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おいしい玄米が出したかっただけだったのに…


そこから、感じたものは大きかった!(酵素玄米をめぐって)

 

 春日山の愛和館では今カウンターに昼食と夕食あわせて、2升弱くらいの玄米が用意されています。30人弱位の人が食べているでしょうか?

 私も玄米を食べるようになって、3~4年がたちます。いろいろな時期があって、今おいしいなーと思って食べています。(もちろん日によってちがうのですが)

 木の花ファミリーに8日間行く機会があって、酵素玄米に出会いました。いつも食べている玄米より美味しいなと思ったし、一緒に行った三原さんが美味しいと言って食べ続けているのを見て、愛和館に用意したいなと思ったのです。

 帰ってきてからそのことを食生活に出したところ、

「春美ちゃんが出したいから出すと言うのではないでしょう」

「愛和館として出すからにはみんなの一致がいる」

「春日山の愛和館で、出すという影響も大きい」

「どうやら、酵素玄米は玄米に比べて、手間ヒマもかかりそうだし、道具を揃えるのに、お金もかかる」

「春美ちゃんがいないときでも誰でもできるようにしておくつもりがないとスタートできないのではないかなー」

等々、出て一致点がでません。そもそも、酵素玄米とはなんたるか?を説明してほしい。

 「そりゃーそうだ」そういう場面になるとやっぱり健康にいいし、食べやすいので、持続するとか、できるだけ精製されていない炭水化物がいいとか、せっかく我が家の美味しい玄米があるのにー!とかの話になっていく。そんな話になっていくと盛り上がるというより、私はお応戦している感じになるし、その場の空気が段々重苦しくなっていく。私の気持ちも段々云いたいことと離れていく感じで、めげてきました。

 途中で気がついたの。私の強引さとか、ことの進め方(一人で考えて進めてしまう)に反発しているんじゃないか?って。

 ひとりひとりのなかの、「こういうのがいい」という壁は厚いなーとも思ったの。こういう時って、相手の物の言い方とか、雰囲気にとっても敏感になっている自分、相手の反発に反応して、シャットアウトしている自分 もうもう、めげてしまいました。酵素玄米については 「そりゃーいいね、やろうよ」とならなかったので検討中。今はいままでどうりの玄米です。

 検討中なので、何回か話が出ます。小豆のきらいな玄米党がいるとか、今で充分、これ以上煩雑にしないでとか、もっと日常の充実をしたいとか。なんだかだんだん窮屈になっていくとも出ました。

 きょうの整理研では『ひとりひとりのなかの壁』ってなに?という話になって、「春美ちゃんの中に壁というより固い砲丸のようなものを感じる、ほんとはそこに踏み込みたいのに踏み込めない」と弘ちゃんが言ってくれました。一生懸命伝えてくれる弘ちゃんが有難いなー

 それなのになぜかわたしの心はキュっと頑なになってしまうの。

【春日山実顕地 平島春美】
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コメント

  • 石角 真由(鳴子)

    こういうところに書くと整然としすぎちゃって、実際の出来事とは違う感じもするのかな、と思いますが・・・。
    面白い記事だなぁ、と思いました。

    正直、読んで1番最初に思ったことは「また木の花かぁ」なんですけどね・・・

    なんせ、あまり自分に関係のない場面での出来事なので、いろんな角度から考えられちゃう(笑)
    思ったままをそのまま書きます。

    ・春美さんの酵素玄米を出したいという気持ち
    ・他の何人かのやれない理由

    あと、何があったら「やろう」とか「やらないでおこう」ってなるのかなぁ、と思った。

    こういう、やるとかやらないとか、「線」を出してやっていく、という方式は大きな実顕地ならではな感じもした。

    実際愛和館で酵素玄米を食べてみて、という視点からの意見がないので考える要素の中の何かが欠けているような。

    郁恵さんのコメントで
    「いくら話し合ってもまずその場にいるみんなの心が一つになってないと研鑽にはならないよねと言っていたのが印象的でした。自分も一つになってなかったし自分目線から考えてたな~とか思ったり。」

    というところの、心が一つ、というのはどういう感じなのかな?
    私はこの記事に書かれているやりとりは同じ「酵素玄米」で話をしているけど、同じ事を考えているようには見えなかった。話がかみ合ってない。そこの部分の事なのかな?

