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実顕地が伸展するには


私の中のヤマギシズム

 実顕地が伸展していくには何が必要か、実顕地づくりをしようと参画した私は何をどうしていくことか、37年の実顕地生活をこの1年を掛けて振り返りつつ現時点での思い考えを発表して次へ進むキッカケづくりにしたいと考えています。又、最近の村ネットにイズムに関する投稿がちらほら見られるようになってきましたが、これを読まれる同志の方々の向上心に何らかの刺激となればとも思います。また、昨年の実顕地はコノハナブームの感がありましたが、今年は「ヤマギシズム」ブームに火を点けてイズムの本質を炙り出し、本当の実顕地への突破口に出来ればと思います。

 最近の10年くらいは実顕地づくりの活動が停止したような状態になりましたが、昨年あたりからは新しい動きが出始め、又、世代交代の方も進んできているようですが、また同じことの繰り返しにならないよう、望む方へ進むように本質的なところを押さえ、イズムの在り方に副って進めていけるよう見直していきたいものです。

 「物事を為すには成るように為すことで」と資料にありますが、何かを成すにはそうなる道筋を見出して行うことが肝心で、道を誤れば思いは遂げられず、理に副ってあれば描いた結果が得られるということでしょうか。

 人は何かを思い考えて行動する。今日までの人間の行為行動が今日の様々な事件や経済問題、国家間の対立や宗教紛争など望まない結果を生み出している。

 何が因でこんな結果が出てくるのか、どう在ったなら万人の望む幸福な生活が得られるのか。古来より幾多の先人達が挑んで見出し得なかったこの難問に明快に応えたのが「ヤマギシズム」だと思う。

 しかしこの「ヤマギシズム」が見出され実顕地づくりを始めて50年の歳月を経た今日も、世の中は尚一層混乱を極め、光を見出すことができずに暗黒の世から抜け出せないでいる。

 年月を経る毎に社会不安は深刻化して、世界中の人々が平和な世の中の在り方を乞い求めるこの期に幸福への道「ヤマギシズム」を打ち出せずにいる悔しさ、全人に申し訳ない思い。そして世界中の子供たちに変革されないままの暗黒の世を引き継ぎ、楽園の訪れる日の遅れることに済まない気持ちになる。

 ヤマギシズムに出会った私達にしかできない「ほんとうの実顕地」(ヤマギシズム社会)を一日も早く実現して「真実の生き方」の素晴らしさ、人類が望んで止まない「ほんとうの幸福」は来世の極楽浄土などではなく、現実にこの世のものとすることが出来るのだということを実態をもって公表し、世界中の人々に知らせたい。

 光り耀く事実を前にしては、どんなエライ方もガンコといわれる人も自らを見直そうとする気になるだろうし、実態があれば右習えで誰もが自ら進んでやるようになり、何の不安もなくいつの間にかほんとうの生き方の社会の中に居る自分に気付かれることでしょう。

 斯くして一つも痛い目に合わず争うことなく和気藹々のうちに明るい昼の世界へと変わっていくのです。

 そうなる所まで進めてこそ「愛児に楽園を贈る」ことになるのではないでしょうか。

 そうするには小さくても「本ものの実顕地」を実現することが必要不可欠で、実顕地がいつまでも同じ所でくすぶっていたのでは、世界中のあちらこちらに生まれては消えていく不完全な共同体と同一視され、実顕地のみならず「ヤマギシズム」そのものも取るに足らないものと見なされて振り向く人もなくなり、忘れ去られるということにも成り兼ねません。

 心ならずもそういう事態になるということは、心ある幾多の先人達が何千年もの時を掛けて、遂にというか、ようやくにして手にした、暗黒の世から抜け出し、万人が願って止まない昼の世界への処方箋を闇に葬り去るに等しいことになると思うのです。そしてそれにより心の面の解決が遅れるということは、日々進歩し高度化強大化していく科学の力は諸刃の剣となって人類自らを脅威に晒すことになるのです。

 今日の人間社会は宗教的決めつけによって精神面の発達が著しく阻害され、獣性が取り残されて知性に乏しく、われ先を争う精神状態が解決されていないため、今のままでは科学の発達は人類の自滅への道にも成り兼ねないのです。

 先日の新聞に「自国民を殺す者はどこまでも追って行って殺す」といって喝采を博したという政治家の記事がありましたが、文明の世といわれる今日に於いて大勢の前でこのような意見を主張し、それを喝采をもって称える様はその精神の拙さを物語るものではないでしょうか。

 最早自分の周囲のみのことを思って安穏と暮らしていられない時世になってきていることを知らねばなりません。
 
 この世に生まれ、溌溂として充実した日々を願い、児孫の行く末を思う心あらば、そして今日の世界中の人々の無知故に争い、徒に苦悩を重ねる日々の悲愴さを思えば、他に種々方法があるとしても、ヤマギシズムに出会い、全てを放してこの生き方を誓ったものとして、心の在り方から社会機構、仕事作業の在り方に至るまで生活の細部に亘って解明され組み立てられて、全て解決されてあるとされる「ヤマギシズム」を本気で調べてやってみることではないだろうか。

 この「ヤマギシズム」は他の幾多の思想や宗教などのように考えや何かを固定するものでなく、どこまでもより良く、より正しくと停まることなく進んで止まない無固定のいき方ですから、これが正しい!と主張し対立することが無く、どんな意見も出し合い「研鑽」という道具を使って、より良いものをみんなで見出してみんなが心一つでつくっていく、健康的で明るく楽しい社会なのです。
 
 私は、この思いを基にこれからの人生の全てを実顕地づくりに懸けていこうと思います。人生の全てを懸けるなどと言うと何か特別なことをするような響きがありますが、何も特別なことではなく、本来の在るべき姿、当たり前の普通の生き方をしていこうというものです。全人幸福とか真実の世界などというと仰々しく聞こえますが、人も植物でもケガや病気になると自然治癒力が働いて元の健康体に戻ろうとするように、幸福が本来の姿であって、敢えて間違った道を行きさえしなければよいのです。今日までの間違いを突き止め、理に則した在り方を見出して組み立てたのが「ヤマギシズム」なのです。

 それでは、どこが間違っているのか、人は何故今日まで斯くも永きに亘って間違いを正し得なかったのか。
 (次回はこの辺りをテーマに書いてみたいと思います。  つづく )

【豊里実顕地 御所野茂雄】