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そこから拡がるもの
~秋の研鑽会~


豊里では毎年、秋に3日連続の研鑽会を開いています。 3回目の今年は、[仕事と職場~そこから拡るもの~]で研鑽しました。面白くて深まり、仲良くなった3日間でした。
 私が秋の研鑽会に参加して一番心に残ったのは、三日目の夜に鈴木義樹さんが出した養鶏法に行った時の事例でした。

 それは義樹さんが美里の長谷川さんと二人で、職場に作業に行った時のこと。

作業中に足りないものがあって、建設部に長谷川さんが探しに行った時、義樹さんはその場に残り、一人でやれる作業をみつけて進めていたそうです。

 その時

「長谷川さんと一緒に行ってみたら、どんな世界だったのだろう。その世界を見てみたかった。」

と思ったそうです。

 私はその話を聞いて、私も義樹さんが見てみたかったその世界を、見てみたいなと思いました。

 秋の研鑽会が終わった次の日の夜、同じ職場の萩田さんから私の携帯に電話がありました。

「明日の朝、文化祭の職場展示を仕上げたいんだけど、一緒にやらないか?」

という電話でした。

 私は、後はもう貼るだけなのだから、萩田さん一人でやれるだろうに、何で一緒にやろうと言うのだろう…。朝はやりたい事が色々があって忙しいし、何だか面倒だな…。

など、一瞬頭を駆け巡ったのですが、まあ一度萩田さんと一緒に文化祭準備研にも出ているし、やれない作業でもないのだから行ってみようかな。

「はい…。でもちょっと遅れるかも。」 となんとなく気の無い返事をした私。

 電話を切ってから、なんだかこんな状態のまま行くのも変だな。

ああそうだった。昨日の夜、義樹さんが言っていたあの世界、もしかしたら明日萩田さんと一緒にやってみたらみれるかもしれない。そんな漠然とした思いが湧いてきました。

 翌朝、約束の時間に印刷所に行くと、萩田さんが一人で展示の仕上げをしていました。

二人で進めるうちに、萩田さんがなぜ一緒にやろうとしたかも、分かってきました。

文化祭の生活庶務部の展示

これは、一人では貼れないわ。

 しばらくすると

「けっこう気疲れする仕事やね。」

と萩田さん。

「うん、そうだね。」 と私。

   あれ〜、でもそれだけじゃない。集中してやっているこの心地よさは、どこかで味わったことがある感覚だ。

 落ち着いていて、静かで、明るくて、私が確かに此処に居るのだけれど、主張するものもなくただ存在しているだけ。

 初めて研鑽学校に行った時『零位に立つ』というテーマで畑の作業に行った時の、あの場面が私の中で蘇ってきました。

 秋の研鑽会テーマ『仕事と職場 そこから拡がるもの』を三日間研鑽してみて、私の中ではそのように拡がっていきました。

赤松啓子 豊里実顕地
 豊里の研鑽会に4日連続で参加しました。

 日頃「職場を成り立たす」ことにエネルギーをかけていますが、そのことで、かえって「本当にやりたいこと」。うーん、私だったら、つまり「みんなとひとつでやっていく」のを止めていることもあるかな。

というあたりが見えてきました。

 それは今、内部川の集中研で見えてきて、動き出そうとしている中身と全く同じだ!と思い、なんだか豊里の人達がすごく近くなってきました。

「そこを見て、また、職場について考えてみる」というのも、まさに今、内部川でやろうとしているところです。

 今回参加してみて「豊里の人達って、仲いいなぁ」と思いました。

みんなで響きあって、深め合って、いいですよねぇ。

 大勢の人が、こんな、なかなか考えたこともないテーマを楽しく探って、なんだかこれから豊里がぐんぐん動いて行きそうな気がします。

諏訪花 内部川実顕地

 きっかけは生原律子さんが養豚から衣生活へ移ったことでした。

自分はそこまでできないけど、今の自分で気持ちに無理なく、やれることをやってみようと思いました。

 養豚以外のことに目を向けることにしました。そのひとつとして、まず基本研や仲良し研に出ることから始めました。

 私は養豚やってきて、あまり他職場に興味がなく、村の中で名前も知らない人がずいぶんいました。連絡研が始まり、豊里全体の動きが、毎朝養豚でも話されるようになりました。

自分の今までの考えでいくと、まず養豚の仕事が成り立っていたら、他にもいけるかなぁと考えました。でも今は、村の全体の動きの中に、養豚と他職場いろいろな動きがあって、そこから考えていくと、気持ちに無理なく、みんながどんどん動けるようになってきたように思います。

 玉ネギ定植に行ったり、養豚以外の人と接することが以前に比べ多くなりました。

 私自身も、愛和館に行っても、今まで名前も知らなかったいろんな人に声かけてもらったり、話が出来るようになって、豊里ってこんなに人がいたんだ。と、今では愛和館へ行くのが楽しくなって、新しい発見を味わっています。

 今迄はこうするのが正しいとか、そうしなければというように動いていたのが、自分がやってみようかなと、軽く思う気持ちに後押しされて無理なく動いてみたら、案外楽しいものだと思えてきました。 気の向くままに。

村中導子 豊里実顕地