村岡到さんはなぜ、ヤマギシの本を書きたいと思ったのか
一年ほど前より豊里実顕地や春日山実顕地を取材で訪れ「ユートピアの模索ーヤマギシ会の到達点」を著した村岡到さんに、23日の豊里交流会で、なぜ本にしたいと思ったのか、ヤマギシに出会っての感想などを話してもらった。
高2で初めてデモに参加して以降、社会主義者として一筋に生きてきた村岡さんは、こみ上げてくるものを何度も抑えながら、ヤマギシに出会った喜び、実顕地が存在する意義を熱く語ってくれた。
私は村岡さんの熱情に触れ、心を耕して貰い、当たり前にしている実顕地の暮らしやここで生きることの大きさをあらためて知り、大きなエールをもらったと思い、交流会にいた人達に話を聞いてみての感想を送ってほしいとメールしました。
村岡さんの話の一部を紹介し、何人かの感想も掲載したいと思います。
「ユートピアの模索 ヤマギシ会の到達点」(発行元:ロゴス)は3月15日に発行し全国の書店で販売されるそうです。
【豊里実顕地 喜田栄子】
2月度豊里交流会
『ユートピアの模索ーヤマギシ会の到達点』著者 村岡到さんより
村岡到この4月で70歳です。
なんで私がこの本を書く気になったかという事について、簡単に説明したいと思います。私は初めてあなた方を知ったのは、去年の4月です。
ある機会があってこの場所にやってきて、それで初めてヤマギシというものを知りました。
それまで固有名詞としてヤマギシ会というものがある、ということは知っていました。しかしそれがなんであるか、どういうものであるかは全くと言っていいほど知りませんでした。
私が生きてきた歩みとは、あなた方とは全く申し訳ないですが、なんの関係もありませんでしたから。
4月の夕暮れ時に、そこの正面の標柱のあるところを通ってきたんですけど、まずびっくりしたんですね。
こんなにすごいっていうか、建物もそうだったし、皆さんもたくさんいたし、まず、これはきっと何かすごいことがあるなということを直感しました。
それでその後、豊里にこれで8回目、春日山には6回ですが、まず来て今言ったようにその規模、あなたがたがやっているということについて、驚いたという事と、それと、最初に老蘇さんという、そういう人たちが生活していることを説明されたんですね。その時印象に残ったのが老蘇さんの表情、笑顔。
もう一つ驚いたことは、あなた方が日常生活の中でお金を使ってない、お金を払わないでものを食べたり、あるいは、生活する場所、住居がある、そういう生活をしている人がいるというのをまず知ったんですね。
これは相当な驚きです。だってそうでしょう。日本の今の社会では、お金がというものがなければどんなにお店に食べるものが並んでいても野たれ死する以外ないんですね。だから貧しい人が、財布にお金がなくて、ちょっとコソドロしてね、そういう話は実際ありますよね。なんの不思議もないというか、実際にお金がなければ、いくら食べ物や洋服があったって、それを自分のものにしてはいけないという事になっていますからね。
ところがあなた方はそういうやり方でななくて、さっきもそこでご飯食べましたが、あの時も何も要らないというか、愛和館へ行って切符さえもなく、そういうことを作り出しているという事はすごいこと。そういう生活をしているということはすごいことだと思ったんですね。
勤務時間がないと説明されたんですね。
朝何時から何時までというそういうやり方ではない、自分で決めた時間に行って、働いて一区切りついたら帰る、そういうやり方ですんでるっていうんですね。
これも普通日本の社会ではありえないですね。
タイムレコーダというものがありましてね、出勤したらガチャンと押して、帰るときも何時何分までと。超過時間が1時間、あなた方はそういうのではなくて、自分たちが自分で、体の調子とか色んなことを考えて、そして働いたときにお金をもらわないで、月給というものがない、春日山へ行ったときに、平島さんという女性の人と何人かで話した時にですね、彼女はこう言ったんですね。その人はリクルートという就職をあっせんする会社で働いてたというんですがね、その働いていたときにですね、「自分は月給日が来るといやな気持ちになる」と、こう言うんですね。
普通の人は月給日になると、それほど楽しい楽しいと思わないかもしれませんが、でもホットするというかね、月給というのも20万か25万か30万か色々ありますが、まあ月給日が来てお金がもらえるとひとまず安心するというか、まあ嫌になるという人はいないですよね。ところが昔働いていた時分、給料日がいやだったと云う人、私が一か月働いた労働の成果というのがこんな紙切れになってしまうということが不満だったと言うんですね。
