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実顕地用養鶏法研鑽会【6/27】


 

 26日夕方、元気に養鶏法のメンバーが鳴子実顕地から豊里実顕地へ移ってきました。
 どの人も、開口一番は「豊里は暑い!」でした。

 6日目の今日から夫々の職場へ。
 配置決めは「私はどこへ行ったらいいですか?」と出して、まわりで「貴方はここへ」と決まったそうです。

 一番に決まったのは杉本幸三さんの『太陽の家』で、肉牛は石川さんが「人気の職場」と豪語したからか、女性陣4~5人が手を挙げ激戦だったそうです。

 市川さんはみんなから「介護がいいのでは」と言ってもらい決まったのですが、もう一人女性に3人候補があり、またみんなから「市川さんの好みで選んでいいよ」となり、最終的にはどうやって決まったのかな?

 4日目に中間研を兼ねて鳴子で交流研をした時、
「鳴子に受け入れてもらった」
「鳴子実顕地で用意してもらって」
「鳴子の人が近くなった」
と立て続けに出てきたそうです。

 生原さんは「被災地で炊き出しや泥だし、現地の人と話をしたりなど動いてきたことで、自分以外のものや社会の中の自分を意識するというのが言葉になって出てきたのかな」と話していました。

【豊里実顕地 喜田栄子】
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コメント

  • 麻野幸子(豊里)

    養鶏法の受け入れをしながら、他の実顕地のことでなく、建設部のことだなあって思えてきた。無現象をそのままにして、いくら形を整えても・・・。

    現状は、次々と仕事や懸案事項があって、形を整える?すらやれてんのかな?って感じ。いつもなら、どこから手つけるんだあとパニックになる私。

    が、本当に成り立つものならば成り立つ道筋があるはず。無現象界が元だと指してある。ならば、そこをやってみよう。

  • 麻野幸子(豊里)

    夕べは「無現象をそのままにしておいて、いくら形(現象界)を整えても。」を研鑽したそうです。考えやすいテーマも浮んできて、深まった様子を聞かせて
    もらいました。

    連絡研では、養鶏法の人が、「実顕地の産業面とか現象面を見やすいけど、実顕地をつくるもとの心が思えてきた。」と出していたと聞いた。

    養鶏法研鑽会は、豊里実顕地の一つの職場という観方でみると、研鑽を専門にすすめている部門と見えてきました。

     無現象をそのまま?ってどういうことだ。じゃあ、どうあったらいいのかな、と自分事として考えてみよう。

  • 麻野幸子(豊里)

    今日から建設部に福田さんと久保田さんが来ています。穐本さんが大学部の解体現場で受け入れ、うどん工場に使うサッシを美化しています。

    受け入れ研で。養鶏書の「消極的損失」を研鑽して、初めての職場でも受け入れてもらう的でなく、受け入れてくれるひとを自分が受け入れていくような積極

    的な姿勢でやりたい、みたいに出していた。私はそっか~と納得。

    で、社員さんに仕事を伝えるのに前手の準備を確実にしておこうと動いた。材料の場所とか、作業に行く先の都合を再確認。次々と今やることが浮んできた。

    先に考え方があって動いている感覚があった。