ヤマギシのむらnet

ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点【書籍】


「ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点」 村岡 到さん著

「ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点」
村岡 到さん著

村岡到さんの著作「ユートピアの模索―ヤマギシ会の到達点」が発行されました。
店頭に並ぶのはもう少し先になるとのことですが、全国の書店にて注文・購入することができます。

【実顕地広報部】

ユートピアの模索――ヤマギシ会の到達点

村岡 到  ロゴス 2013.3.15刊行

ISBN978-4-904350-27-0 C0030

46判230頁 1800円+税

村岡さんからのメッセージ

 私は昨年四月まではヤマギシ会についてほとんど知らなかった。ところが、実際に実顕地を何度も訪ねて、ビックリした。そこでは、現在の資本主義日本では考えられない生活を実現していることを知ったからである。

・お金のためではない働き方を実現
・お金を使わない〈無所有〉の生活
・農業を土台とした共同生活を実現
・子どもの創造性を生む〈学育〉
・高齢者の生活・医療を完全に保障

 この五つの特徴を上げることができる。どれも大変な課題である。労働の動機をいかに創造していくかは、ロシア革命いらいの難問であり、〈無所有〉の思想こそ、物欲や領土問題で壁にぶつかっている現実を突破するカギである。農業の重視も自然破壊の進行を止める核心である。ヤマギシ会は現在、日本の農事組合法人のトップに立っている。老蘇さんの笑顔は、高齢化社会の模範的な生き方を示しているし、〈学育〉は教育荒廃を改める筋道である。

 「われ、ひとと共に繁栄せん」を旗印にした山岸巳代蔵の独創的営為は、創始いらい六〇年の今日、改めて注目に値いする、ユートピアの先駆的実践例をなしている。それは、一九世紀の社会主義者ウィリアム・モリスのユートピアにも通底している。一五〇〇人もの人たちが、二六の実顕地を創り、海外六カ国にも拡がっていることは驚異とすら言える。

 ヤマギシ会に関連する研究書を読んでいたら「深海に棲む魚は、おそらく最後まで水というものに気づかないだろう」という卓抜な比喩が引用されていた。そこで生活している人たちにとっては当たり前のことなので、その意味や意義に気づきにくいが、実はきわめて大きく貴重な経験を、ヤマギシ会は積み重ねている。

 私は、一九六〇年の安保闘争いらい社会主義をめざして活動してきたが、ヤマギシ会が実現している生活は、ユートピアの稀有な実践例だと言える。だから、私はヤマギシ会の理念と実態について明らかにしなければならないと考えた。そして、私は〈友愛〉がきわめて大切な理念であることを教えられた。

