交流は非日常のこと?
無数になっているみどりのみかんを見ながら、ポケットに入れて
ある目安の大きさのみかんのことをたまに思い出し、指で大きさを
計りながら、自分は今ここで何をしているんだろうとふっと思った。
車で3時間かけて六川に来て足場もおぼつかない斜面に長靴の足を
なんとか踏ん張り、ときたま目の前に広がる海の景色に目をうばわ
れながら、休もうと思わないくらいみかんも木もいっぱいあって、
普段の自分の仕事のことなんか思い浮かべる余地がないくらい充実
した時間が過ごせたことの意味はなんだろうかと自分に問う瞬間が
あったことがとても新鮮だった。
交流というのは非日常の目で物事が見れる機会だったのかな。
自分の仕事ではないけど、自分のことであることが実感できる。
一緒に豊里でやっていたはずなのによくわからない人達と同じ車と
いう空間、みかん畑という大きな舞台に立つと何か自然に同じ物語を
演じることができてしまう面白い体験だったな。
今回のみかん交流は衣生活、建設、住生活の交流であり、六川との
交流でもあったなと帰りの車の中でみんなうなづいていた。
豊里実顕地 呉 星順
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摘果が遅れていると、連絡研で聞いて、こころは動いた。
建設部の出発研でも、「行きたいな」と後藤さんからも2回ほど。
が、「いつにする?」でストップ。
矢島さんから「衣生活に便乗しよう」とメール。
で、「行く!」Y
行かない理由はすぐに思いつくな~
今回は動いているこころのままに