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今年こそ、アレ(A.R.E.)


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今年こそ、アレ(A.R.E.)

「何でも用意されている実顕地」とは?

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◯年間テーマ

今年こそ、アレ(A.R.E.)

 

◯11月度テーマ

「何でも用意されている実顕地」とは?

 

 
ミカンやリンゴ収穫、サツマイモ収穫など「収穫の秋」の交流が賑やかになってきました。今年の大潟実顕地の稲刈りは10月2日に無事終了、各地に新米が届きました。

 

今年の大潟のあきたこまち新米メニューはいつかな、と楽しみにしていた。毎年、メッセージと共に新米が枡から溢れる様に展示されるのを楽しみにしていたが…それでないと、という決めが有ったような気がする。いつも用意されているものも、これから先いつまでも用意されているとは限らない、を用意しておきたいと思った。

 

生活の設備面を担当している人が腰痛でできなくなり、建設部からは、今後は生活の修理はやれない事もでてくるとのこと。世話係研では、提案書を書けば直してもらって当たり前だったが、例えば、洗面所の2つのうち1つは使えなかったり、お湯が出なくて水だったりもありかな、と。ある家のフロアでは、分からないながらも見るだけは見てみよう。部品を発注してもらったらやってみるよ。というような人が現れ始めました。なんだか「用意されてない」が用意されているような。

 

村役でやったらいいことを出し合っているときに、老蘇さんたちがロビーで過ごしているとき、暑さの感覚がわからなくて暑い中ずっといたりするから、ちゃんとクーラーや扇風機をつけてあげる役があったほうがいいという意見が出ました。が、そんなことは老蘇さんたちでやったらいい、やれるよという反応がほとんど。老蘇さんたちのことを気にかける気持ちはいいなと思うけれど。やることが良い悪いでもなく、何かをしたりしなかったりするときの心持ちが、どちらでもよいというところにあるかが大切なのかな?ともすれば、こうするのがよい、用意するのが良いとなりがち、どこに視点を置くかで考えるところが変わってくるような感じがします。

 

豊里では先月23日から、毎月4回を半年間、有志での研鑚会の呼びかけがあり、希望者が多く2日間で定員いっぱいになってしめ切りました。「なりたい自分に一歩近づくこと、つまり体得したいテーマまたは理念を体得する方向に一歩進むこと、を目標にします」と案内に書かれていました。参加者からの感想が聞こえてきました。「私の考えは正しいと自信に満ちているんだな~と思った」「今から思えば何ともボンヤリした状態で始まったにも関わらず、日に日に焦点が合っていくような、何かが鮮明になっていくような感じ。誰もが感じたんじゃないかな」「相手に引っ掛かったと気付いた瞬間に相手にワープするというのをやると、プールの飛び込み位の(エイヤッ!)って感じで、その瞬間に外そう外そうとしても外れなかった(引っ掛かり)が消えちゃうんです」など。やはり日常生活から少し離れて研鑚会というのは、意義あるもののようです。

 

今月も共に探り研鑽していきましょう。

実顕地研鑽部