ヤマギシの村づくり (2)
ヤマギシの村づくり (2)
全体的総合的将来的にものごとを観る どこに面白味を見いだすか 火種を燃やしつづける
春日山では、2月はこのテーマでやっていきます。
新年を迎えて1ヶ月、「村づくり」のテーマでやってきましたが、今月も引き続き「村づくり」です。
最近、むらネットに「愛和館でお酒を飲みたい」という投稿があり、みんなの関心が寄っています。
私も、「おしゃれ」の記事を投稿しました。
以前、「研鑽会にはスカートで」と思っていた頃には、「そうするもの」としてやっていたように思いますが、11月に研鑽学校に入った時に、輪になったみんなを見渡してみたら、「もう少し明るい色があったほうが場が華やぐだろうな。」と思って、意識して明るい色を着ました。
また、だいぶ前の事になりますが、養鶏法に入った時に、係りの女性が毎日すてきなスカート姿で、なんとなく嬉しかったのを覚えています。
「そうするもの」として自己規制するのでもなく、「憚られるから」と自己抑制するのでもない、いきかたがあるように思います。「愛和館でお酒は飲めない。飲んではいけない。」とか、「話題にすることが憚られる。」というのも同じですね。
多様な意見があってこそ自由という考え方があります。多様な意見があってこそ、目指す方向に向かっていく面白さがあるのではないでしょうか。
2月の養鶏法には、若い世代の男性が多く参加すると聞いています。
これからの「村づくり」、楽しみです。
【春日山実顕地 研鑽部 柳 順】
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建設への提案が進まないので、自分が業者に連絡して進めたいと言うのを聞いた途端、パッと反応した。建設部も忙しいだろうから、それぐらい自分がやってもいいよと言ってるのも分かったのだが・・・もう止まらなかった。
私だって後藤さんだって(ちょっとポイントを外すことはあるけど)実に真面目にやっているのに・・・
1時間程して25年も前の特講を思い出した。「残れますか?」の問い掛けにこんなに真面目に考えようとしているのに、更に残れって言う訳!と腹を立てていたなあ。もちろん、「何で腹が立つのですか?」なんて丸っきりチンプンカンプン??の後。
何かあの時に似ているなあ。
あ~あ、2月も終わるのに、この前の看板のときはうまくいったのに・・・ここで私のこころの火種を燃やしつづけるんだなあ・・・
2月10日の朝、出発研で養鶏法メンバーから「苗の店」に大きな看板の提案。建設現場が交差点に近く、1本の柱に何人かが寄って立てているのも眼を引くらしい。4月7日オープンの宣伝も兼ねて作業過程も展示したいと。 う~ん、今日は日曜、明日は祝日。材料?そうだ、以前土曜市で使っていた看板、タタミ2枚分ある。先がとがっているけど、イイか。早速、実行研でデザインを、夕方の連絡研では明日3時に養鶏法にプレゼントしようと。私は実に張り切って古い文字を剥がして、カッティングも。
昼頃、蔬菜部の人が見て「とんがりは取りたい」え~、トタン剥がして骨を切って、又トタンをかぶせる~間に合わない!このままだってイイでしょと私。そして、その人の「無しにしたいですね」穏やかでハッキリと意志のある一言。パッと私は客席に、何とか自分の方に引き込もうとしている”さっちゃん”が舞台の上。 「そうしましょう。」と私。建てるのが遅れても、そこをやりたい。
側で聞いていた後藤さんが先を手際よくカットしてくれました。午後3時、現場に看板は立ちました。
何かに響いて、さっと変われる私が面白い。決めないで、柔らかく。どこまでも幸せになりたい私の心の火種を燃やしつづけていこう。
1週間前、春日山養牛部に妹尾進さんが配置で来ました。
妹尾さんは参画して20数年、ずっと養豚部でやってきた人です。そういう人が、還暦になって新たに養牛部配置になるとは、「全体的・総合的・将来的に観た」配置であると、誰もが「ワーッ!!」という感じでした。