ロゴス制作チラシ

ロゴス制作チラシ


コメントがあります( 表示する | 表示しない

コメント

  • 春日山実顕地 杉 豊

    「ユートピアの模索」を読んでみてⅡ―3‏‏    2013/05/12

    ③の問題: 村岡さんの表現よれば 成長が招いた逆風を乗り越えつつあるが、どのように対応してるのかと質問を呈している。
    これに対して私は、村岡さん応えるべく、実顕地に身を置く立場から問題点を次のように再定義した。すなわち『③現時点でマスコミによるパッシング・大量脱退者と裁判・鈴鹿グループに象徴される内部分裂問題・これらの諸問題を、いま乗り越えつつあるように見えるが、どう対応してるのか、と質問を発している。』
    この再定義に沿って応えてみたいもちろん一人の実顕地メンバーとして、また一人の私案としてである。 第一に言えることは、今は相異する、意見をことさらに強調するメンバーは、いまの実顕地には、居ないと言うこと、だから 徐々に静かに、楽しみながら、欠落部分を補充し補修する部分を補修しているといえる。しかしこの問題は根が深いと考える。これは、成長がまねいた逆風でなく、成長した土台部分が内包した諸要素が現象化した と言える。 それは成長が始まる時から、成長している時でも、あった問題だと、考える。それは、相互に異なる意見を真に研鑽によって、相互に理解納得して溶け合い、わだかまりを、取り除き真に意見が異なっても、互いに尊重し、他を犯さないことを成し得なかったからではないかと、考えられる。 成長期が始まるときにも、多数の意見とは、違う少数の意見があり、この相異する意見を理解し尊重する気風までには、成っていなかったようだ。 では現状をどう観るかが問われる。 私が目につく、現象を、捉えつつ分析してみたい。したがって、現れた現象の順番が相い前後するかもしれない。
    (a) むらネットこれは、実顕地メンバー以外でも見てコメントできる点がいいと、想う。実顕地の現状や実状を実顕地やヤマギシズムに関心ある人たちに公開されている。 そのことが、実顕地内に、新鮮な風を送り、停滞や淀みを、解消する可能性がある。ネットの編集方針が、幅広く情報や意見を集め、掲載しようとするので、話題が豊富で量的に全記事を読むのが、できない日もある。今や 紙の時代ではなく、インターネットの時代といえる。ただ次の段階として、限定読者による理念やヤマギシズムの探求専門のサイトの開設をのぞみたい。
    (b) 春日50年史 豊里40年史をそれぞれ、通史として読んでみて、大きな節目を、迎えるときなどに、まことに、理路整然と、その段階での必要な各要素に目を配りながら、課題やテーマを打ち出しながらも、一人残らず、その課題やテーマを、実践したか、どうかとと問うて見ると、私の回答は、そうでは、ないと答えざる、得ない。 課題やテーマを読み解いても、実践段階に、進まない人、だがその人は課題やテーマを無視するわけでないが、理解すらしない人がいる、という事実と言うか、実際と言うか、そのような現象が、発生してると言う問題が存在してる。 この問題を、仕方ないものとか、その人の問題としないで、それこそある運動や企画をやり終えて、運動や企画を、振り返るとき、その立場からの、振り返りも、貴重な視点として、活用したいと、考えます。 とくに、運動や企画が成功したとき、知らず知らずに自らを、天狗に仕立て上げてしまわないように、自分と向き合い、自分を、見直す視点として大事にしたい。 村岡さんが成功したと、言われた時代に、私たちは愚かにも、天狗になってしまったのではないのか、山岸さんの、「観客の拍手喝采にも、不評にも、惑わされない」との戒めの言葉を、知りながらも、その精神や態度を受け入れていない、この肝心要を、腹に落とし切れてない現実に震撼すら私は感じる。 これらの視点を欠くか、軽視してる限り、本質的な姿勢や態度を創らないまま、まるで耐震対策のない、建物を建てる危険性があると感じている。
    (c) 現状の実顕地には、新たにどのようにでも、表せる材料が、散乱しているといえる。 日常的には、これらの材料が、すぐ使えるように、整理・整頓し、あとはどう現すのが最適か、を探り試しを、やっておく。状況を観ながら、新しい構想を考える、研鑽会を開く機会を創るなり、手立てを考えておく。 それらの、前提として立ちゆかなくなった、実顕地に対して丁寧に対応し、次なる構想に、活かせるよう取り組むこと。 以上が私の現状認識と対応策です。 「ユートピアの模索」を読んでみての感想をこれで完了します。

