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ヤマギシの村づくり (5)


ヤマギシの村づくり (5)

  • 百瀬の瀧を登りなば、忽ち龍になりぬべき
            (唱歌「鯉のぼり」より)
  • 世界中から観に来て、世界中に拡がる
  • 実顕地に映る自分自身に出あう
  • 昨年冬の始まりとともに、愛和館の片付け始め時間が一応8時になりました。

    春日山の愛和館は、消灯した後どんなに遅い時間になっても食べることができますが、片づけが8時からとなると、その時間に合わせようと愛和館に向かいます。そしてぎりぎりに愛和館に入ると、片付けの人がどんどん片付け始めていくので「なんだか、早く食べてと言われているようだ。」とか、実際に「8時までって知らないの?」と言われた人もいるなどと話題になりました。

    愛和館の片づけメンバーの、9時までには片付け終わりたいという気持ちが前面に出てしまってのことのようです。
    愛和館は、職場や仕事という言葉では顕せないものがあって、出す人も食べる人も「お母さんの心」が顕れるような場でありたいと望んでいるように思うのです。

    春日山では、愛和館は世界遺産ともいわれていて、7時半位までの幼年・老蘇・初中の学育達と一緒に食べる時間帯は、言ってみれば5ツ星★★★★★レストランです。それが、8時以降になると急に星の数が減ってしまうのはさびしいことだな。

    現在世間では、お金をたくさん払ってでも、おいしいものを食べて癒される空間を求めているようですが、私たちにはお金や地位や名誉がなくても味わっている世界があります。

    1-2013-05-002今の愛和館の最後も、食生活という職場の人が考える問題だけではないのでしょう。

    もてなしの心で5ツ星★★★★★にできないか・・・一番弱いところをみんなで考え見出しやっていくことはできないか・・・それが、実顕地生活になるか集団生活になるかの分かれ道になるようにも思います。そして、世界中から観に来て、世界中に拡がるそんな村づくりの基のあたりを培っていきたいです。

    先日飯田に交流に行った関口博子さん。春日山の連絡研で葛原光太郎さんの話を聞いているうちに、「私でよかったら行きたい」となって、交流に行くことになったようです。
    そして、飯田での暮らしでもいろいろ感じることがあったようで、先日の交流会では湧き出るように実顕地交流の感想を話してくれました。

    博子さん個人というより、博子さんが実顕地の真価に触れて実顕地に映る自分自身に出会ったように感じました。

    博子さんの感想文がむらネットに掲載されますので、ぜひ読んでみて下さい。

    【春日山実顕地 研鑽部 柳 順】

    2013年春日山研鑽テーマ

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    コメント

    • 佐々木久江(豊里)

      昨日研学スリーの受け入れをやりました

      小林さん、かっちゃん、けい子さんの話もでていましたよ

      どうですか? 出発してみて  コメント待っています

    • 佐々木久江(豊里)

      昨日アサリご飯をつくった まさしく百瀬の滝だったわ。
      今まで食べたこともないので出来上がりがどうなのかも知らない。
      自分が持っているものがどんどん出てきて、面白いを通り越していった。
      鶏肉の炊き込みご飯なら前作っていたが、アサリは人生初。このコメントも百瀬の滝じゃん 愛和館の調理ならオオヤケで、私が調理するのはプライベート?  これは自分の常識か? これに関して以前こっぴどくしかられた事があったなあ、まあ持ちやすい自分を放していくトレーニングにもたとえられるかな。
      ちなみにアサリご飯は美味しく炊き上がり(炊飯器が炊いた)
      あらためて自然の旨さに感動したわ。

    • 佐々木久江 豊里

      基本研で若手女子のファームと子育てに関連する話しがでた

      やりたい気持ちには拍手でしょ そうだなあ若手に拍手いやいや自分に拍手だったわー 百瀬の滝をいくつものぼったよ 池で泳いでた時は楽だった

      けどね ファームはけっこう滝があった  滝をのぼるのは出発研だったり、職場研だったり、ファーム研だったり お店の中だったり・・・

      でもね自分をしらべようとする意欲に拍手だったわ

      それにはファームにきてくれる人の存在が欠かせなかったね

    • 佐々木久江 豊里実顕地

      18日から研学Ⅲの小林さんを受け入れています。
      昨日は佐々木さんが日和佐実顕地に行ったので2人で一緒にやらせてもらいました。
      小林さんが「琴線にふれるものがあるそれはどういうものか」というテーマでやってみてを語っている時涙しているのが観えました。

