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石巻での再会 そして…


中屋敷での餅つき

半年振りに石巻中屋敷へ

 半年振りに石巻中屋敷へ行く機会を得ました。

 震災後、春日山の村中央に対策室が設置され、自分達に何ができるかとずっと検討されてきました。中屋敷住人の阿部和子さん達が、ひと段落して再会を望んでられると聞き今回の石巻行きとなりました。

 連動するように鹿妻地区へは、豊里の千波さん、北条の由紀子さんが、ぜんざいを持ち込み炊き出しをしたり、雄物川へ被災した方達と一泊してゆっくり懇談しました。

 中屋敷は瓦礫がすべて撤去され、見違えるようにきれいでした。半壊だった家が取り壊され更地も目立ち、町内が少し寂しくなった感じもしました。

 中屋敷喫茶と名付けられた場所(元炊き出し所)は毎週土日に子ども達が寄ってきてにぎわっていました。

 半年前に会った東京外大のボランティア達がずっと来続けて子ども達をみてくれているのに感動しました。

 子ども達の中には、夏に春日山へ来た子もいて、私達を見るなり「子どもは、来なかったの?元君に会いたかったあ〜」「絶対絶対又春日へ行きたい」と言って、心にすごく残ったんだなあと思いました。

 阿部夫妻はじめ中屋敷の方達に迎えられ、餅つきをしたり焼きそばの炊き出しをしました。近所の方達も「久しぶりですね。又来てくださったんですか」と60人くらい集まって来られました。

 これまで沢山の方に本当にお世話になったけれど、どこにもお連れするゆとりがなかったのでと、今回は松島へ案内させて欲しいと言ってもらい観光しました。松島は驚くほど被害が少なくそのままの美しい景色を見せてくれました。

 帰る前夜はお鍋を用意してもらいご馳走になりました。ひと段落とはいえ、まだまだこれから始まる復興の道のりを考えると、こんなにしてもらってと身がすくむ思いでしたが、それ以上に受けた喜びの一端でも顕したいという和子さん達の心を感じ、受け取らせて欲しい私達でした。

 お鍋をつつきながらの懇談で、年末年始を春日山でという話になり、阿部夫妻が来てくれることになり2012年を一緒に描けることを春日山のみんなと今からすごく楽しみにしています。

福田律子 春日山実顕地

中屋敷フォト

鹿妻HANA荘で

 11月19日鹿妻に新しくコミュニティー”HANA荘がオープンしました。鹿妻食堂をやっていた地区と少し離れている為、食堂へ来ていた人達がつながっていない様子をれんちゃん達から聞いていて、「何かできなかなー」と思っていた時、12/9春日山の中屋敷行の便があることを聞き、便乗させてもらいました。

 中屋敷から鹿妻は車で20分程の距離で、着いた夜りんちゃん達夫婦が迎えに来てくれました。りんちゃん夫婦・中屋敷の阿部さん達夫婦、バスで到着した私達14名。到着した夜は阿部さんが用意して下さった魚と、春日山うどんを食べながら交流しました。

 鹿妻地区は食堂をやらせてもらった阿部ハイツは跡形もなく片づけられて、あたり一面整地されていて空地が目立ちますが、そんななかにもとり残されたように、津波のあと、そのままのの壊れた家や店舗もあるという状況でした。

 12月10日の昼は、コミゥニティー”HANA荘”で、ぜんざいふるまいをしました。

 北条50周年の集いで、”石巻へ送ろう”と参加者でついたおもちとぜんざいを用意して持っていきました。JENが「鹿妻食堂」が来ますとチラシを撒いてくれて、早くからたくさんの人達が、鹿妻食堂で顔なじみな人達が「その節はありがとう、みなさんお元気ですか」と口ぐちに声をかけて下さって、再会を喜び合いました。

 その夜はりんちゃん・いわちゃん・と一緒に雄物川実顕地へ行きました。5月の炊き出しの時から「雄物川でゆっくりしてもらいたいなぁと思っていましたが、今回一緒に行くことができて嬉しかったです。 あたたかいおもてなしと、ご馳走、実顕地のみんなに受け入れてもらいました。

 4日夜はりんちゃんの家に10名ほどの鹿妻食堂メンバーが集まって、雄物川で用意してくれた豚しゃぶで食事会をやりました。

「次はいつ会えるかね~ 5月4日春日山の春まつりで会おう きてね!!」名残りを惜しみ、再会を楽しみ鹿妻を後にしました。

 追伸 歌「笑顔ひとつ」でのこと 北条の本田国子さんから”笑顔ひとつで”歌詞カードをもっていって、石巻の人達に拡げてほしいと託されました。

ぜんざいふるまいの中で歌詞カードを広げて貼ったが、用意したCDが見当たらない。そこで千浪と由紀子歌のおばさんをやって、歌唱指導することになったのです。

 5月4日 ちょっとハズれた”笑顔ひとつで”を歌うグループがいるかもしれませんね。

濱川由紀子 北条実顕地

鹿妻フォト