  • 春日山実顕地 杉 豊

    「ユートピアの模索」を読んでみてⅡ―2‏

    ②杉本利治さんの評価について。
    88年に参画した私は、杉本さんが亡くなって、はじめて、その存在と名前を知りました。 側近メンバーだた小野口さんが立て続きに亡くなったので、杉本グループと言われるグループが存在するらしい。 杉本さんの全集に掲載された、文章からは、柔軟なリアリストの姿が浮かびます。また目立たないが、実力のある人だと想像しています。 そんな杉本さんを中心に、たとへ緩やかなグループだとしても、実顕地にとって重要な問題に重大な役割を果たしたようだから、それはもはやグループでなく、杉本体制と名付けものに転化せざるを得ない状況をも生み出したといえるだろうと推測します。 杉本さんが、謙虚であればある程、院政めいた、ものに成ってしまい実顕地メンバー全体からみると、ものごとの最終研鑽が不明瞭になり、預かり知らぬところから、研鑽結果が、伝わってくる実状になってしまう。このことが、研鑽嫌いや研鑽不信を生み出し、片一方で本質を探らないで、現場対応でことたれりの風潮を生み出してしまった。 このような状態を放置する訳にはいかないから、必然的に、統制機能のスイッチをONせざるを、えないことになる。 それは、各種世話係に、管理者的傾向・統制者的傾向を発生させ、その機能を強める力学が働くようなり、研鑽運営から、遠ざかる印象を私は感じた。これらのことが、当時は分からなかったが「ヤマギシを考えるネットワーク」や後の脱退者による裁判などの、根本問題なのではないだろうか? これらの問題の根本解決は、各自の自律的研鑽生活の探求が解決の道筋を切り開いていくと考えます。 村岡さんは、杉本さんの功罪をけして、杉本さんの個人に収れんさせては、ならないと貴重な指摘をしてくださった。 その線に沿って、杉本体制が果たした成果を上げるならば、まず生産物の供給を軌道にのせ、特講受講者・参画者を飛躍的に増やした。 研鑽学校の課程を体系化を一定程度整備した。 食生活・風呂生活(職場時間から生活時間の転換の場と位置づけた) 衣生活は、たんなるおしゃれでなく、ふさわしさを身に付ける場とした。 つまり暮らしの場面のイズム化にある程度成功したといえる。 また大きな観点から見ると実顕地造りに理念先行型と経営先行型と言う路線の異なる方針の違いがあたようだ。 それは、山岸さんが亡くなり、柔和子さんたちが、分かれたあと、これまた詳しい、正確な情報がない中で、言わざるをえないかが、言わしてもらえば、64年か65年ころ、参画者の受け入れ窓口が、試験場窓口と実顕地調正機関(二つとも名称は定かでない)があって、豊里実顕地ができる時期に、その二っが一つになる動きがあり、ある確執を伴いながら事態は進行したようである。それは、杉本さんよりちょつとした年上の人たちから、実顕地運営の主導権を杉本さん達に移すことになった。主導権を失った人たちは、静かに実顕地に留まるか、もしくは、実顕地を去るかの対応になったようだ。 このような流れに対し、事があら立たないよう、杉本さんは、配慮ある、行為・行動に徹したようだ。これらの過程が発展期の前史になった。 したがって、杉本さんの発展期評価と言うと、この前史過程と山岸さん存命中の活動・役割などを加えないと、全面的正確な評価を下せないと考えます。 そうは言って、手を拱(こまね)いて、いられないので、私の試案を公表し、関心ある人との意見交換をしたいと考えます。