      とっさんから託された九州での実顕地づくり。

      明日の受け入れどうしたらいいか何人かの人と公意をみいだしていきました。
      小林さんに何をしてもらうかという事なんだけどその人の気持ちに耳を傾けました。

      • 小林美智江(西海)

        久江ちゃん、ありがとう。

    • 麻野幸子(豊里)

      建設部の毎日でも、基本研でも「豊里ファーム」と聞かない日は無いほど「わたしのファーム」に。

      豊里ファームのサンドウィッチ用に使いたいの、と持ち込まれたパンスライサー。動かない、刃はサビ錆の茶色、まわりはハゲハゲ。息子が初等部の頃修理したと上羽さん、『豊里ファーム』と聞けば何とか使える様にと職人魂が燃えたらしい。溶けたゴムベルトは代用品で、刃はピカピカに研がれて、私もまわりをペンキ塗り、見事甦り「豊里ファーム」へ。
      この前、阿山からプレゼントの黒糖ブドウパンを切ったのも彼です。素晴らしい切れ味。

      「直売市が出来た」だけではとどまらず、繋がって拡がっていく「何か」を目の当りにするこの頃。
      ひとつで出発した「豊里ファーム」こころを観ていこうする自分自身が映っているように思えます。

    • 山本孝志(那須)

      母が体調を崩したというので、数日帰省して共に過ごし、姉弟で会ったりして帰り際に、姉がこの本が良いと芹沢俊介著、岩波新書「家族という意志 ーよるべなき時代を生きる」をくれました。
      帰りの車中で読みかけるとかなり難しいので、巻末の参考文献を先に覗いて見ました。
      新島淳良「阿Qのユートピア」「さらばコミューン」山岸会「天真爛漫」もリストに出てきます。
      柳順さんの文章の中で「もてなしの心」には、やや引っかかる。
      もてなし以前の何かがあるはずと思います。

    • 平島春美(春日山実顕地)

      ちょっと前の話で恐縮ですが、、、。
      前回の資料研でこの順ちゃんの記事をみんなで研鑽しました。翌日由喜ちゃんが給湯室でしきりと言ってました。
      「昨日の資料研よかったわー、あそこまでなかなかやれんでー」(由喜子)
      「そう?あそこってどこ?」
      「橋口さんの発言にびっくりやー、あれ言ったら嫁だせ、、、って話になる」

      *どんな話だったか?かいつまんで*

      「8時すぎに(愛和館へ)食べに行ったら電気半分に消されて感じ悪かったなー」
      「だって、ひとりで食べるのに愛和館の電気、全部つけとかなくてもいいでしょうー?」
      「電気半分になったら暗いぜー」
      「あら、明るすぎてかえって落ち着かないとおもって私消す時あるわー」

      食生活の人も8時までに食べてとは言ってないと思うのです。
      「ごめんなさい、かたずけ始めさせてね」という気持ち。

      片付けに入っている仲良し班の人も早く返してあげたいという心使いもある。
      まぁそれでも伝言ゲームみたいなもので受け取った人がどういう気持ちで言うかにかかってる。

      最後によく入る豊ちゃんの
      「手はサッサと片付けてるのに目の前におかずがどっさり並ぶ感じってあるよなー」とか、昼の最後を担当しているめぐみさんの「どうぞ、どうぞ」という声かけに遅く食べに行ったこっちがかえって恐縮しちゃう話も出ました。

      多分由喜ちゃんの言いたかったことは食生活の人も大変ですね、はいそうしましょうーみたいな話で終わっては、ちっともおもしろくないってことかな?