    もうひとつ、郁恵さんのコメントで
    「その人の持ち味とかその人から発せられるものが活かされて成り立って行ったらいいのにな~と思ってる」
    というところでは、本当に、ほんとうにそういう風にやっていけたらいいなぁ、と思うし、本当ならそうやって成り立っていけるんじゃないか、と思ってる。
    でも、今成り立ってない感じなんだよなぁ。それぞれがやりたい事を結構やってるんだけど。

    今、私、キャンプ道具欲しいんだよね。
    テントとかタープとかもろもろ買いたいんだ!と出してこられてもさ、出された方としてはそうか、買いたいのか、って感じじゃん?せいぜい、商品の選定を一緒にやれるくらい?
    それが、この夏家族でキャンプに行きたいんだよね~、で、キャンプ道具をそろえたいと思っているんだけどさぁ、って出されたとしたら、どうかな?
    三男小さいし、今年はテント買わないでデイキャンプで練習したら?とか、泊りはバンガローの方が楽なんじゃない?とか・・・??

    前者の集団では成り立っていかないと思います。
    後者だったら、出す方も出された方も楽かなぁ。成り立っていきそうな気も。
    (分かりにくい例ですみません・・・)

    あと、「いろんな人がいて、いろんなことをやって成り立っていく」という言葉は
    「状態」を表す言葉で
    目標や、言い訳に使うと全然違う意味になっちゃうと思った。

  • 石角聡(鳴子)

    その人がやりたい事がそのままやれたらいいよね

    って、言葉で言うのは簡単なんだけど、やりたいことはそれぞれで違うし、特に食べ物とか各自の嗜好が出てくることなんかはどう一致していくんだろう…。

    鳴子では、それぞれのやりたい事があまりにも違いすぎるっ!ていうことがありまして、とりあえず放置してます。

    酵素玄米のことは、元康さんや郁恵ちゃんが書いていたように、まずやってみるってものありかなあと思いました。
    状況をよく分かってない自分が言うのもなんですが…。

    ちなみに鳴子は10年近く続けてきた「金庫から一人ひとりが考えて直接お金を出して使う」というやり方を、全員で話合った上で、6月からやめました。
    ここ数年、お金のことは時々テーマになってて、そろそろお金の出し方を見直そうという話はあったんですが、なかなかみんなで話すとこまで踏み込めないでいました。
    やってみてどうなるかは分かりませんが、みんなでお金のことを話すきっかけにはなりました。

  • 佐藤元泰(春日山)

    人物と条理を切り離す
    やりたかったのは、酵素玄米を食べることなのか、そのことにかかわる人とひとのこころがつながることなのか
    研鑽の機会をもたらしてくれた、「酵素玄米」。しばらく結論を出さずにテーマとしてお釜の中であたためておく

    そう言えば、陽光館のネーミングも1年かかった

    ○○ってどうなんだろう、△△からみたらどうかな、って声が出た時、
    その時「やろう!」ってならなかった時
    その投げかけが、何か明確にことを言い表していなくて、どこについて言いたいのかはっきりしない時、
    「まぁ、そう言う声もあるから、今はやめておこか」となった時

    少なくとも明確に「今やらない」要因がわからない時は、やってみる、
    少なくとも「今はやめておこう」と明確に表明する人がいない時、やってみる

    失敗と見えても、それを潔く受け止める、ということで肥やしになっていく

    最近、酵素玄米いただいていますが、早く愛和館の酵素玄米をいただきたいです。

  • 松本礼子(多摩実顕地)

    春美さんのお気持ち、何となくわかるような・・・。

    春美さんは、おいしい玄米ご飯を出したかっただけ、と思っている。
    文字で読むとそれだけなんだけど、
    日頃のその人を知っていたり、言葉に音がついて抑揚があったりすると
    なかなか、そのままって言うわけにはいかなくなるのですね。

    おいしいものを食べさせてもらえるのなら、「うん、それはいい!!」って事に
    ならないかなあ。やっぱりケーキの場合とは違うのでしょうか?