  • 春日山実顕地 杉 豊

    「ユートピアの模索」を読んでみてⅡ―1‏

    次に村岡さんが疑問と考えてるのは①実顕地メンバーが、山岸さんをどうとらえてるのか②覚如にたとえられる杉本利治さんをどう評価してるのか③現時点でマスコミによるパッシング・大量脱退者と裁判・鈴鹿グループに象徴される内部分裂問題・これらの諸問題を、いま乗り越えつつあるように見えるが、どう対応してるのか、と質問を発している。
    ①山岸さんを、どうとらえてるか。: 先に手短に私の考えを述べた。
    ここでは、私が知り得たかぎりの山岸さん像を述べてみたい。
    (a) 山岸さんと実験場
     細かな経緯は分からないが、百万羽科学養鶏のかけ声で参集した人々が実験場として、春日の地で鶏舎や宿舎を立て、養鶏経営と集団生活を始めていた。
    たぶん、鶏舎建築・宿舎建設の報告者から経過を聴きながら、重要ポイントだけを、コメントか提案として、出しただろう。 そのときの山岸さんは、情理が一体の話しぶりで、重要であれば、あればこそ、一見は分かりにくい、不親切な態度や言い回しで、表現しただろうと推察します。したがって、ある報告者や問題点を聴きに来た人が、あとあと考えてみると、すごくいいアドバイスだっと、気づかされる意味深長な言い回し、態度であっただろう。 しかも、報告者・質問者の人間性を考慮したものだっただろう。 たから時によったら同じ問題なのに、真逆の応えが出されただろう。 このような、山岸さん、の言い回しや態度を表面的に引き継ぐ人が多かっただろう。そのことが、山岸さんを神話化したりして、山岸さん亡き後、参画した人に誤ったイメイジ与え続けた節がある、と想う。 だから、私はつい、山岸さんの人間性を知りたがって、幻想と実像が入り交じった話を、興味本位に聞かないように注意している。 それよりも、身じかな、仲良し夫婦から一体夫婦のへの取り組みを、取り組むことで、山岸さんに出会えたらいいと、想っている。
    (b) 山岸さんと福里柔和子さんの問題
    柔和子さんについては、パンフレットと一冊の本しか読んでない、死ぬ間際の最後の本です。 後は、全集と2~3冊の山岸さんと共に活動した人達の本。 これらを資料として、私が、考察したものを、述べてみたい。 柔和子さんに出会った、山岸さんは、一番探していた女の人をやっと探し出したと、想っただろう。 探してた、女の人の条件とは、無我執の男女の愛のを、顕現できる素質を持っている、そして、人生の修羅場を体験している人、それなりに美人である人。 まさに、柔和子さんは、ぴったりの人。 ただ人名鑑定からみたら、本名がカタカナで、字数が少ないのは、人間として、器が小さいことが足枷になるのでわざわざカタカナを漢字に直し、子の一字を足して、行動力を増し、無我執の愛の実践者・顕現者に成れるよう運命の転換・新たな創造的人生と成るための、改名をほどこした。 問題は、無我執の男女の愛を解明し体得して、体現することだった。 現状の男女の交際は、別々に育ち成長し、出会い、惹かれ合い、結婚に至り、結婚生活が二人を、離れさせるエネルギーを産みだし、それぞれが内面的葛藤を体験し、外面的にぶっかりあったりする。 これを、根本的に解決して、愛の機能が、発揮され互いを活かし合う関係、総てを分かち合う関係 あらゆるものと活かし活かされる関係 本来 人は、そのような機能を兼ね備え発揮できるものなのに、現実は本来ある無我執の愛が実現しない状態が続いている。 山岸さんが亡くなる岡山ゆきの、直前に二人は無我執の愛を体得した状態だったようだ。 ただ周囲の人にも、山岸さんと、柔和子さんが愛情問題をめぐって、取り組んでいると、とは聞いても、たとえ取り組みの内容を聞いても、受け取り難い状態だろう。 ただ二人が、激しく・厳しく、真剣に取り組んでることは、分かったろうが、真の結婚に取り組む人だけが、二人の取り組みの内容が理解可能だろう。 真の結婚の取り組みの条件が揃った人から始められる環境は、今の実顕地には、あるといえる。 これこそ、先人達からの、無我執・無所有の贈りものだと想う。 私の場合「わたしの本意・真意を妻のこころ元に伝える」から始めて、います。

  • 村岡到(東京)

    「ユートピアの模索」の読者ハガキを本人の了解を得て転載します。

    兵庫県 O・J 保育士 51歳
    村岡さんが公平中立にヤマギシをとらえようとされていることを感じました。
    私は子ども時代からキブツや実篤の村に憧れていたので、ヤマギシを知ってとても驚いたし、すごいと思いました。
    知識にしばられずにあらゆることを考えてやってみるという生き方を、50歳になって少しでもやっていきたいと思っています。

    ヤマギシの村人さんたちにも力をもらっています。
    村岡さん、特講やってみて下さいね。

  • 杉 豊   春日山実顕地

    「ユートピアの模索」の中で、村岡さんの疑問・不思議なこととして、社会を騒がす事件を起こし、そして奇人・変人とも称される人の名前を組織名に使い続けながら、今日までどうして、存続できたのか。との、疑問は新鮮であり参画者の自分にとっては、想いもつかぬ視点だとも想えました。 改めて私なりに村岡さんに応えようと想うと、①何故参画したのか、②参画してなにをしたいのか、③自分にとってヤマギシズムとはなにかとの設問となって自分に問い掛けざるを得なくなりました。 この設問に応えてみようと想う。

