状況が変化している中、私なりに良い方向にとやってきたつもり。本人も毎日元気そうにくらしているようだし、私も楽しんでいる感じ。
    村づくり研で皆んなの話を聞きながら、これからどうしていきたいのか、ヤマギシならではの暮らしを考えるってどんなことだろう?と。受け入れ当初は何度かそんな場があったなぁ。私ひとりの100%で考えるで無しにもっと広い視点で探りたい!
    今朝、研鑽機会をと調正所に提案してみたところ。

    • 麻野幸子(豊里)

      週末に、4年前洋平を受け入れした時のメンバーとの研鑽機会を用意したもらった。今の
      様子を伝えているうちに、洋平の周りにも私のまわりにも色々な人が居てくれるんだな~
      と浮かんできた。
      親子二人だけの狭い世界になっていきそうな不安が消えた。
      そして、今日の村づくり研で、洋平の暮らしぶりを皆んなに知ってほしくなり出してみる
      と、もっと広い世界がひろがっている感じ。