    愛和館で出すもの、だとか食生活という職場でのことだから、とか
    条件が絡んでくると、
    心底にほわっとわいてくる気持ちって言うのにもベールが罹ってしまうのかな?

    自動解任って、おもしろいです。

  • 岡本郁恵(春日山)

    初め酵素玄米の話しを聞いた時はぜひやってほしい!と思いました。
    いろんな研鑽会で話題になったけどすんなり進まないし、いろんな考え方があるんだなと思ったけど、なんだか保守的で固く感じたし、健康にいいのだったらまずやってみてもいいじゃんて思ってました。
    その後の研鑽会でも平行線で、ある日の食の整理研で、いくら話し合ってもまずその場にいるみんなの心が一つになってないと研鑽にはならないよねと言っていたのが印象的でした。
    自分も一つになってなかったし自分目線から考えてたな~とか思ったり。
    私はその人の持ち味とかその人から発せられるものが活かされて成り立って行ったらいいのにな~と思ってるのだけど、食の研鑽会で、前にいた実顕地はみんなが自分のやりたい事をやってたら実顕地が成り立たなくなったと出してる人がいて、自分個人のやりたいことをやるのと一体の方向へ向かって行こうとする中で自分のやりたいことをやるのは違ってくるよねという話しをしたり。
    この酵素玄米の話題はけっこういろんな事につながって行く面白いテーマだなと思ってます。
    他の実顕地の人がどう感じるのかも聞いてみたいです。

    • 麻野幸子(豊里)

      春美ちゃんは、酵素玄米を出すかどうかを考えていく時の自分に、眼が向いているなあと思って読んでいました。

      郁恵ちゃんのコメントを読んで、いろんな事につながっていく面白いテーマだなあと思います。どこをテーマにするかってありますよね。

      食生活から見たらとか、実顕地運営の観点とか、全体と個とか、あるのかなあ。自分はどこをテーマにするにしても研鑽態度に行きつくなあと思います。

  • 柳 順(春日山)

    初めて読んだ時、「春美ちゃん、よく投稿したね^-^」という気持ちと、 「なんか読みやすくまとまっているけれど、こんな感じだったっけ?」という思い とがありました。
    私は食生活部のメンバーではないけれど、愛和館推進研の中で聞く内容はちょっと違う感じでした..

    春美ちゃんは、健康に良いしおいしいと言っているけれど、他の人からみての良いものは違ったりするよね。
    そして同じ酵素玄米のことでも、健康に良いとかおいしいということ以外の見方 もあって、実顕地では(健康に良いとか)そういうことだけではないところで生活しているのではないかという声もありました。

    壁を感じるとかめげると言っているけれども、先日の資料研で「同じ土俵」と「 異う土俵」というのがあったよね。
    「同じ土俵」にのって研鑽して、一致していく楽しさを一緒にあじわっていきた いね。

    • 麻野幸子(豊里)

      「同じ土俵」と「異う土俵」との違いはどこか?

       考えはいろいろあって当たり前。自分の考えが正しいとして上がる土俵と、正しいかもしれないとして上がる土俵の違いかなと思っています。

      「同じ土俵」は後の方。 やっぱり、土俵に上がる前、話し合う前かなあ。

      • 麻野幸子(豊里)

         春美ちゃんは「食」に関しては自信あるだろうからなあ、とさっきまでは他人事。

        うーん、自分も専門の建築については自信がある。

        一緒にやっている人には「そんなことも知らないの、1級建築士なのに。」とよく言われるのだが、15の年から建築をやってきたというプライドはなかなかの筋金入り。

        近頃、仕事の中で、相手に対して「素人のくせに」と出てくる自分の思いに、うざいなあと重たくなっていた。そのもとが見えてきた。

        去年の研鑽学校Ⅱでの、自分の経験したことが事実ではないというのが浮んだ。

        全集7巻「玄人になったらあかん・・・」 死ぬまで素人ばかりで、玄人にならないよう心がけましょう。