    ①何故参画したのか:20~25才まで労働組合活動に専念したが、挫折した。 それでも、本当の社会、みんなが幸せに暮らせる社会を創りたいとの願いを捨てきれず暗中模索していた。29歳の時、特講を受けた。特講で闘争をせずに、幸福社会が出来る。と知ったとき、やりたい、これなら挫折せずにやれるはずと想った。また、自分の決めつけ拘りを自分で外せばそれだけ自分が自由になり素直なこころで人と話ができる。研鑽になっていく。

    ②参画してなにをしたいのか:参画して、ヤマギシズムを体得して、幸福社会づくりに、邁進したい。実顕地は「真理実践の社会活動体」と想う。

    ③自分にとってヤマギシズムとはなにか:特講・研鑽学校を通じて、単なる論理では捉えきれない、私を引き付ける魅力がヤマギシズムにはある。

    (a)零位 人間の考えが入らないものとされるが、それは何だ? 考えるのは人間だろう、その人間ぬきの考えとは?と考え続けざるを得ない。

    (b)真理=愛 と言う表現、おおよそ真理は論理であり、科学的考察によって到達したり、発見されたりするものなのに、情緒的表現である愛と直結しイコールであると言っている。すなわち、この世が、この宇宙が愛によってつくられている。と宣言するかのように表現している。研鑽が冷静・客観を重要視するのに、それから一気に飛躍して愛と言う表現に行き着いている。私になにか大いなる転換とか飛躍をよびかけているように想えてしょうがない。かと言って、盲信しろ狂信しろ、とは言ってない。さらに考え続けたい。

    (c)幸福会ヤマギシ会趣旨に「6、物心両面共に、他を侵す必要なき協力社会を指向する。」とあって、私が想い描いた、理想社会・理想的生き方が簡潔に書いてあると感じます。まさに私のユートピアです。 一人一人が各自の課題やテーマに取り組み、日々創意工夫・発見の連続で愉しい毎日を暮らし、ふっと隣の人を見ると、素直な穏やかな目をして、精気に溢れ、言葉を交わせば、これまた話がはずむ、楽しい会話のなかから、グループでの探検旅行や、新しい方法で社会実験の話やら、おもしろい会話がつきない。そう言う人間関係ができてしまう。理想的人間社会がかいまみえる。

    (d)ヤマギシは宗教ではない。とのところで「教えるよりも哲学的に、現実的に、真理と方法を探求し合って、行動する、真理実践社会活動体です。」とあって、何事も素直な目で見、新鮮な感覚・考えで、物事に当たっていく。人が共に生きる、喜びに満ちあふれる社会だろうなあと想う。理想社会実現のその過程そのものが愉快で楽しく、人が集うこと自体が喜びを予感させ、楽しいだけの人と人の繋がり。その人の環が広がりに広がり、喜び愉しみの連鎖がとまらない。そんな世界が自然とできてしまう。これが愉しいだけ人生になってしまう。生まれてきてよかった。生きるて、こんなに愉しいことなのかと、改めてしみじみと、想える。よき我が人生よと言いたくもなる。

    以上のように、私にとって、ヤマギシズムは理想の人生・理想の生き方として、外にあるヤマギシズムではなく、内側にあると言える。内に芽ばえた、この新しい芽を育てつづけてきました。そうして、実践、実行したい生き方なのです。 山岸さん個人を 尊重はしょうとは思いますが、面識もなく、口をきいたこともなく、推測したり、推察したりすることに時間を割くよりも、例えば、自然との一体を追求して、その見方・考え方を身につけたいです。もしヤマギシが個人を意味する山岸ならば、それはイズムのことではないと想います。

    なによりも、一人一人が幸福に生き、その人に連なる人々が幸せになり、社会全体に不幸な人が一人もいない社会になってしまう、そんな運動や活動に没頭できることが嬉しいです。

