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養鶏法が北条実顕地から豊里へ


 
12日pm7時半から豊里で、受け入れ交流会。

 養鶏法メンバーは北条で、荒瀬崎次さん夫婦の話を聞いたり、船南実顕地と3実顕地との交流会も開き、豊里への移動に盛大な見送りを受けたばかり。疲れていないかなと余計なことはいらず、次々やってきてを話してくれた。50年もいた感じ、あっという間だったと楽しさと中身を運んできた。北条からも波田幸雄さん、本田国子さんが参加してくれた。

幸雄さん
「愛和館の感じがすごーくよくて、正月テーブルが一杯になるけど、人が多かったら止めようかなと思うけど、進んで行こうかな。自分が活性化されている。引き出されている。とってもよかったー」

 美里や一志から、豊里メンバーの総勢90人を超しての研鑽会。
 豊里メンバーも受け入れるにあたって、どうしようかと連絡研や職場で研鑽をしてきた。
普段5,6人の乳牛部に10人受け入れたり、愛和館の感じがすごーくいいとか、受け入れって面白いと連日届く北条情報に、豊里でも一つの職場で20人受け入れてやってみたいとなった。養鶏法の人たちと豊里実顕地を創っていきたいとそれぞれの職場で考えた。

研鑽会では若者らの発言が光っていた。

(若者発言)
「自分の中に入ってきたもんがあって、今までの人生が自分にとっては、プロローグみたいで、やっと一人前になれた、そんな気がして、失礼のないように言いたいのですが、年上の方がかわいく見えて、それ位入ってきた。」

「豊里実顕地はビジターだったけど、子どもがそこら走っていて、北条にはいないので、久々にかわいくて、にやついてしまった。洋平君や健君もいて、豊里って楽しいなー。」

「愛和館で玄米喰った時、味全然せえへんし、まずーと。どうにかしてやらなー。北条の米送ろうか」

「全国の養豚部から送り出されてきました。じっくり自分の中で考えたいと思っている。谷畑さんとか佐々木さんが言っていることがなんで、そういうことが出てくるのか、見方ができるのかわからないと思ってやってきた。養鶏書を読めば読むほど、やっていないつもりだったけど、自分よりでやってきたんだなー」

「豊里は来たい所とは思っていない。仲いい人もいないし、、、。北条で養鶏法で考えたことをやってみて、どういうのがヤマギシズム社会観かというのもイメージしかなかったけど、北条の人とも家族になれたかな。そのままで豊里に来て、お風呂も自分の家みたいに境がなくなってきている。ヤマギシズム社会観に立ってやろうとしてやってきて、境がなくなって来ている。どんどんわくわくしてくる。人数が多いとしゃべってなかったけど、そういうのでまだ境がある。」

「実顕地一つでやってきたけど、他の実顕地が心配とか、船南の話聞いたら、船南のことも感じるところあって。人ごとみたいと善一郎に言われて、実顕地一つと言うけど、どうなのかな。一つっていうのは何か、やっていきたい」

「若人と六川に行って来た。久しぶりに標柱と案内板見て、われひととともに繁栄せん みなさん一緒にやりましょうとあって、一緒にやるというのはあまり研鑽したことがない。孝年さんが雄一郎さんが病気になった時、生きていてくれたらいいと思ったと、言ってた時、すごーく当たり前のことなんだけど、死んでしまったらできない。生き方の中に一緒にやる。あったかみを感じた。一緒にやるっていうことを一緒にやりたいなー」

【豊里実顕地 喜田栄子】