マルクスという昔の偉い人が、疎外された労働、働いた成果が自分ではない、他人のものになっちゃう、こういう労働のことを言ったんです。そういうことは頭の中では知ってるわけですよね。だけども、目の前にですね、彼女が言ったように、月給日にですね、自分の働きがこんな紙っペラになるという、感じ方というのが非常にその時は新鮮というか、こういう人がいるんだなということを感じました。
それからしばらくして、いろんなことがあって、この本をやってみようかということになって、書き始めたのです。ヤマギシの本もいろいろ読みました。
やっていることはとても大切だと云う事がだんだん分かってきて、やたら感動したり言いつのったりしているのは、なぜかを説明します。
私は高2でデモに初めて参加しそれ以降、社会主義を信じて、目指して行こうと思い立ち、50年以上たちます。
この社会をよりよくするために、社会の仕組みを大きく変えるために、社会主義の方向は正しいんだと考えてきました。
そういう風な考えでいることとあなた方が生きているという事が重なり、強くあなた方に惹かれたわけです。
あなた方が創り出している生活、営みというのは、日本だけでなく、世界中にといってもいいと思うのですけど他に例のない、貨幣のない、お金に煩わせられない生活を自分達の力で、農業というものを基礎にして営み、創り出しているといのは本当に貴重な活動、闘いというようなことと思うのです。
望むことはあなた方自身がつくりあげているこの社会、実顕地というものはとてもすごいもの、それをもっとはっきりと、自分たちが何をやっているのか、どういう点で新しいものを目指しているのか、みんなが夫々の立場できちんと書いて、社会に向かってもっと大きく羽ばたいていくことが、今こういう生活をしている人の責任、やらなければいけないこと、自分たちがやっていることを社会に向かって明らかにして欲しい。
僕がやっていることがきっかけになればいいかなの思いでここにやって来ました。
まだ短い付き合いだから、おそらくまだそれほど深くは知り得ていないだろうとも思われる
ヤマギシズムやヤマギシ実顕地の中身について、現役の社会主義者のするどい直感で理解
し、共鳴し、さらに積極的に自らそれをバックアップしていこうとしているらしい村岡さん
の誠実さ、ひたむきさ、熱意に圧倒される思いがしました。
村岡さんの話は、実顕地で暮らす私達に対して語りかけてくれたものだった。
もっとあなた達(と何度も言っていましたね。)のやっていることの真価を知ってくださ
い。もっと自分達に自信を持って、やるべきことをしっかりやって行ってください、と叱咤
激励してくれていたように思いました。
村岡さんのこの提唱?は、貴重であり、大事に、しっかり受け止めたいと思いました。
正直、それでどうなの?
という感じでした。
確かに、人間にとっての幸福や心の問題などをテーマにしてこられなかった村岡さんがヤ
マギシに触れて、ある意味のカルチャーショックを受けられたのは理解できます。
でもそれは彼の問題であって、もともと彼が(心のなかで気づかずに)求めていたものが
ヤマギシにあったというに過ぎません。
70歳に至るまで、気づくチャンスを持たなかったんだなあ、という感じです。
一方で、それほどに私達が実践してきた「ヤマギシズムの行き方」が彼のような社会主義者
(心のテーマをあまり重視してこなかった)にも響くものなんだ、と改めて発見しました。
もっと、発信して欲しい、と彼は仰ってました。
もっと、もっと発信しましょう。
村岡さんの話は、実は私途中から入席したので最初から聞いていた人とは少し受ける感じが違うかもしれませんが…。
確かに先人達の功績で現在の私たちがある訳で、そこら辺が普段当たり前に暮らしていると見失うのだというのを再認識しました。
もっと自分たちのやっていることを、客観的に観ていくことが必要なんだなと思いました。
この豊かさの中にいるものとして、それを伝えていくことをやっていくことがあるはずとの言葉。
私はこの暮らしが好き、私はこの生き方をしていくと思っている。そこをつきぬけていけるか。一緒に考えていきたい。
春日山でも同じ日に2月度交流会があり、お話を聞かせていただきました。
話の最後に引用された「深海魚は水を知らず」と言う言葉が心に残りました。
純粋「深海魚」でない私もいつしか、忘れていたことをハッとしたり、、。
どこか据え置いてきたことを思い出した場面でした。