ヤマギシのむらnet

損か得か(ヤマギシの村では?)


先日の六川からの投稿にあった、生活と産業どっちで持つかという話や、春日のテーマを読んだりして思った自分の実例です。

職場同士とか実顕地同士とかでも、どっちが得するかって結構真剣なやりとりをしている時があったりします。
僕は、自分の住んでいる、あるいは仕事している場所にものすごく感情移入するので、よくそうなります。

榛名、船南、内部川の有精卵は、その3実顕地の中で供給量がうまく回るように考えているのだと最近知りました。
先週くらいから、榛名・船南の卵が予定よりも少なく、その分を内部川で補っているという状況でした。

内部川養鶏は、全国の中では一番規模が大きく、配送センターのある三重県地区にあります。自然とバックアップ的な役割を担うようになり、その為にいつも多少の余剰卵を抱えておく生産計画にしてあるそうです。

なるほど大事な役割だなと思うし、少人数の実顕地はただでさえギリギリでやっているんだろうから、何かあった時に対応するほどの余力はないだろうなとも思います。
その事が、内部川の経営の打ち合わせの時に話題になりました。

色んな話は出ましたが最後は、
「内部川がこういう役割をしてるってこと、意外とみんな知らないんだよな」という話になりました。
そして、
「もうちょっと内部川のそういう部分も、知ってほしい」
「バックアップのために余剰卵を抱えているのに、内部川は無駄な卵をつくってるとか言われる。かなわんな」

そんな話も出ました。
要するに「内部川は損な役回りをしている」という雰囲気で、僕もそう思ったということです。

でも、そうやって損か得かといった思いを抱えた自分は、果たして3実顕地をどんな関係にしていきたいんだろうかと、考えました。

自分の住んでいる環境をもっとよくしたい、我が家を儲けさせたい、という気持ちはごく自然なものだと今でも思っているので、要はそのことと、他の人達が良くなっていくということが両立するかどうかということなのかな。

経営を観る立場にいると、他実顕地との物・お金のやりとりをする場合にもシビアなことを要求したりされたりします。
それが「仕事をやっていくうえでの厳しさ」なのか「自分とこの経営体が儲かるために、損しないために」が優先してのことなのかは、自分自身でもよく分からない部分がありました。
「どの実顕地が儲かっても損しても、金の出所は一つなんだから一緒じゃーん」と考えても、頭だけのウソっぱちなので、心は納得していません。

そんな考えを経て今思うのは、
「自分にはちょっと愛が足りない」
ということです。
愛をもらい足りないということじゃなく、周囲にあげるのをケチっているという感じですか。
もっと言うと、あげる相手を選んでる。
でも「この人にはあげたくないなあ」という人にでも、積極的に近付いて行くとなにか暖かいものが湧いてきたりします。でも頭で色々考えてもそうならない。行動あるのみ。
そう思って、この卵のこと、色んなとこで話したりして、こうやってネットにも上げたりしてます。

ちょうど榛名の杉崎君、船南の水田さんの話を聞く機会にも恵まれて、最近はこの状況を楽しんでいます。

中川さんが書いていたように、対意識では解決しないっていうのはすごく思いました。
恥ずかしい話ですが、「自分の方が優れている」って、人に対して結構思ってるんですよね。いやーそんな訳ないわーって、ヤマギシ来てさんざん思い知ったはずなんですが…。

内部川実顕地 養鶏部 石角聡さん

内部川実顕地 養鶏部 石角聡さん

【内部川実顕地 石角聡】
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コメント

  • 津嘉山誠 東京 

    石角さんの写真いいっすね〜 ポスターにしてほしいと思った。広告の仕事をしているジブンとしては コピーは 万金積んでも買えない卵 小さく この卵は金儲け目あてにつくったものでなく、わたしも、あなたも幸福になるために産まれた、心のこもった、金銭で買えない愛の卵であり、万金積んでも心は購えない。混濁世界をヒックリ返す卵です。と、、小さく小さく下のほうにかいてあるポスター。 ジブンも会社の取締役や代表をしていて 経営のことも少し考えますが やっぱり年中思い起こすのは、 またか、、と戻るのは、 ややもすると、この目先のいろいろのものに拘泥して、案外この方向が違っていって、手段を目的のようにこう取り違えるのが、殆どの現在の、現在までの世界の人たちの、どうにもそういう社会が出来なかった原因だと思う。ということばです。ちょっともその目的の方へ行っていない、、。昨日 石角さんの手の中の卵が届いて おいしくいただきました。食べてから 青本の 一卵革命の弁を読んでました。ジブンも 本当に儲けてるかな なに儲かりたいのかな  

  • 赤松啓子(豊里)

    「自分の方が優れている」の文章に反応しました。

     私は細々と韓国語の勉強を続けています。
    だいぶ前の話ですが、石角聡さんが韓国語を喋っているのを聞いた時の事でした。
    それは、ちょっと衝撃に近い感じで…。

    「こんなに上手な発音で、韓国語を話すんだ~!」と。

     韓国在住の人も含めて、日本人でこんなに綺麗な発音が出来る人は、私にとって
    石角さんが初めてでした。

     だから「優れている」について、客観的にも優れているのだと思います。
    私は、石角さんの韓国語という、その一部分しか知りませんけど。
     きっと、テーマはその後のことなのかな~とも思いますが…。

    • 石角 聡 (内部川実顕地)

      ありがとうございます。

      自分が優れているでもなく、劣っているでもなく、韓国語がしゃべれることで色んな人に会えたりして楽しい!…くらいがちょうどいいスタンスなのかも知れないですね。

  • 沖永雅子(豊里実顕地)

    お金や経営の話じゃないんですが、

    今日、研鑽学校Ⅱを出発してきた人の受入れ研がありました。
    今回の参加者の発言で「そのままの自分でいいと思えて、すごく楽になった」
    というのがありました。

    「それは向上しなくてもいいという意味ではなくて、
    自分がなんでも出来なくちゃいけないと思っていた所から、
    あの人には、私にはないこういう持ち味がある、
    この人には、私にはないこういう持ち味がある、
    そして私は私の出来ることを足す、そういうお互い。
    そのままの自分でいたらいいんだと思った」と。

    私自身も何かのきっかけで、ふとそう気づいたことがあって、
    それからは、何をするにもとても楽だし、
    むしろ思い切りやれるようになった気がします。
    投げやりでもなく、依存でもなく、独りよがりでもなく、独占的でもなく・・・

    石角さんの投稿を読んで思ったことです。