大潟を出発
全国から寄った青年達による田植えは一部補植を残し、26日で完了しました。
27日は全員で史跡尾去沢鉱山の観光に行きました。この鉱山は1300年前に発見された銅山で、金も採掘されていました。当初は手堀で採掘された作業から明治に入って機械化されてきた様子が展示されていました。今は閉山されていますが、鉱山のあるところに人が集まり、それが集落となり、社会や文化が生まれてくる背景をみました。
話は前後しますが、田植えも今は10条植えで機械化されていますが、補植のときの人の姿は、絵になるように思いました。
昨夜、全員で整理研をしました。その中にいつもみんなを見守ってくれていたサダおばあちゃんにも参加してもらいました。今回の参加者は20歳から63歳までが、各自田植えを通して育ちあったことを確認しあったように思いました。
とか、みんなこの交流において仕事の厳しさと仲良しが詰まったものを感じたように思いました。
律子さんが昨日の朝から石巻の被災地へ飛んで行ったのですが、感想文を置いていったので掲載します。
大潟交流やってみて
主食の要、米作りの一端に触れられて、このお米をたくさんの人にたべてもらいたいと大いに大潟の米拡大の意欲が高まりました。
Gメンバー(特に青年達)が寄れる大潟実顕地の役割は貴重でそこをつくってくれている岩・岡田ファミリーに感謝です。他が栄えてこそと自分の職場は置いても大潟へ送り出してくれた全国のGメンバーにも感謝です。
大事な田植え交流整理研に出られず申し訳ないですが、被災地石巻へ行く話しがきてから、もう心は被災地に向けて走り出してしまいました。復興といっても元の姿にもどすというより、新たな社会づくりをと共にやっていきたいというヤマギシ会の意志をどんな形で伝えていけるか楽しみです。鳴子で又合流できるのも超楽しみです。では、一足先に行ってきます。
今朝からは交流メンバーの6人が三重方面へ、又、後の4人は明日被災地へ次の行動に各々やりたいところへ出発していきます。
僕は今回3ヶ月の交流予定で2ヶ月間やってみては、むらの食糧基地の米づくりは、大潟実顕地がやるのではなく、全国のタダの心の顕れが実働できる場なんだなあと実感しました。そう考えれば、全国の実顕地も同じように、みんなで見合っていくものなんだなあと思いました。
コメント
大潟田植え、石巻被災地復興支援
そして今それを送り出している実顕地での毎日。
それがすべて繋がって活かされて、練りあわされて次の新しい社会づくりのための、
ヤマギシの村づくりになっていくと思いました。
律ちゃ~ん、早く帰って来て~、
とは言いません。
十二分にやってきてください。
こっちも、だいぶすすんでるよ!