    • 冨岡修一

      b)真理=愛 と言う表現、おおよそ真理は論理であり、科学的考察によって到達したり、発見されたりするものなのに、情緒的表現である愛と直結しイコールであると言っている。すなわち、この世が、この宇宙が愛によってつくられている。と宣言するかのように表現している。研鑽が冷静・客観を重要視するのに、それから一気に飛躍して愛と言う表現に行き着いている。私になにか大いなる転換とか飛躍をよびかけているように想えてしょうがない。かと言って、盲信しろ狂信しろ、とは言ってない。さらに考え続けたい。
      このことについて、私の考察を書きたいと思います。
      真理というのは、論理でも何でもないと思います。観察し得るあるがままであり、あるがままのの状態が成るがままに事象が生じることであろうと思います。その状態を私たちはただ見ているわけで、その状態を純粋に経験していればよいのですが、なかなかそうはいきません。思い込みや、ああしないとこうしないと、好き・嫌いといろんな色眼鏡で見てしまします。もっと大変なのは、自身を尊大に見せようとしたり、人の行動を支配しようとしたり、そんな本能的な衝動に近い反射的な行動などを平気でしていることにまずは気づいていないといけません。多分そこら辺に気付くことが出発点になるのだろうと思います。
      自然の中で私たちは生きています。有るがままの状態で、成るがままの動きの中で、生命が存続維持されています。私たちが、個として生きていくということは、どうしても意図的に個中心の生き方になって生命を維持してしまいす。個と個がぶつかり合うことで、葛藤が起こりますが、そこで両者があるがままの視点で観ることができれば、お互いがお互いの客観的状況を認識しあえるからです。そうであれば、両者が共存できる素地ができます。そういう条件がそろって、お互いに自分自身を大切にすることが出来て、しかも他者を自分自身と同じように大切にすることができて、真の共存も状態になるように思います。これが西田幾多郎の言う”善”ではないかと思います。構成員のそれぞれが、あるがままをあるがままに観ることができて、自身と同じように他者をも大切にできて初めて幸福な社会になるように思う。最初は、家庭のような小さな世界でいいのではとも思う。欲望や思いや感情や気分に翻弄されないあるがままの真実を見ていける人で、自分を大切にし、そして自分自身をを大切にすると同じように他者を大切にする人が集まって、初めて豊かで幸せな世界ができるのではないと思う次第です。

  • 萩田直子(豊里)

    読んでみての感想です。

    斜め読みでしたが。
    公意行のところ、「こういこう」妙に納得した。いいと思う。
    学園のことなど、反対意見もいろいろ取材しているところから村岡さんの人間性を感じました。
    杉本さんのことは、村岡さんが感じたような感慨は自分にはないなあ。
    もう少しさらりとした感じかな。

  • むらnet編集部

    村岡到さん宛に届いた渡辺一衛さん(元東京医科歯科大教授)の手紙です。
    村岡到さんが発行している『プランB』第42号(6月1日刊)に掲載予定ですが、両人の承諾を得て、村ネットで紹介します。

    渡辺一衛さんから村岡到さんへの手紙

    貴著『ユートピアの模索――ヤマギシ会の到達点』いただきました。どうもありがとうございました。
    短期間にたくさんの資料を読み通されたエネルギーに感心します。『プランB』の編集など、いろいろ忙しい中で大したものだと思います。
    最近のヤマギシ会については、私は何も知らないので、非常に参考になりました。高齢化し、山岸巳代蔵さんを知っている人が少なくなっていくので、規模が小さくなるのはやむをえないと思いますが、とにかく老人たちが安心して暮らせる共同体を実現しているのは大したものですね。
    私は一九七〇年の夏に特講に行きましたが、その時に参加者の案内役だったのが北大路さんでした。杉本利治さんについては、影の実力者としてうわさには聞いていましたが、どんな人なのかはまったく知らず、この本の記述で少し分かった気がします。子ども楽園村に熱心だったということですが、ということはただの生産力主義者ではなかったということですね。生産高を上げることだけに偏向したという批判がありましたが。
    最近はヤマギシ会の内部の生活の規律が「緩くなった」と「エピローグ 青年たちの声」にありました。これはよいことだと思うのですが、その分、結集力は弱まるでしょうから、難しい問題ですね。いつまでも巳代蔵さんのカリスマ性にばかり頼っていくわけにもいかないでしょうから、新しい形が必要になるでしょう。
    いずれにしても、「特講」という面白い討論の形式、子ども楽園村の経験など、この本でも指摘されているように、大切な経験として検討してゆく価値のあるものだと思います。私が親しかった多くの人たちはヤマギシ会への批判派になっているのですが、それも含めていろいろな面で貴重な経験であると思います。一九六〇年代に鶴見俊輔さんらの研究会(ユートピアの会)に出席されていた渡辺熊雄・操夫妻からもダブって献本されましたが、このご夫婦の持っている大らかさは、やはりヤマギシ会らしいものだと感心します。お二人に元気で長生きしてほしいと念じます。
    この本によって、またヤマギシ会に興味を持つ人が新しく出てくるといいですね。ありがとうございました。
          二〇一三年三月二二日 渡辺一衛