妹尾さんは以前から、「良い豚を育てたいのではなくて、仲良しがしたくてやっている。職場が仲良しになったら豚は良くなってくる。」と言っていましたが、養牛に来てからも、「まずは、同じ部門の人と共にやるというのをやっていく」と言って、ハードな現場で慣れない仕事を通して実践してくれています。それが、私たち養牛部員には刺激になり、「職場づくり」が動き出そうとしています。
2月10日、葛原光太郎さんと桃子さんの結婚式がありました。
「村の結婚式」を村人全員でやった実感があります。今回は特に、近年力をつけてきている若い世代の人たちが中心になって進めてきました。
実際の場面での事柄はいろいろありましたが、「ひとつ」が顕れ、花開き、誰もが心豊かになった結婚式だったと思います。
青年期に村で育ってきた男女が発揮し活躍している姿は嬉しく、一緒にやれて楽しかったです。若い世代の人たちと一緒にやれる喜びを感じています。
豊里実顕地の老蘇・佐貝さんが、「若い人たちと一緒にやれるのが楽しい」と、よく言っていると聞きました。佐貝さんから見たら、私も若い人です。
いろいろな世代の人が共に進めていく実顕地づくり。「全体的・総合的・将来的にものごとを観る」と、どんなふうに描けてくるのか、これからが楽しみです。
先日の春日山の資料研2で全体的・総合的・将来的ってどんなことだろう?と出ました。
サッと読み流してしまいそうな、全体を一つの言葉としてボヤっと考えていたな、、、とハッとしました。
「全体的」って火の見櫓に登って見渡すような、どちらかというと平面というか広さかしら。
「将来的」と言ったら時間軸かな、、、どの位の時間軸でしょうか、、、?
それなら「総合的」ってどんな?フッと自分の中でつまずきました。
「全体的」と「総合的」を並べるからには、、、?
ちょっと前に読んだ河合隼雄さんの‘‘「老いる」とはどういうことか’’という中の一節を思い出しました。
老人問題を考える時には「広さ」と「深さ」があるのではないか?
具体的な例を挙げて語られているのですが、「深さ」というのが印象に残りました。
この時の研鑽会で結婚式(光太郎・桃子さん)の話題も出たのです。
食生活のひかりちゃんが引き出物の包装を色々調べて一生懸命考えて活き活きやっている。
ところが彼女が風邪をひいてしまって仕上げることが出来なくなった。いかにも若い人が考えるシンプルで素敵なんだけど、やってみると意外なところに時間がかかって仕上がるかな、、?となったようです。
時間も差し迫って「もっと簡単にする?」の話も出たようですが、やっぱりひかりちゃんの活き活きした姿を思い浮かべるとなんとか仕上げたいなーとなったという話。私はこの時一人ひとりにあたる光?の深さを感じました。テーマで言ってる「総合的」が何を言ってるのかわかりませんがとりあえず「深さ」に焦点をあてて、考えてみようかな、と思ったりしました。
明日からの養鶏法に参加します。
昨年、研学3に行って、子ども時代兄たちと野山を駆け巡った気分を思い出した時、なんだ!今も毎日同じように実顕地でやらせてもらっているじゃんと思いました。
そんな自分で養鶏法に参加したらどんな世界が見えてくるのだろう・・・。
素直にヤマギシズムに向き合ってみたいと思いました。
1年の初めに今年は養鶏法に行きたいと決めました。まだ、先だと思っていたら今回になりました。
参画した同時期に入学してきた学園育ちの若者ら(もう、若者とは言わないかな?)と一緒です。
働き盛り、人生の充実期だったあの頃の私と同年齢の彼らです。
今彼らはどんな世界に住んでいるのかにも興味があります。
火種は燃やしつづけている思っています。
共に探るのは楽しみです。
ちょっとうるさいかもしれませんが・・・。
栄子さんいってらっしゃい!!
春日からも、光太郎さん桃子さんの結婚式実行委員で仲良し班の世話係でもある、正二郎さんを送り出します。正二郎さんから、養鶏法に参加したいと実行委員会で提案があり、色んな意見がある中で、みんなでそのことや、村づくりについて出し合い、聴きあいました。とても暖かなものが流れていて、そんな中から送り出せることになりました。奥田さんも参加する予定です。どんな養鶏法になるのか私も楽しみです。
いってらっしゃい!