      私も食生活が長かったからついついそうは言ってもね~と思い入れが入る。

      それと遅く食べに行く人は必ずいるわけで、その人にとって、賑わってる愛和館が必ずしも☆☆☆☆☆星ではないのでしょう。
      出す人も食べる人も「お母さんの心」ってどんなことかな?

      それが欠けて職務に忠実になったところに社会主義が崩壊したという話も出た。

      もうひとつ「眼からうろこ」の話。
      『百瀬の瀧』ってついつい「華厳の滝」とか「那智の滝」を思っちゃうけど百瀬だからあっちこっちにあって、まぁ幼年さんみたいにヒョイヒョイと渡ってるうちにってことかなーって発言に
      「そっかー」っと思ったのです。ついつい、がんばって滝登りしてる鯉をイメージしがちな自分達世代(?)なんですね~。

      私と由喜ちゃんは何かにつけ今月は『百瀬の瀧』ねというのが合言葉。

      • 佐川清和 春日山実顕地

         平島春美さんのコメント、「崩壊した社会主義」に反応して、思い浮かんだことを記してみます。
         1970年代に、北は青森百石実顕地から南は九州青い鳥農場まで、「なぜ実顕地の看板を下ろしたのですか?」と元種になった人々を訪ねて回ったことがあります。何処へ行っても久しぶりにヤマギシの人が来てくれたといって歓迎されました。その時に聞いたざっくばらんな話は、今も自分自身の財産になっています。
         たとえば、当時の取材記録からの引用ですが―
        「一つ財布、共同食堂でにらめっこして丸四年。実に不自由きわまりない。結局こういう集団ってものは正直な人間ほど馬鹿を見る」だから実顕地を離れてみてはじめて「誠に筆舌に尽くされない解放されたような気持ちになったなぁ。これでみんなが家庭生活を自由にやれるという気持ち」を味わったのだという。
         理念(理想)と現実をつなげる何か自分の実感に即した面白味のようなものが一筋見いだされていかないと、なるほどそんなふうにつまらなくなってしまうだろうなあと、我が身の現状をふり返りました。かつてない実顕地生活になるか今までの集団生活で終わるかの岐路に日々立たされているようです。この種の運動に携わるものの宿命でしょうか。
        「よーし、やるぞ。最も常識的に不自由だと思っている中にこそ、ホンマの自由を見いだすぞ。そこまでひっくり返るところまでやらないとウソだ」と誓ったものです。
         ただの集団生活に終わるならば、やらない方がマシですし、サッサと愛想を尽かした方が賢明です。
         今月のテーマ紹介に、「愛和館は、職場や仕事という言葉では顕せないものがあって、出す人も食べる人も『お母さんの心』が顕れるような場でありたいと望んでいるように思うのです」とあります。そうか、「お母さんの心」かと、ハッとさせられました。村づくりのいちばんの根幹に触れたような気がします。二十世紀素晴らしい理想を掲げた社会主義運動が崩壊した原因は、経済問題でも権力闘争でも唯物論か唯心論かの考え方の相違でもなく、「お母さんの心」の無視や軽視や先送りにあったのではないでしょうか。
         しかもこのテーマは、じっさいに創っていくテーマです。公(オオヤケ)の意志に包まれる「一体食堂愛和館」でこそ、もっともワタシのプライベートさが活かされ充たされ癒やされる場所であるべきはずです。そんな世界の顕現を描いています。

    • 岡本常夫(加賀実顕地)

      今月の研鑚資料「実顕地に映る自分自身に出あう」を観て
       私は春日山で18年間やらせてもらいました。暮らしの元になる衣食住はもとより四季おりおりに色づく自然環境、職場、研鑚機会を用意してもらいゆたかな日々を送らせてもらいました。職場は養鶏で5年、酪農では牛舎の糞だし、ミルキングパーラーへの牛の誘導、仔牛の世話、藁収穫、京都方面への宅配等で13年、今までやって来た私が実顕地づくりにどういかされたか、映っているか(顕わされたか)を自分でも見直し、客観的な面からも観あい出しあって、自分自身に出あっていければと考えています。