  • 渡辺熊雄、操(春日山)

    村岡到様

    「春よ来い。早く来い」という今頃です。

    楽しみにお待ち致しておりました貴著『ユートピアの模索――ヤマギシ会の到達点』をお贈りくださいましてほんとうにうれしく拝読させて戴いています。

     山岸巳代蔵先生が、特講を受けなくても良い大仕事が出来る人もいる、とおっしゃっていましたが、まさにそのとおりの村岡さんですね。

     第一章にヤマギシの老蘇達と子ども達、太陽の家の子ら、楽園村のことを書かれておられていることに、村岡様の生き方と人柄を感じました。

     また、私達夫婦のことを「春日山で矍鑠として生活している」とのお言葉、大変恐縮しております。この点も特講を受けておられないが、良い持ち味のお人柄だと思いました。

     私達夫婦は、特講で全人幸福社会づくりに命をかけてやって来ましたが、この道六十年近くになって、若人が育って来ました。おかげで、二人共「生きてるだけで良い」と思っております。

     御著書の「第4章 〈学育〉の挑戦とその弱点」を読みました。前からこの点について大いに研鑽の必要を感じていました。私達は「出発点は実践である」とか、「研鑽のあるところ行きづまりなし」の姿勢でやっていこうと今もしていますが。研鑽不足で後輩(一体の親子兄弟)には申しわけなく思っております。私達夫婦の子供や孫はその中にあっても、現在もヤマギシ会の経営やらその他の仕事にも情熱をもってやっていますから、必ず一人ひとりに合った真実の仕事をしてくれると確信しています。

     これからも宜しく御導きくださいませ。鶴見俊輔様と渡辺一衛様には、この本を昨日郵便で贈呈させて戴きました。ありがとうございました。

     かつて実顕地を出ていった人達にもこの本をお贈りして一緒に全人幸福社会目指してやっていこうと思っております。御力添えありがとうございました。

     機会がありましたら特講にもお出でくださいませ。東日本大震災の人達とも、他の悲しみを自分の悲しみと思い、自分の喜びは他の喜びとなるよう一つから発し、一つになり合っていく村づくりをやらせて戴きます。取急ぎお礼まで。

    村岡様の御健康と御発展をお祈り致します。

       三月十六日 午前一〇時   渡辺熊雄、操

    • 実顕地広報部

      渡邊熊雄・操様

      村岡さんの「ユートピアの模索」読ませていただきました。
      村岡さんが短期間に沢山の資料に目をとおして、この本を書かれたのに感心します。おかげで最近のヤマギシ会の様子を、いくらか分かった気がします
      いずれにしても老人達が安心して暮らしておられる様子は嬉しいですね。
      私も幸い何とかやっていますが、渡辺さんご夫妻も、今年もお元気で過ごされますよう。どうもありがとうございました。

      東京都 渡辺一衛 (メールより)

  • 杉 豊(春日山)

     今回の村岡さんの本は、よくできた本だと想います。
    全集をはじめ、おおくの出版物を読み込み、裁判資料までも目をとうしいる。
    また実顕地での取材もかさね、リアルなルポルタージュにもなっている。
     私としては、実顕地の現状を俯瞰することが出来たように想います。
    特に、学育の到達点と挫折・「実践の書」の批判的検討・巳代蔵氏の限界・成功に幻惑されてなどの項目は、有志による、研鑽会などで、意見を出し合って深めたいと想います。
     村岡さんとは、今後も対話と交流を続けていきたいと思います。